【観測記録】主権者のハイパーインフレと「人身御供」の時代#ホッブズ #ロック #ルソー #孟子 #荀子 昨今のSNSや社会情勢を眺めていると、**「主権者のハイパーインフレ」**が起きていると確信せざるを得ない。誰もが「我こそは主権者だ」と権利を叫ぶが、その内実は、かつての哲学者たちが警鐘を鳴らした「バグ」の展覧会だ。この末期的状況を、古今東西の思想という「鏡」で分析してみる。1. 責任なき自由:ロックとルソーの誤読現代の大衆は、ジョン・ロックが説いた「他者の権利を侵害しない範囲の自由」を忘れ、ルソーの「一般意志」を「自分のワガママ」と履き違えている。本来、主権とは国家との「契約」であり、インフラ(水道や道路)を維持するコストや責任を引き受けることだ。しかし、今の主権者は「権利(給付金やサービス)」だけを無限にインフレさせ、その土台である「公共投資」を無駄だと叩く。2. 剥き出しの本性:孟子と荀子の対立「人間は成長する」という孟子の性善説に、私は極小の希望を託したい。しかし、SNSという匿名空間で繰り広げられる吊し上げを見れば、荀子の「性悪説」が正しいと突きつけられる。人間は放っておけば欲望のままに動く。かつての日本には「仁・知・勇」という儒家の徳があったが、明治維新でそのOSは壊された。今や内面的な「徳」で自らを律する者は稀であり、家名を汚さぬよう振る舞う「郷士的な矜持」は死語になりつつある。3. システムによる統治:韓非子とホッブズの限界会話の成立しない大衆を前に、私は韓非子のような冷徹な「法治」の必要性を感じる。実害があれば法(弁護士)で叩く。それはホッブズが説いた「万人の闘争」を避けるための、現代における最小限の秩序維持だ。しかし、韓非子的なシステムは効率的だが、人間を「損得で動く家畜」として扱う。そこに「名誉」や「誇り」は存在しない。4. 物理的陥没と「人身御供」このハイパーインフレの果てに何があるか。年間1万件の道路陥没、放置されるインフラ、衰退する農業。これらはすべて、主権者が「目先の利益」に狂い、未来への投資を拒んだ「因果応報」だ。ホッブズの言う「死の恐怖」が目の前に迫るまで、大衆は目覚めない。幼稚園バスが穴に落ちるような「人身御供」が捧げられて初めて、彼らは自分たちが何を壊してきたかに気づくのだろう。結論私は本名で責任を引き受け、裏アカで毒を抜き、大型トラックのハンドルを握りながら、この「亡国への行進」を観測し続ける。「なすようにしかならない」と達観しつつも、この記録をいつか来る「再生」の種として残しておく。「愚民の上に苛き政府あり」この言葉を噛み締めながら、私は今日も地雷原のような道路を、ドボンしないよう慎重に走り抜ける。