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チョロごんの塊

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「承認欲求」という感情は、ときに現代人を束縛する“呪い”のように働いているように思う。 SNSによって他者からの承認は数値化され、可視化され、日常的に確認できるものへと変わった。さらに、家族・学校・会社といった中間共同体が弱体化した結果、人は現実世界で安定した承認を得にくくなり、その“痩せ細った承認の穴”を埋めるために SNS に寄りかからざるを得ない。この意味では、SNS は承認を分散させうる新しい場でありながら、実際には頼りすぎてしまう構造もまた同時に生じている。

若者が SNS で承認を求める背景には、発達段階として普遍的な「大人に見られたい」「一人前扱いされたい」という動機がある。しかし SNS では、かつての雑誌のような“遠い憧れ”ではなく、一般のユーザーですらインフルエンサーのように振る舞えるため、憧れとの距離が不自然に近く見える。 この“距離感の破壊”が、「自分でもできるのかも」という錯覚を生み、背伸び行動を過剰に誘発している面は無視できない。動機自体は歴史的に普遍でも、SNSという媒体が示す“模倣のしやすさ”が、行動の強度を跳ね上げている。 また、情報環境の変化も承認の獲得と深く関わっている。ネットには粗悪な情報が氾濫し、特に TikTok のような短尺コンテンツでは背景知識がなくても政治的・社会的言説に触れてしまう。問題は “情報の質が落ちた” ことではなく、“個人が選別すべき情報量と速度が爆発的に増えた” ことだ。一次資料を遡り、自分の頭で構造化するという基本作業の要求水準が急激に高まったため、結果として偏った意見を「自分の考え」として取り込んでしまう人も増えてしまう。 こうして社会がつくり出す構造と SNS の特性が重なり合うことで、承認に依存しやすい循環が強化されている。しかし忘れてはならないのは、承認不安に苦しむ若者たちは、単なる“被害者”ではないということだ。たしかに、彼らは弱体化した共同体や過剰な情報環境といった社会構造に巻き込まれている。しかし同時に、SNS 上の文化や価値観を日々再生産している主体でもある。

つまり、若者は“構造に産出される存在”であると同時に、“構造を作り続ける存在”でもある。その二面性を無視して一方を断じてしまうと、現象の本質を見誤る。

だからこそ、承認に飢えた人たちに向き合うとき大切なのは、特別な対策よりも「思ったことを率直に伝え、良い部分は具体的に褒める」という、ごく基本的な関わりを丁寧に積み重ねることではないか。現実世界での承認回路が痩せ細っているからこそ、人と人との“手触りのある承認”がいままで以上に重要になっている。
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