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リピ散歩『中山道編17日目③』

中山道は下諏訪宿の中心へ入っていきます

🔹下諏訪宿本陣跡

江戸幕府成立前は裨田家、1601〜1688は小口家、それ以降は岩波家が本陣を務めました。本陣には武田信玄の書状が保管してあるそうで、幕末から明治にかけても皇女和宮や明治天皇が宿泊・休憩した由緒ある本陣だったようです。尚、安藤広重『下諏訪』の絵に描かれているのはこの岩波本陣だそうですが、本陣は大名クラスの要人しか宿泊できないため庶民が飲食や入浴を行っているこの絵は広重のオマージュと考えられています。

🔹甲州街道追分

本陣のすぐ先には甲州街道との追分があります。日本橋以外で五街道と五街道が合流する全国で3ヶ所しか存在しない貴重な追分です。和田峠方面から来た場合、直進が甲州街道、右折が中山道となります

🔹諏訪大社下社秋宮

追分から甲州街道を進み諏訪大社下社秋宮へ立ち寄りました。秋宮も春宮と同じく諏訪大社四社のうちの一つで社殿も春宮とそっくりです。尚、諏訪大社は上社と下社に分かれますが各社においての社格は無いそうです

🔹復元された高札場や下諏訪駅構内の万治の石仏のオブジェを見ながら下諏訪宿を後にします

🔹魁塚

下諏訪駅の北西には幕末の志士『相楽総三』を始めとした赤報隊幹部8名の処刑地(魁塚)があります。
大政奉還後、相楽総三を中心とした一味は武力討幕を目指す西郷隆盛らの指示により『出流山挙兵事件』など3件の事件を起こし、更に江戸での掠奪・放火・暴行などを行い幕府を刺激しました。これに耐えかねた庄内藩が薩摩藩邸を襲撃したことを発端として戊辰戦争が起こりました。その後、総三は赤報隊を結成し東山道総督軍先鋒として江戸へ進軍しましたが『租税半減』の旗印を掲げて進んだことや新政府軍の命令を無視して独断専行を行ったことで味方である新政府から偽官軍との扱いを受け小諸藩に捕縛後この地で斬首されました。この事件にはいくつかの疑問があるそうで、本当に独断専行をしていたのか?新政府の命令通りに『租税半減』を掲げたが実際はその公約が不可能なことを分かっていた新政府は、相楽総三の独断で行われたと流言することでわざと汚名を着せたのではないか?ということです。いずれにせよ明治3年にこの塚が建てられ総三たちの名誉回復は成ったそうです

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #下諏訪宿 #魁塚
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