これは特別操縦見習士官二期生として知覧の飛行場で教育を受けていた勝又勝雄少尉が特攻隊として出撃する前日の話です勝又少尉は昭和20年5月4日に知覧飛行場より出撃し沖縄周辺で戦死されました 享年22歳飛行学校を卒業してから1年後勝又さんが久しぶりに富屋食堂に姿を現しましたすでに少尉となっていた勝又さんは富屋食堂の女将であり飛行学校の生徒の頃に可愛がってもらった鳥濵トメに会いに来たのですしかし勝又さんの挨拶を聞いてトメは胸を痛めましたおばちゃん久しぶりでも今度は短いよ何しろ特攻だからねだから今日は飲みおさめというわけで思い切り飲んでからドーンと行こうと思うんだ勝又さんはトメが苦心して調達した焼酎を一杯つがれるごとに"おばちゃんありがとう"とお礼を言って飲み干しましたトメはたくさんの命を犠牲にしながら全く見通しの立たない戦争への不安を口に出し日本の行く末が心配だよと沈んだ口調で言いましたそんなトメの不安を振り払おうとするかのように勝又さんは言いました俺は勝又勝雄だ "勝つ勝つ"こんないい名前はないだろうこの めでたい名前の勝又勝雄が出撃するんだから日本は勝つに決まってるよおどけた調子でそう話すのを見てトメはつい笑ってしまいました好きな酒を心ゆくまで飲み尽くした勝又さんは帰り際トメに最後の別れを告げましたおばちゃん元気で長生きしてくれよ人生50年と言うけれど俺なんかその半分にもならない20年であの世に行っちゃうんだあとの30年は使ってないわけだだから俺の余した30年分の寿命はおばちゃんにあげるおばちゃんは人より30年余計に生きてくれよ…きっとだよそう告げて手を振り勝又さんは去って行きましたその後ろ姿をトメはいつまでも忘れることができませんでした太平洋戦争末期日本は戦局を打開するために飛行機ごと敵艦に突撃する特攻攻撃を採用しました鹿児島にある知覧飛行場からは連日沖縄に向けて数多くの若者たちが飛び立ち自らの命を捧げました彼らの傍らにいてその最期の日々をともに生きてきた者としてトメは決意をするのです隊員さんたちの真実を伝える語り部として彼らがどのように生きなんのために死んだのかを語り続けていこうとそんな祖母 トメの託した思いを私も日々語り続けるのです#鳥濱初代#致知