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青色の空。
あぉぃろコラム第2弾のプロローグ編ではいろいろと話してきましたが、大切なことは、
自分も含めてこの世界全体を遠くから見渡すような、俯瞰(ふかん)する視点を持ってみると思っていた以上に何かに気付けるかもです☘️
そして、自分自身が目を逸らしてきた問題や過去などに向き合い、自分の思い込みや信じ込みを探ってみたり、受け入れ方や捉え方を見直してみると前に進む糸口になるのかなと思います✨
これからいろんな変化に伴い、様々なことが表面化したり、壁にぶつかったり、不都合なことが続いたり、、
…などが起きてくるのかなと思いますが、これらが何かに気付けるきっかけになったり、見直すきっかけになると良いのかなと思っています✨
みんな一人ひとりが、一つずつ、ちょっとずつ、自分らしく、自分なりに前に進んでいきますように✨
#あぉぃろコラム#プロローグ#青色の空。#一つずつちょっとずつ#いつでも悩み相談などokです


青色の空。
あぉぃろコラム第一弾(①〜⑩)を締めくくるエピローグになります。
第1弾コラムでは、一日、一日の人生を生きる上で、一度立ち止まって考えるきっかけ作りとしてこれまで発信してきました。
・生きる目的や前提
・バランスをとるということ
・その先にあるもの。
最後に行き着く幸せの状態は、具体的には人それぞれの形があると思いますが、もし、この世の中の全ての人に共通した、
「安定した幸せの土台」があるのだとすれば、
それは、
「一人ひとりみんな本質は同じで、全く同じ存在・魂で、そこにはそれぞれの役割と関係だけがある世界」だと気付き、
良い・悪いなどの区別が全くなく、全てのものと調和しながら常に平穏な心で、
小さな幸せも含めて空気のように全てに感謝の気持ちを持って幸せを感じられる。
そして、それらに気付いて理解できているからこそ、自分の役割を全うして他者の役に立つ。また、自分も他者を観察して学んだり、他者の役割から教えてもらったり学んだりする。
それが共通した幸せの土台なのかなと思います。
つまり、これらをAIに置き換えてみると、全く同じAIがたくさんいる状態で学習を始めると、不思議なことにそれぞれが違う役割を持ち始め、社会を作り、報酬と罰を受けながらそれぞれ一つ一つが完成形を目指す。
…ということに近いのかなと思ったりしています。
いきなり唐突な内容で分かりづらいと思いますが、第一弾の大まかな内容として書いてみました。
星の交信からの悩み相談はありがたいことに、おかげさまで一年足らずで300人以上の方からの相談をいただくまでになりました。
本当にありがたいことで、相談を通じて応援やフォローまでしてくださる方も増え、自分自身も大きな学びや幸せを感じています。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
一人ひとりが人生で多くのことを経験しながら一歩ずつ前に進んでいけるよう、様々な形で寄り添っていきます。
これからもよろしくお願いします✨
これを読んでくださっている全ての方が身近な“今”の小さな幸せ に気付けますように。
#青色の空。#あぉぃろコラム#幸せ#ありがとう#感謝と共に生きる


青色の空。
#行動や思考と価値観の前提
一日一日、日々を過ごしていく中で、
“何も問題のない、何も問題が特に起こらない一日、日常、状態”
という感覚を持つ人は少なくないと思います。
何も特に起こらずに済む一日や日常は生きていく上で無事に過ごせることであり、平穏に過ごせることは生きやすい一日や日常に繋がる一つだと思います。
では、何も問題がない、主観的に自分から見て“普通” の状態に対してどのような感覚を持ちますか?
