今の所に引っ越してきて丸10年が経った。ここに来て最初に思ったことは人がどんどん繋がっていくこと。誰かの知り合いが誰かだったり自分が好きなことややりたいことをその誰かが繋げてくれたりゆるやかに 無理なく 楽しく 繋がるそんなこの場所が居心地が良くて好きだった。でも気付いたら、いつの間にか『楽しい』ことを『義務』のように感じるようになりいつの間にか、またレッテルを貼られそれに縛られて、制限されて、それでも私は笑ってた。気付いたら何も入らないほどに心の水が溢れていた。だから全部ひっくり返したら少しずつ新しい水が入ってきている気がする。今年に入ってから、風を感じることが増えた。触手が動くことが増えた。久しぶりに頭が忙しくて目移りして人と会話するより自分の思いが先行して反省することも多いけど久しぶりに『私』が走り出そうとしているのがわかる。まだその一歩がちょっと怖いけど、1人じゃないから踏み出せる気がする。小学生の時は自分のやりたいことを率先して周りに広めて先頭きって1人でずんずん進めたのにいつの間にか誰かと何かをやろうとする時私はいつもフォローする側にいた。前に立つより、前に立つ人達が楽になるようできることをして関わることが幸せだった。勿論、これからもそう言うこともあるだろう。でも、これからは新たなフェーズな気がしてる。私1人ではなく 想いを共有する誰かと創る。やってみないとうまくいくかはわからない。想いがぶつかり合うことになるだろうから折角仲良くなったのに、崩れてしまうのが怖いという思いもある。それでも 風が吹いている。このタイミングで新たに繋がれた人たちと何かを生み出すきっかけになるなら前に進めるきっかけになるならカケラを拾って走り出したい。手を繋いで 光の差す方へ私の直感と感覚が私を呼んでいる。久しぶりに ワクワクしている。弥生。いよいよ。生い茂る時。大きく息を吐きゆっくり息を吸うそして自分を愛しながら一歩踏み出す春にしよう。『風はすべて追い風。私がどこを向くかだ。』やっとそっちを向けそうと振り返った今日。#詩的な日 #尾形真理子