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さ丸🫠🌱
けれど、ふと思った。この線は最初から宇宙に引かれていたのだろうか。宇宙が国境線を引いたわけでも、生まれた瞬間から会社員や消費者だったわけでもない。資本主義も国家も貨幣も、宇宙の誕生時には存在しなかった。どこから始まったのか。この疑問から、グラビティでこの文章を綴るようになった。
最初は政治や経済の疑問だった。なぜ戦争はなくならないのか。なぜこれほど豊かなのに時間に追われ、成長し続けなければならないのか。しかし、国家を掘ると社会へ行き、人間、自我、脳、生命、元素、星、そして宇宙へ行き着いた。政治の話をしていたはずが、138億年前まで戻ってしまったのだ。
ここで思った。国家も、資本も、戦争も、自我も、生命も、宇宙も、別々の話ではない。一つの長い流れの途中に現れた異なる階層なのだ。だから、グラビティの投稿では宇宙から始める。宇宙、生命、脳、自我、社会、国家、資本、戦争、日本、縄文、分散社会、ワンネス。一見するとバラバラに見えるこれらは、分けられてしまったものをもう一度つなぎ直すためのプロセスだ。
現代文明は「分ける力」によって発展してきた。分類し、測定し、専門化する。それは人類の宝であり、論理や科学は不可欠だ。しかし、分けることが上手になりすぎた文明は、分けたもの同士が本当につながっていることを忘れ始めた。食べ物と土、身体と自然、経済と環境、自分と他者。現実は一つにつながっている。
これを解き明かすため、自分の中に「三つの知性」を置いた。すなわち、右脳、左脳、本能である。
左脳的な知性:分ける側。数字、証拠、制度、論理を見る。「それ本当なの?」と問う。
右脳的な知性:つなげる側。関係や全体像を見渡し、遠いものの間に似た構造を探す。
本能:理屈を超えて生き残ろうとする力。直感で危険や喜びを察知し、身体の底から突き動かす。
この三つの往復運動こそが、グラビティで共有している思考法だ。事実と仮説と比喩を混同せず、わからないものはわからないまま残す。答えを教えるのではなく、問いを増やしたい。国家も貨幣も人間がつくった仕組みなら、別の設計を考えることもできる。小さく暮らし、大きくつながる未来や、呼吸や生活を通じた身体的な「ワンネス」をそこから探っていく。
世界を変えたいとき、私たちはつい政府や巨大システムを見がちだ。しかし、それを動かしているのも人間の意識である。だから、外側の制度と内側の認識、その両方を見る。
次の革命は脳と身体の奥底で起きる。分ける能力を捨てず、つなげる能力を取り戻す。国家を壊すのではなく依存しない社会を考え、資本だけでは測れない価値を取り戻す。
これは完成した答えではなく、グラビティで繰り広げる巨大な思考実験だ。
疑い、反論し、その先を自分で考えてほしい。
この投稿を読み終えたあと、夜空やニュース、そして鏡に映る自分自身がほんの少し違って見えたなら、嬉しい。🦍💩🌱


Feel the Universe

norimi🌌
朝になれば仕事へ行く。ニュースを開けば政治がある。税金がある。会社がある。株価がある。戦争がある。国境がある。SNSでは人々が争っている。
右と左。保守とリベラル。日本と外国。金持ちと貧しい人。経営者と労働者。都会と地方。若者と老人。男と女。科学と宗教。資本主義と社会主義。そして、私とあなた。
世界は、無数の線によって切り分けられている。私たちは、その線の中で生きている。
けれど、あるとき、ふと思った。
この線は、最初から宇宙に引かれていたのだろうか。
日本と中国の間に、宇宙が国境線を引いたわけではない。土地に値札がついて生まれてきたわけでもない。人間が生まれた瞬間から、会社員、消費者、納税者だったわけでもない。まして、宇宙が誕生した瞬間に、資本主義も国家も貨幣も存在していなかった。
では、どこから始まったのだろう。
この疑問から、グラビティで文章を綴るようになった。
最初は政治の話だった。国家とは何なのか。なぜ戦争はなくならないのか。なぜこれほど豊かな社会で、人間は時間に追われ続けているのか。なぜ経済は成長し続けなければならないのか。なぜ大量につくり、大量に運び、大量に捨て、それでも「もっと成長しなければならない」と言われるのか。
日本とは何なのか。戦後とは何だったのか。主権とは何なのか。
そして、政治や経済を掘っていくうちに、奇妙なことが起きた。
