僕は今まで知らなかったんですが、「百聞は一見にしかず」ということわざはよく知られていますが実はその先に「百見は一考にしかず」そして「百考は一行にしかず」と続くようです。さらにまだその続きもあるようですがつまりこれは僕が思うに、自身がある物事をより深く理解するための努力、あるいはまた人により分かりやすく伝えるための努力には果てがないのだということを教えてくれているのではないかと。長じて「理解」という概念そのものに果てが無いという哲学的な意味も込められているというか、この世界のことを僕はまだまだ理解出来ていないしまだまだこれからより深く知ることが出来るという、戒めではなく希望のことわざなんじゃないかってそんなことを暇なんで考えていました[穏やか]#要するにヒマなんかーい