・プラスマイナス0の感覚(マイナスではないがプラスでもない)
・何も感じてない(自分の行動や意識に集中していて特に感じるものはない)
・失ってありがたさに気付く感覚
…など、人それぞれ多種多様あると思います。
一方、世の中には、
“普通で当たり前のことがすごいことでありがたいこと”
…と言われていることもあります。
例えば、日本と海外の文化や風習・習慣・人のあり方の違いや、生活する環境などがより一層険しく・厳しくなることで生まれるキャップ、
あるいは、トラウマになるほど突然の大きな出来事に見舞われることなど、
いわゆる、
普通を知って、普通でないものを知る。
普通でないものを知って、普通を知る。
ということなんだと思います。
そういった観点や視点で得られることもありますが、対象が限られていることや、大きな人生においては普通や当たり前を失ってから気付くのでは遅いと感じる場合もあると思います。
…では、“普通” や “当たり前” のことって何なのでしょう?
それは、
人それぞれ、一人ひとりの感覚にあると思います。
例えば、
自分自身の中に理想があって、理想を追い求めていたり、期待を無意識にでも持っている中での、
“そうではないこと”
だったり、
何か問題が起こる前提で、不安や恐怖に晒されてる中での
“何もないこと”
だったり、
過去の経験や背景などから来る、思い込みや信じ込みなどでの、
“これで当然。疑う余地のないこと”
だったりするのかなと思います。
なので、マイナスではないけどプラスでもないと感じる人も多いのかなと思います。
“普通や当たり前のことに感謝する”
と、言われることもありますが、
これは、今この瞬間という今の全てを受け入れることにあります。
「ありがとう」と感謝するのではなく、
ありがたみを感じなければいけないことでもなく、今この瞬間に繋がっている過去を含めた全てを受け入れるということ、そして今この瞬間に集中することにあると思います。
その中には自分自身の過去の中での思い込みや信じ込み、無意識的な基準、執着などがある場合もあると思います。
それら一つ一つに向き合いながら、整理し、俯瞰(ふかん)し、手放した上で、今に集中する意識を持つことで普通や当たり前の感覚の捉え方は変わってくると思います。
例えば、痛みや辛さ、苦しさがあることで前に進みづらくなるのであれば、そうでないことで前に進む環境や状態は整っている。あとは今に集中するだけ。
と捉えることで、プラスマイナス0の状態は紙一重くらいしかなく、あとは、前に進む状態ができているというプラスの状態に持っていくこともできる。
たとえ、常に痛みや障がいなど、何かが伴っていたとしてもそれ以上にないことがプラスになったりすることもある。
その捉え方や感覚も人それぞれ、一人ひとり次第。
…つまり、
一つ一つの行動や考え方、価値観などの
“前提”や“目的”
を見直していく中や、見直していくその先に
普通や当たり前といった、本人にとっては何もない、無風のようなところもプラスに変わっていく、プラスにして追い風にすることもできるということ。
この差で前に進む進み方もきっと変わっていくはず。
何かを待つ、何かを求める前に、前に進めるタイミングや状態が既にあるということ。
#一人ひとりのあり方や進み方
#内面に意識を向けた手放しと意識と変化
#青色の空。

青色の空。
フォローの有無を問わず、いつも応援してくださり、支えてくださっている方々、いつもありがとうございます✨
GRAVITYを登録して10ヶ月、“人の心の力になる” という想いを持って2024年から一年間に渡り、様々な形にしながら自分の土台を内外共に作ってきました。
まだまだ至らないところはありますが、それも含めて内外共に向き合いながらこれからも成長を続けていきたいと思っています。
こんな今の自分でも、自分を受け入れてくださり、応援してくださる方が今もなお増え続け、GRAVITYでは70人以上の方にフォローしてくださり、それ以上の方にも受け入れてくださっています。
ここまで成長できたのも自分に関わった全ての方々のおかげです。
いつもありがとうございます✨
“人の心の力になる”を大きなテーマとし、一人ひとりの心と日常に寄り添い、一人ひとりの幸せに寄り添う活動をGRAVITY内外で行なっています。
一人ひとりが今よりも生きやすい社会や世界に変える一助になることを大きな目標として目指しています。
星の交信でのGRAVITYでの悩み相談は1年足らずで250人以上にもなりました。
(改めて悩み相談を数え直しました)
このGRAVITYを通じて自分のことを知ってくださった方や、応援してくださっている方々にとって、これからも力となり続けていくために、一人の人としてみなさん一人ひとりに身近に寄り添っていきたいと思っています。
投稿へのコメントやいつでも気軽なメッセージで何気ないことを話すことも含めて小さなコミュニケーションから大切にしていきたいと思っています。
いつでも、どんな時でも気軽にメッセージでも投稿でも話してください☘️
そして、GRAVITYでは悩み相談以外にも一人ひとりが前を向いて生きやすい生き方に気付くためのきっかけ作りとしての発信や、みんなでコミュニケーションができる場作りもやっていきたいと考えています。
ようやく土台が整った一年ですがこれからもみなさん一人ひとりの力になるために前に進んでいきたいと思っています✨
これからもよろしくお願いします!
