#詩を食む 中原中也さんは割と知っている人もいるだろうけれど、個人的に無理矢理つけた比喩表現よりも、割とすぐに大半が入ってくるから読みやすい。「汚れちまった悲しみに」は色々な解釈されてる。恋愛の詩なんだけれど、世俗に汚されてしまった純粋な心が○○○…とか解釈されてはいるけれど、人が書かれていない事に着目して、悲しみを想い人に置き換えてみる。 汚れてしまった想い人 だとしたら自分が本当に純愛だったのに、そうではない人(物珍しさや容姿だけとか遊び感覚等)に奪われ、最終的には倦怠で、何も出来なくなって死のうとしている様にも取れる。本当に愛してる人いたら自分だってそれが純愛だと信じて疑わないから、実らんかったら死んでしまいたくもなる。現代詩だと最果タヒさん、井戸川射子さんも好き。「天国手前」、この人のは特にどんな解釈でもできる。 普通ならどうしても○○に会えない気がしてってなると思うのだけれど、○○を入れない事で人じゃない何かでも解釈ができる。これが人じゃないとしたら、人生においての目標だったとしたら、それを目指していく過程で大事なことを見失って取り返しがきかなくなってしまった様な。 (天国手前という詩題から)もしくは”会えない気がして”だからそもそも叶う気がしない、目指せる様な環境に無くて、ただ生きることに必死で、死に際には何故生きてきたのか分からなくなってしまったとも。そもそも、自分の今の状況、悩みとかどこにいるとか、それだけで様々な解釈ができるのが詩の良い所かなと。作者がどんな気持ちで書いたかも勿論重要だが、大勢がどう感じたかとか正しい解釈なんてのはどうでも良くて、自分がどう感じたかが大事だと思ふ。