問題が、政治だけでは説明できなくなった。
国家を掘ると、社会へ行く。社会を掘ると、人間へ行く。人間を掘ると、自我へ行く。自我を掘ると、脳へ行く。脳を掘ると、生命へ行く。生命を掘ると、元素へ行く。元素を掘ると、星へ行く。星を掘ると、宇宙へ行く。
結局、政治の話をしていたはずなのに、138億年前まで戻ってしまった。
そこで気づいた。
もしかすると、国家も、資本も、戦争も、自我も、生命も、宇宙も、まったく別々の話ではないのではないか。一つの長い流れの途中に現れた、異なる階層なのではないか。
宇宙。生命。脳。自我。社会。国家。資本。戦争。日本。縄文。分散社会。ワンネス。
一見すると、とんでもない並びに見える。宇宙論なのか。脳科学なのか。政治論なのか。経済なのか。日本論なのか。未来社会なのか。スピリチュアルなのか。たぶん、その全部であり、そのどれでもない。
ここでやりたいのは、専門分野を一つずつ深く掘り下げることだけではない。分けられてしまったものを、もう一度つなげて見ること。
現代文明は「分ける力」によって発展してきた。名前をつける。分類する。測定する。比較する。専門化する。数値化する。科学も、法律も、行政も、企業も、その力によって巨大になった。分ける力は、人類の宝である。だから、この思考は論理や科学を否定しない。むしろ必要だと思っている。
しかし、分けることが上手になりすぎた文明は、ある瞬間から、分けたもの同士が本当につながっていたことを忘れ始めたのではないか。
食べ物と土。身体と自然。労働と生活。経済と環境。国家と人間。自分と他者。人類と地球。生命と宇宙。数字として見ると、別々に見える。しかし、現実ではつながっている。
一枚の葉を考えてみる。葉には炭素がある。その炭素は大気から来た。植物は太陽光を使う。水は地球を循環する。その植物を動物が食べる。人間が食べる。身体になる。呼吸する。二酸化炭素を吐く。また世界へ戻る。
どこからが自然で、どこからが人間なのだろう。境界はある。しかし、切断されてはいない。この感覚が、この場所で書き続ける全体を流れる一本の地下水脈になっている。
わたしは、これを考えるために、自分の中に三つの知性を置いた。すなわち、右脳、左脳、本能。
ひとつは、左脳的な知性。
分ける側。数字を見る。証拠を見る。制度を見る。歴史を見る。論理で考える。「それ、本当なの?」と聞く。
そしてふたつめは、右脳的な知性。
つなげる側。関係を見る。全体を見る。身体で感じる。遠く離れた出来事の間に、似た構造を探す。「これとこれ、実はつながってない?」と聞く。
そしてみっつめは、本能。
理屈を超えて生き残ろうとする力。直感で危険や喜びを察知する。理屈抜きで「これをしたい」「これは危ない」と身体の底から突き動かす。
どちらか一方、あるいは一部だけでは、この言葉たちは紡げなかった。左脳的な知性だけなら、世界は細かく分類されていく。正確になる。しかし、森が見えなくなることがある。右脳的な知性だけなら、世界中のものがつながっていく。面白い。しかし、どこまでも飛んでいってしまう。そして本能がなければ、そもそも生きる熱量が生まれない。
だから、この三つの知性で見る。分ける。つなげる。感じる。この往復運動そのものが、グラビティで共有している思考法である。
だから、ここには、科学的にかなり確立している話も出てくる。宇宙。元素。進化。脳。生態系。同時に、哲学的な問いも出てくる。自我とは何か。国家とは何か。所有とは何か。時間とは何か。
そして、歴史や政治についての議論も出てくる。戦争。資本。日本。沖縄。戦後体制。さらに、縄文や未来の分散社会、ワンネスというところまで進んでいく。
ここで一つだけ、投稿の読み方について伝えておきたい。事実と仮説と比喩を、同じ箱に入れないでほしい。
科学的に確認されていること。歴史資料から確認できること。そこから導く解釈。わたし自身の仮説。そして、世界を見るための比喩。これらは違う。違うからこそ、面白い。
事実は、土台になる。仮説は、まだ見えていない場所へ橋を架ける。比喩は、離れているものの構造を一瞬で見せる。しかし、橋を地面だと思ってはいけない。比喩を証拠だと思ってはいけない。わからないものは、わからないまま残す。その余白も、グラビティの空間では大切にしたい。
わたしは、答えを教えたいわけではない。むしろ、問いを増やしたい。
なぜ? 本当に? 誰が決めた? いつから? 誰に利益がある? 誰が負担している? 別の方法はない?