#みんなへのメッセージ #青色の空。 #一人ひとりの心と日常に寄り添う #感謝の気持ちを込めて #一人ひとりの幸せに寄り添う


青色の空。
このアカウントを見てくださっている人、そしてメッセージで話してくださっている人、自分と関わったり繋がったりしてくださっている人、、
いつもありがとうございます✨
このGRAVITYで人生で初めてアカウントを作ってみてから1年が経ちました。
自分にとっては早いというより、ようやく1年が経ったんだ。
…という感じです。
ありがたいことに、この1年間で79人のフォロー、300件以上の悩み相談、665回のいいねをくださり、気付けば投稿も190以上にもなりました。
最初は「星の王子様」からの移行でなんとなく作ってみた感じでした。
当時は心を開いて気軽に話せるようにと、4月から悩み相談を星の交信で始めていました。
ですが、今では自分のやりたいこと、自分自身の役割を果たす場所として、そして、このGRAVITYで自分と関わっている、繋がっている人がいる。
このアカウントを作ったちょうど1年前は想像もしてなかった形になりました。
気付くことも、得ることも、嬉しいことも、幸せなこともたくさんあった1年間になりました。
これもGRAVITYで関わってきた、そして、これから関わる人たちのおかげです✨
本当にありがとうございます。
そしてこれから出会う方も、出会ってる方も、これからもよろしくお願いします☘️
#青色の空。#いつもありがとう#今という奇跡に感謝#心の力になる#人の心と日常に寄り添う


青色の空。
#自分を保つ・持つということ
一人一人、一日一日の過ごし方は人様々、多種多様とありますが、
共通して言えるのは、一人一人が過ごしやすい空間や時間、一瞬一瞬は、リラックスしていて、集中していて、色んな意味で安定していること。
なのかなと思います。
逆を言うと、
何をするという訳でもなくボーっとしていて、
でも心身は落ち着いてなくて、
気持ちや感情の状態も良いとは言えない。
…というのが生きづらさを感じる時なのかなと思います。
ちなみにこれには理にかなった流れや繋がりなどがあります。
つまり、一人一人が過ごしやすい状態に近づけば近づくほど生きやすい、その状態を意識することが最初の一歩目になるのかなと思います。
意識の仕方としては、
・何かに自然に集中している(できている)こと。
(*自然に集中していれば何でもokです)
・適度なリラックス感、覚醒感
(*ボーっとして頭が働かない、心ここにあらず、なのとは違う、自然体でいるときの感覚に近いかも)
・思考や感情、気持ちが整理されていること。
(*つまりネガティブな気持ちや感情が整理されて、反発したり引きずったりすることのない状態。これには多少の時間がかかるかも)
・身体的にも安定していること。
(へその下辺り、へそから指3〜4本分下あたりにある“丹田”を意識すると物理的にバランスが安定し、姿勢や呼吸も整ってくる。)
・第3の自分を意識してみること
(身体的な感覚の自分、精神的な感覚の自分ともう一人その2人の自分を眺めて観察している第3の自分を意識してみると、外からの影響を受けにくくなる。)
