長崎原爆が落とされた日、曽祖父は警察署長をしてて、ただ曽祖父は長崎市外だった為に被曝はしてなくて、でも長崎市の警察官も何人かお亡くなりになったりしたから警察官が足りなくて曽祖父も応援に入り、曽祖父は遺体運搬の指示などの作業をしてたらしくて、曽祖父は別の人の運搬を支持してたら横にいた子どもから制服のズボンの裾を力なんてほぼない中、あまり残ってない力で引っ張って、曽祖父に水が欲しいって周りの声に消されるような弱い声で話したらしく、曽祖父は子供好きだったが今の状態に水を与えたら、薬も原爆により燃え無いし、確実に亡くなると思ったが、その子の言葉に抗えなかったらしく、スプーン一杯すらない量を与え、その子は数分後には曽祖父の目の前で息を引き取ったらしいです。この事は忘れられないと曾祖母に話して50歳少し過ぎて亡くなりました。今世界でまだ戦争が続いてるけど最後の被爆地は長崎のまま続いて欲しいし、被爆者の方も亡くなられていく中で遺族の方や伝承してくださる方の証言がこれから続く事を祈うばかり#長崎原爆#被爆者3世
トランプ大統領が原爆について言ってたけど。もう最後の被爆地は長崎だけに終わらせて欲しいし武力で戦争を終わらせようなんてもうしないで欲しい。武力で戦争終わらせても良いことない。って演説聞いて思った#長崎 #被爆者3世 #社会人2年目