そして、もっと根本的な問い。そもそも私たちは、何なのだろう。
この問いまで戻れば、政治の見え方も変わる。経済の見え方も変わる。戦争の見え方も変わる。日本の見え方も変わる。自分自身の見え方も変わる。
人間は、国家より古い。貨幣より古い。会社より古い。宗教より古い。農業より古い。そして、私たちの身体を構成する物質は、人類よりはるかに古い。
そう考えると、現代社会で絶対的に見えているものの多くが、急に、「人間がある時代につくった仕組み」として見えてくる。国家は変えられない自然法則ではない。経済制度も自然法則ではない。働き方も自然法則ではない。学校も、会社も、国境も、貨幣も、人間がつくった。人間がつくったものなら、人間は、別の設計を考えることもできる。
だから、この思考の後半では、未来へ進む。縄文へ戻るのではない。昔を理想化するのでもない。縄文から、何かを拾う。現代科学から、何かを拾う。AIから、何かを拾う。インターネットから、何かを拾う。地域社会から、何かを拾う。そして、新しい組み合わせを考える。
小さく暮らし、大きくつながる。一人で完結しない。しかし、巨大システムにも、すべてを預けない。個人。共同体。地域。国家。地球。それぞれのスケールに、それぞれの役割を戻していく。
そして最後に、ワンネスへ行く。
この言葉を聞いて、スピリチュアルだと思う人もいるだろう。それでいい。ただ、ここで言うワンネスは、「宇宙へ願えば夢が叶う」という話ではない。もっと単純で、もっと身体的な話である。
息を吸う。世界が身体へ入る。息を吐く。身体が世界へ戻る。水を飲む。食べる。眠る。誰かと話す。誰かを傷つける。誰かを助ける。すべて、自分の外側へ影響していく。
私たちは、完全に独立した存在ではない。しかし、全部同じ存在でもない。違う。それでも、つながっている。この二つを、同時に持つ。それが、ここで探していくワンネスである。
そして、ここからが、この発信で最も大切なところかもしれない。
世界を変えたいと思ったとき、私たちは、すぐ巨大なものを見る。政府。国家。企業。金融。軍隊。国際機関。確かに、巨大な力を持っている。構造は重要だ。制度も重要だ。政治も重要だ。
しかし、その巨大な構造を動かしているのも、結局は人間である。人間が、恐怖する。人間が、欲しがる。人間が、比較する。人間が、命令する。人間が、従う。人間が、疑う。人間が、愛する。
だから、外側の構造だけ変えても、同じ意識のままなら、別の名前で、似た社会をつくってしまうかもしれない。逆に、心だけ変えればいいという話でもない。貧困を瞑想では解決できない。戦争を願いだけでは止められない。不公正な制度は、制度として変えなければならない。
だから、内側と外側。両方を見る。人が構造をつくる。構造が人をつくる。この循環を見る。それが、グラビティで思考を巡らせるもう一つのテーマである。
そして、ここまで考えて、わたしは一つの言葉にたどり着いた。
次の革命は、脳と身体の奥底で起きる。
暴力による革命ではない。誰かを倒す革命でもない。考え方。認識。分類。境界。恐怖。欲望。自我。自分たちの脳や本能が、世界をどう切り分けているのかに気づくこと。そこから始まる革命。
分ける能力を捨てない。つなげる能力を取り戻す。論理を捨てない。感覚と本能を取り戻す。個人を消さない。共同体を取り戻す。科学を捨てない。自然との関係を取り戻す。国家を壊すのではなく、国家だけに依存しない社会を考える。資本を否定するのではなく、資本だけでは測れない価値を取り戻す。そんな方向が、どこかにあるのではないか。
もちろん、これは完成した答えではない。むしろ、グラビティという場で繰り広げる巨大な思考実験である。だから、疑って読んでほしい。反論してほしい。途中で、「いや、それは違う」と思ってほしい。そして、できれば、その先を自分で考えてほしい。
言葉とは、著者の答えを読者へ一方的に移植する装置ではない。一つの脳から、別の脳へ、問いを渡す装置だと、わたしは思っている。
この投稿を読み終えたあと、夜空が、少し違って見えたら。ニュースが、少し違って見えたら。スーパーに並ぶ食べ物が、少し違って見えたら。国境が、少し違って見えたら。隣にいる人が、少し違って見えたら。そして、鏡に映る自分自身が少しだけ違って見えたら。グラビティでの発信には意味があったのだと思う。









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