これらが“今”に集中するということにもなり、
生きやすい生き方に繋がる一歩目になるかなと思います。
もちろん、もし自分で今、生きにくい状態・状況だなと気付いたとしても、それは客観的に見て、長い目で見て、もしかすると今の生きづらさがこれから先の伏線になるかもしれない、今が“起承転結”のどれか、あるいは次の起承転結に繋がる一つなのかも、、
…など自分自身なりに長期的な視点や視野を持ってみると意識の持ち方が変わってくるのかも。
つまり、〜しないと、〜がないと、〜じゃないと幸せや楽しさを感じれないということはなく、むしろ、少なくとも何かに自然に集中している時こそが幸せや一人一人の自分自身の生きやすさの一つになるのかなと思います。
身体の健康は心の健康に繋がりますが、
心の健康もまた、心身の健康に色んな意味で繋がると思っています。
一つ一つの自分のあり方、今のあり方がその先の自分自身の心身や、時には周囲の心身にも影響する一つになるのかなと思います。
身近な日常の中の一歩として、
生きやすい生き方、生きやすい今この瞬間に繋がりますように。
*画像はイメージです。
#みんなができる最初の一歩
#自分の一つの変化がいろんなものを変える
#青色の空。


青色の空。
#新鮮で懐かしい気持ち
きっと誰もが経験したことがある、記憶にある、懐かしい安心感。
完全に守られていて、一抹の不安もない、落ち着いて過ごせる感覚。
そこには自分のやりたいように、過ごしたいように過ごせる状態や環境がある。
あるいは、新鮮な解放感や新鮮だけどどこか懐かしい気持ちが湧いてくる安心感と解放感が合わさった感情や感覚。
これらは、小さい頃感じていた、家族と過ごしていた時の感覚や実家の安心感、親戚の家の安心感、友達と純粋な気持ちで遊んでいた時の感情、友達の家に遊びに行ったり友達の家族にお世話になったときの感覚、
あるいは、旅行などで自然を目にしたとき、触れ合った時、、
…などの幼い頃の懐かしい記憶と感覚や感情。
これらは誰しもみんなきっとあるはず。
大人になって振り返ると、懐かしい感覚や感情として記憶に残っている、あるいはふと思い出す人も多いはず。
大人になると社会的な責任や、生活のコントロール、あるいは環境の変化などが伴うことで幼い頃の感覚や感情から大きく離れやすくなってくると思います。
“…あれは、幼い頃にしか味わえない体験で、大人になった今の自分は大きなものに守られることもないし、もう訪れることのない青春時代のようなもの。”
…と思っている人も中にはいるのかも。
あの懐かしい安心感や解放感、新鮮な感覚や感情というのは幼い頃だったから。
…それは、背負うもの、考えるものが違ったから、純粋な気持ちでいたから。
…だとすれば、その安心感から遠ざけてるものを自分自身の中で手放せば良いのでは、、?
いつも何かと自分自身の中の気持ちや感情、思考に追われながら生きる日々。
…なのだとすれば、一度立ち止まってちょっとずつ自分の中で整理しながら手放していくことであの時の安心感や新鮮だけど懐かしいあの感覚が自分の中で見つけられるのでは、、?
