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乙原 淋

かのん☠️💜𓂃


アキ
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みほるん☁️
昨日は浴衣を着てBBQをしに行ったよ☁
景色がとても綺麗で波の音にも癒されたꨄ


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ゴトー(と🐱)
そこで、そのコメントの何が問題なのか、コメント主の理屈に合わせて「噛み砕いて」説明してみることに挑戦してみました。
まず、事実を整理しましょう。全盲であれば、確かに自力で鏡を見て仕上がりを確認することはできません。
もしここで「自分で見えないなら整える意味がない」と言うのであれば、このコメント主は、自分の後頭部の寝癖や背中の汚れ、自分からは見えないアクセサリーも「無意味」だと切り捨てる、極めてストイックな価値観の持ち主なのでしょう。もし「自分も見えない場所は一切気にしないし、ハゲても歯が抜けても放置する」という主義なら、その一貫した価値観は尊重すべきかもしれません。私の考えとは一生相容れませんが。
しかし、もし自分の身だしなみは整えるのに、義眼の仕上がりだけを「分からないじゃん」と笑うなら、それは単なる論理の破綻です。流石にそこまで幼稚ではない、としておきましょう。次に進みます。
次の論点は、「鏡がない場面ではどうやって自分の姿を確認するか」です。コメント主は多くの場合、自分の容姿を「鏡」によって確認するのでしょう。しかし、全盲の方にはその手法が使えません。鏡がない代わりに、彼らは職人の技術を信頼し、多大な手間をかけ、想像を絶する工夫をして容姿を整えます。自分では確認できないからこそ、健常者よりもずっと、「自分の姿が他人にどう映るか」に強い責任を持っているのです。
そして、「なぜ、そうするのか」です。
鏡を見ても自分では分からない。それでも整える。その不断の努力は、何のために行うのか。
おそらくコメント主に一番欠如しているのはここです。それは、対面する他者に不快感を与えないためだということ、つまり「あなたへの敬意」そのものだという視点です。
つまり、かのコメントは、「あなたのために」行われているその努力を、「分からないじゃん」の一言で切り捨てていることになるわけです。それがいかに恥ずべき不義理か、もうお分かりになるかと思うのですがいかがでしょうか。完全には理解できなくとも、「何か失礼なことを言ったらしい」ということぐらいは認識できるはずです。

きょう🏴🦦💰

すけさん
それは「人と合わない」からではなく
「合わせすぎない」からだ
浅い共感や
その場しのぎの会話に自分を預けることができない
多くの人が軽く流す違和感を見過ごさずに拾ってしまう
だから場が盛り上がっていても
どこか一歩引いた場所に立つことになる
その姿は冷静に見えるけれど
本当は不器用なほど誠実だ
わかったふりはしないし
納得していない言葉を口にしない
思考が深い人は
「たくさんの関係」より
「意味のある関係」を選ぶ
孤独は罰ではない
自分を安売りしなかった結果として
一時的に訪れる通過点のようなものだ
その静けさの先に
本当に話が通じる誰かが
ちゃんと残っていく
「短尺哲学」より

ゆとちゅぴ

しおん

リン
てかさ、最近(いや産まれてからずっと)長女ちゃんも次女ちゃんも可愛すぎてヤバいんですよ。
長女ちゃんはママ大好き!といつもありがと!
を毎日伝えてくれるから幸せだし、次女ちゃんは『ママ🥰ママ🥰』って言いながら満面の笑みで駆け寄ってくれるし、もう思い残すことは2人の振袖とウェディングドレス姿を拝めたらな…くらい🙏🙏🙏
あわよくば、孫の顔も見たいです🙏
強欲ですね、反省します😌
sayuri
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