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『花彩命の庭 — 彩りの継承者』
大陸は、四つの王国によって分かたれていた。
北の氷原を治めるグレイア王国、
砂海の向こうに広がる赤土のヴェルタ、
雨が降り続ける沼地のラウド、
そして、四王国の中央にある小さな森、フェリア。
地図では小さく描かれたその森こそ、
“花彩命の庭”のある聖域だった。
古くから、生命の色はすべてそこから生まれると信じられ、
四王国の争いが激しくなるたび
庭の色は失われていったという。
だが、それを確かめられる者はほとんどいない。
庭の入口は“呼ばれた者”にしか開かれないからだ。
*
フェリアに住む少年ニナは、
幼い頃から森の奥に見える薄い光の揺らぎに心を奪われていた。
見えているのに、近づくほど遠ざかるその光は、
森の精たちが遊んでいるのだ、と大人たちは言う。
だがニナは違うと感じていた。
その光は、まるで彼の名を呼ぶように
風に揺れていたのだ。
ある満月の晩、森が白く照らされたとき、
ニナは初めて“光がこちら側へ動く”のを見た。
風でも生き物でもない、
けれど確かに意志を持った揺らぎ。
その瞬間、胸の奥から激しい脈が走った。
「……呼ばれてる?」
ひとりごちた声は夜に吸い込まれたが、
光だけは彼の足元に落ちて留まった。
そして、葉の影で隠れていた細い道が
ゆっくりと姿を現した。
ニナは息を呑んだ。
その道の先にあるのは、
昔から絵本で見てきた伝説の場所――
花彩命の庭。
*
庭にたどり着いた時、
そこは噂に聞く神々しい場所とは違っていた。
色彩は褪せ、枯れた地面にはひびが走り、
中央にあるはずの“生命の大樹”は、
葉をほとんど落としていた。
「……遅かったのか?」
そう思った瞬間、
枯れ木の根元から柔らかな光が現れた。
光の中から現れたのは、
年齢不詳の少女の姿だった。
瞳は虹のように色を映し、
髪は風のように揺れていた。
「あなた、ここへ来られる子なのね」
声は遠い水音のように響いた。
ニナは言葉を失いながらも頷いた。
少女は微笑んだ。
「私はラサ。庭の守人。
本来なら、庭の力は世界に生命の彩りを満たすはず。
でも今は、争いのせいで色が奪われているの。」
ニナは庭を見渡した。
色が失われた理由が理解できた。
四王国の争いは年々激しく、
森に住むフェリアの民ですら外へ出られないほどだった。
ラサは続けた。
「この庭は、呼ばれた者の力で再び満ちる。
あなたは“色を持つ者”。
だから、ここへ来られたの。」
「僕が……庭を戻せるの?」
「戻せるわ。
だけど、色はひとつずつ世界に散っている。
取り戻すには、それぞれの地で“失われた記憶”を見つける必要がある。」
ニナは迷わなかった。
何故かわからないが、
“自分が来なければいけない理由”を胸の奥で理解していた。
*
ニナはまず、北の氷原へ向かった。
旅の途中、雪狼に襲われたり、
氷の大裂け目を越えるために命をかけたりしたが、
そのたびにラサの声がどこかから聞こえた。
「怖くないわ。色はあなたの中にあるの。」
氷原の祭殿では、
氷の花が砕け散った氷片の中に“青の記憶”が眠っていた。
それを手に入れた瞬間、
冷たいはずの氷が柔らかく脈動し、
ニナの胸に青い光が吸い込まれていった。
次に向かったのはヴェルタ。
砂漠の夜は冷たく、
昼は皮膚が焼けるほど熱い。
その中でニナは、
果ての砂丘にある“赤の記憶”を見つけた。
それは戦によって散った命たちの叫びが結晶したものだった。
手に取った瞬間、
熱く、しかし悲しい光が胸へ流れ込んだ。
三つ目の地、ラウドでは、
沼の底に沈んだ“緑の記憶”が
静かに眠っていた。
そこには、かつて育まれた生命の繁栄と、
人々が自然を失っていった痛みが刻まれていた。
記憶を三つ集める頃には、
ニナの心の中にさまざまな色が渦巻いていた。
喜びも悲しみも、希望も絶望も。
だが、それらが複雑に絡み合いながら、
彼を一歩ずつ強くしていった。
*
すべての記憶を胸に抱え、
ニナは再び花彩命の庭へ戻った。
枯れ木だった大樹は、
彼の足音に呼応するようにわずかに揺れた。
「戻ったのね」
ラサが微笑む。
ニナは頷き、
胸に宿る色を両手で包んだ。
色は光になって溢れ、
庭全体に注ぎ込まれた。
青は風となり、
赤は大地を温め、
緑は葉脈となって大樹に流れ込む。
大樹はゆっくりと息を吹き返した。
風が吹き抜け、
枝葉はかつてのように色彩を取り戻した。
庭は蘇ったのだ。
だが、ラサの表情は少しだけ悲しげだった。
「ありがとう、ニナ。
あなたのおかげで庭は命を取り戻した。
でも……私はこの庭が荒れた時、
色を守るために“形”を得た存在。
庭が元に戻れば、私は役目を終えてしまうの。」
ニナは息を呑んだ。
「消えるの……?」
「消えるんじゃないわ。
庭に還るだけ。」
ラサは微笑んだ。
まるで、長い眠りにつく子どものように。
「あなたは継承者。
これからは、あなたが“花彩命の庭”を見守るの。」
光がラサを包み、
花弁のようにふわりと舞い上がった。
風の中で消えていく光は、
悲しいのに、美しくて、
ニナは涙を流すことしかできなかった。
*
その日から、庭は再び世界に色を送り続けた。
四王国の争いも次第に収まり、
人々は生命の美しさを思い出した。
庭の奥には、新しい守り人――
まだ幼く、しかし強い“色”を宿した少年が立っていた。
ニナは季節が巡るたびに庭へ語りかけた。
庭の風が優しく吹くたび、
ラサが微笑んでいる気がした。
そして少年はいつか、
自分の後に続く者へ庭を託すのだろう。
生命の色が尽きない限り、
花彩命の庭は世界の片隅で、
静かに輝き続ける。

あーす

雫月は

ざ き

ヒラメ
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