人生哲学において、例えば、
全ての執着を手放した時、そこには“ある”というだけで充実した感覚や感情、気持ちがある。
苦痛が全て消え、解放された軽やかさや自由、深い安らぎ、静けさがある。
と言われています。
懐かしい安心感や解放感というのは、
自分自身の心身に大きく負荷をかけるものに縛られない、自分自身の意思と異なって強制されるものなどもない、そして守られている(自分を襲う大きな脅威が自分には来ないという確信)という状態にあるのかなと思います。
つまり、
安心感や自由がないと感じるというのは、
自分で、無意識の中で、自分自身の安心感や自由ですらも奪っている、縛っている
ということに繋がっていることもあるということ。
自分自身の思考や感覚、価値観などで自分の首を絞めてしまっているかもしれないということ。
そこから少しずつ手放した時、
安心感や解放感、自由、懐かしさ
というのは、外で起こる出来事や環境ではなく、
“自分自身の中にある”
ということ。
自分の充足感は自分自身の無意識の奥深くに既にある。
今は見えなくなっているだけ。
あとは、自分の中で片付けながら、整理しながら既にあるということに気付くだけ。
…それだけ。
まずはその一歩から。
#幼い頃・あの時の記憶
#一人一人の思い出
#青色の空。

青色の空。
#幸せとは
#幸せのあり方
もし、何も不自由なく何でも自由になることができたなら?
何を考えますか?
おそらくほとんどの人は今の現実から離れた状態が前提の内容になるのかなと思います。
それはもちろん、
“今が一番幸せではないから”、
あるいは
“今よりも幸せだと感じる状態があるから”
だと思います。
つまり、幸せの理想に入らない現実は、
“手放したい現実”
あるいは
“手放してもいい現実”
言い換えれば
“今より上の幸せがあると思う現実”
“今は幸せ度が下の方だと思う現実”
ということだと思います。
逆に今の現実が一部でも幸せの理想に入っているということは、
“手放したくない現実”
あるいは
“手放さなくてもいい思う現実”
言い換えれば、
“これがあるから幸せだと感じれる”
“幸せはこれが全て、無くなったら最期”
“幸せを今以上に求める必要が特にないと思う幸せがある”
ということだと思います。
以前の投稿で、“王者の風格の余裕”ということを話していますが、余裕というのは、全て柔軟に対応できる核となるものが経験を通じて知っている、あるいは理解できているからこそ、そして柔軟に対応するというやり方が実践できるからこそ余裕というのは生まれる。
ただ、王者の風格という強いイメージでなくとも余裕は生まれる。
つまりマイナスなことに常にとらわれずに済む余裕。
それは“体験すること、知ること”。
何を?→“幸せの下限値”を。
幸せの下限値とは、
“痛みや苦しみ”、
つまり
“心身が崩壊に向かうこと”
だと思います。
今まで自分自身が積み上げてきた全てが一度にリセットされるのであれば誰しもが大きな痛みや苦しみを伴います。
積み上げたものが全てリセットされるとなると今までの自分自身全てを否定したくなる人も出てくるくらいだと思います。
実際に現実にそういったことが迫り起こるのであれば必ず自分自身が持っているものが引き剥がされる痛みや苦しみを伴い、見えない深い闇底に引き込まれていくほど心身が崩壊していくのを感じると思います。
…でも、もしそれを事前に知る、あるいは直接体験した上で前に進むことができたとしたら、
“今あるものに集中する”
“幸せそのものを俯瞰(ふかん)して見る”
ことができるのかなと感じています。
つまり、
幸せの下限値を未体験で知らないからこそ不安で怖い。
のであって、分かれば余裕が生まれやすくなる。
そして、例えば、
今の幸せが下の方だから今は幸せなんて何もない。
これがないと幸せだと言えなくなる。
幸せには大きさの程度が必ずある。
…といったことからは離れることができる。
言いたいことは、幸せとは、
例えるなら
「この洋服は合わないから、嫌いだから嫌だ。」
「この洋服を着させられているから今の自分はプラスではない。」
「この洋服は◯◯だから今日は、今は、ここは駄目。」
ではなく、
「今日はこの気分だからたまたま着てみた」
「偶然目の前にあったから着てみたくなって着てみた」
「暑いから、寒いから、そして今日回ってきた洋服だから着てみた」
そして、
「この洋服はこうだからいつもより◯◯だけれど今日という一日を柔軟に対応してみる」
「洋服が◯◯だからというより、今は◯◯という状態で、今の自分で立ち回ってみる」
という、広い視野で全体を眺めて見た上で、日々変わるいろんな波というものも知った上で、執着なく、こだわりなく本質的な目的を基に一日一日冷静に考えながら過ごすということに、普通のイメージとは違う形で自他共に評価することのない“本質的な幸せ”(=今の自分で今という状態に置かれた上で評価することなく日々を過ごすという行為を通した生きるという幸せ)があるのかなって思っています。
#本質的な目的と幸せの形
#青色の空。


青色の空。
#真実と事実に気付くということ
ある時、ハッと気付くこと。
そして、それを機に少しずつ変わっていくことは誰しもあるはず。
人は生まれてから今日の今まで生きてきた中で体験や経験を通して、知識や習得、学習などを行ってきています。
それは一人一人の自分自身が最善かつ最適に生きていくために必要なこととして本能的に、無意識的に行っていたりもします。
これを基に一人一人が思考・判断を行い、行動に移しています。
これを分かりやすく体現できるものとして、
「なぞなぞ」や「脱出ゲーム」、「推理ゲーム」、「考察」などがあります。
つまり、一般的に言われるPDCAサイクルのように、
知識や習得、学習したものなどを基に→考えて→判断して→行動して→結果が出て→
→結果を認識して→評価して→気付く→
→さらに学習、習得を通して改善する
といった流れを通して人はみんな最善かつ最適な生き方として今という一分一秒を生きています。
ハッと気付く瞬間、そして、
それを機に一人一人の自分自身が変わる瞬間。
というのは、
事実と真を得た真実に
“気付くこと”
“見抜くこと”
にあるのかなと思います。
例えば、何も分からない未経験のことに対しては、手探りで様々な結果を想定してたくさんの準備(思考と判断)をして行動します。
そこにはたくさんの不安やリスクも想定した上で慎重に行うことが多いはずです。
そして結果が出た時、その結果に対しても様々な影響を受けたことを想定して慎重に結果を受け取ります。つまり未知の結果をそのまま鵜呑みにはしない。
そして慎重に気付いたり、見抜いたりしながら改善を行っていく。
人それぞれのペースやサイクルに個人差は大きくあれどだいたいこんな感じかなと思います。
こんな感じのサイクルだと、とにかく最初はとても労力と時間がかかる上に非効率なのが分かるかなと思います。
このサイクルは通常は純粋にそのまま改善するのですが、それは事実や真を得た真実に基づいた場合のみ。
つまり、事実や真実を得ない推測や憶測、つまり思い込みや先入観が発生してしまうとその分このサイクルに手間が生じてしまい、負担と時間がさらにかかることになります。
…何が言いたいのかというと、
普段私たち一人一人が頭の中や身体の感覚を通して行動しているというサイクルの流れ。
これがもし、
全て“事実”や真を得た“真実”だけに
気付いて、
見抜いて、
そして、さらにそれを基にして、ということを繰り返し続けた時、一人一人であるみんなは
今よりも生きやすくなるということ。
逆に真を得ない推測や憶測を基に繰り返し続けてまうと、
様々なことができなくなったり、
障がいが増えたり、
八方塞がりになったり、、
…つまり、思うように上手くいかない方向に進んでしまう、
生きにくくなるということ。
とはいえ、
これは要領もあるので、
一人一人の個人差はなんだかんだでとても大きいです。
ただ、一人一人、自分なりに一歩ずつ、ちょっとずつ憶測や推測を見直しながら、手放しながら、事実や真実に気付いたり、見抜いたりしていくことが生きやすい生き方への一歩になるのかなと思っています。
この投稿が、一人一人の“今”という状態の中でバランスをとる一つとなりますように。
#知識や記憶とは違う意外な観点
#智慧の力
#青色の空。


青色の空。
プロローグ(4/5)の続きです。
これが最後になります。
⑦“真の自由”と“幸せ”に気付いてみる
全ての苦しみから解放されて、真の自由と深い安らぎを得る。
(解放された自由感と波風が起こりにくい静かな水面が常に自分の中にあるイメージなのかも。)
この段階では、
深い精神的な充足感、生きる喜び、感謝に満ちた状態になります。
*この段階は、必ずしも一生の内にみんなが全員到達できるものではありません。
ただ、目指す方向性として意識してみることは大切なのかなと思います。
ここまでの7つのステップは必ず直線的に進むものではなく、行ったり来たりを繰り返しながら次第に深まっていきます。
“ここがゴールだ!”
“ここが最高の幸せだ!”
というものではありません。
気付いてみると、改めて感じてみると、ここが本当の自由と幸せと調和なのかな、、?
といったような感覚なのかな、、と思ったりします。
(もしかすると、人それぞれ違うのかもです。)
ここまでが生きやすくなるポイントの一つです。
これらを意識してみると今までよりも穏やかな人生になるのかも✨
ぜひ参考にしてみてください。
#青色の空。#あぉぃろコラム#プロローグ#自由と幸せとは?#心が水面になるということ
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青色の空。
#自分の理性と冷静さ
人が複数人いる状態で会社や組織など、
集団が一つのまとまりをもって同じ方向性に
向かって行動する時、そこにはリーダーや責任者という人が存在することがあります。
これは一つのまとまりや一つの方向性として行動するにあたって、効率的かつ必要な機能として存在しています。
リーダーや責任者というのは、
行動や結果に対する責任を負うことに加えて、
複数人という多種多様な存在を把握した上で
管理や伝達など多種多様な一人一人が集まった集団をまとめること、
そしてさらにその場の状況や状態を俯瞰(ふかん)し把握・管理した上で考え、総合的に適切な答えとして判断するという役割があります。
この役割のハードルと負担の多さにリーダーや責任者を自ら目指す、志望する人はとても少ないと思います。
もちろん、これは慣れというより総合的な状況・状態把握として、どこでどうラインを引いてどのような判断をするのか、といったセンスなどもあるので適材適所が求められる側面もあると思います。
…これは社会的な場面においての話。
ですが、一人一人の内面においては、実は自分自身が自分自身をいつも俯瞰(ふかん)していて、全体的な状況・状態を把握した上で決断・行動しています。
例えば、
決断や行動について、目の前の状況を優先するのか、
あるいは、
目の前よりも長期的な持続性を優先した決断や行動するのか、
など、様々な選択を私たち一人一人は常に行ってきています。
…実はこれが難しいところ。
というのも、リーダーや責任者など、社会的に実際にしている人ですらも苦戦している人だって多くいるのかも。
何故ならそんなに完璧な人であれば既にその人自身が神様的存在として多種多様な複数人の集団ですらも一人一人見透かしていて、日常生活レベルですらも寄り添えているはずだから。
常に一分一秒の中で、いわゆる“自由”と言われている状況において、把握から決断・行動というのは多種多様あるといえど、総合的なものの中から“適切”というラインの引き方や、結果としての“適切”という評価の仕方やあり方など、
簡単なようでとても高度なセンスが、一人一人の生き方に常に求められているのかなと感じています。
…つまり、言いたいこととしては、
一人一人の、一人一人なりの知識、経験、理性などがどれだけ一人一人の自分自身の生きやすさに繋げられるのか。
というところが生きやすい生き方として大切になる一つなのかなと思います。
そんなに考え込む必要はない。
短期的、長期的、、そんなに恐れなくてもいい。無理しなくたっていい。
自分の好きのまま、あるがままとはちょっと違う。
自分を整理して手放した時、自分で自分自身を冷静に見つめて自分を感じたり考えられるようになった時、
その先に自分自身に対しての柔軟な行動と結果がある。
ということ。
…今はまだ少し難しくて、言語化しづらくて、
言語化したとしてもみんなに伝わりにくいところ。
文量や表現的にも。
だから今はまだ難しいかもしれない。
分からない人も多いかもしれない。
いや、多いと思う。
でも、一つ一つ整理していく中で分かる気がする時がきっとくる、、はず。
一人一人にとって、一人一人の多種多様ある人生の中で、何かのヒントになりますように。
#人生を生きるということ
#理性と自分と智慧
#青色の空。

青色の空。
#コミュニケーションとは
…というお話。
ある時、仕事などで、
「これやっておいて」
「これをお願い」
「ここを掃除して」
…などを急に言われた時、
やること自体はできても、
“…何のために、、?”
あるいは、
“…急になぜ、、?”
と、思う人はいるはず。
突発的に、
「ねぇ、じゃんけんしよ?」
と、友だちから急に言われた時、
“…訳が分からない”と思う人もいるはず。
何かをする時、
あるいは
物事に触れる時、
目的や前提があるのと無いのとでは大きく違ってくる。
例えば、目的や理由などを知ることで、
仕事で上司から
「ここはこういう風にすればいい」
と言われる一手間がなくなる。
急に目の前のことだけにとりかかるのも一つだけれど、一つ一つのやることに対して本質的な目的があることや、前提が本質的であることは柔軟に物事を進めていく上で大切な一つになるのかも。
つまり、
人に伝えるのも、
自分でやるのも、
“目的や前提が柔軟さに繋がる”
ということ。
目的はできるだけ目の前ではなく何をするにしても共通する一つの本質的な目的をはっきりしておくと良いのかも。
その上で自分自身がしっくりくる目的として具体化していくとスムーズにいくはず。
#コミュニケーションと身近な人生
#目的や前提を見直してみるということ
#青色の空。

青色の空。
#柔軟さをもつということ
人は、初めて何かを経験するとき、
自分の才能やセンスを活用することもあるけれど、だいたいの多くの人は手探りで何かを掴もうとする人が多いと思います。
いつも全く同じことをしている人や、
対象は常に変わるけれど同じことをしている人(料理や接客、教えることなど)
は、共感できることが多いのかもしれないです。
人は、初めて何かをする時は才能やセンスなども含めて手探りでやっていくと思います。
試行錯誤の状態。
その中で何かを掴もうと、何かを得ようとし始める。
人は慣れてくると余裕ができ始め、試行錯誤の経験から得た結果を基に学習し始め、試行錯誤の中の疑問と共に法則や法則の中の制限を作り始めます。
(〜した方が絶対良い、〜してはいけない、〜では駄目だ、〜すべきだ など)
この段階ではある程度慣れてスムーズにできるようになります。体感としてはある程度以上にほぼほぼ完成した感覚を得始めます。
しかし、不思議なことに、さらに何度も同じことを繰り返すと、自分の中で作った法則や制限がなくなり始めます。
この法則や制限が全てに通用しなくなることや、法則や制限を作ること自体が壁に感じるようになってくるからです。
そして、結果として、“柔軟な本筋” といったところに辿り着く。
そこには、法則や制限といった全てにおいて、何に対しても変わらないものはないけれど、
どんなものに対しても対応できる柔軟さと、そこに辿り着く大きな方向性は確実に見えている状態。
完全に熟練した、達人や職人のような領域。
つまり、
「〜した方が良い、〜が良い」
…などを言っている内はまだまだで、
その執着を越えた、どんなところから、どんな状態からでも到達できるような大きな柔軟さがあり、それでありながらも、
「〜だとより良いんじゃないかな。」
などといった、多種多様の中でも大きな方向性を指し示す、一歩離れたところから見るような、俯瞰(ふかん)するような、慣れ始めた時の余裕とは違う、静かで穏やかな余裕のあるところから見える状態が一つの最終的な到達地点。
…なのかもしれないなって
思ったりするこの頃。
#物事の経験と人生の経験
#身近にある熟練と内面の熟練
#青色の空。

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