偏屈な人の戯れ言~貫く自由私“なり”の責任感。私“なり”の思い遣り。結構届かなければ、“悪”それでいい。そもそもそんなに、善人だと思っていない。納得できなければ、あなたの“べき”では動かない。私は、私の“べき”で動く。そして、その“べき”を押し付けるつもりもない。偏屈所以の業は、自ら受けている。──何か問題が?私の投稿は、何者でもない、ただの人の戯言。プロフにも書いてある。“諸行無常の物語”であって、真理の発信ではない。ただの人が、あれこれ考えたことを書いた徒然帖でしかない。あの時ああ言ってたじゃないか、と言われたとて、「あの時はそう思いました」としか言えん。否定や批判は、いったん自分の考えを揺さぶる契機になる。それがあるからこそ、思考の可動域は広がっていく。「そういう見方もあったか」と思えた瞬間、そこはもう“勝ち負けの世界”ではなく、“発見の世界”だ。「自分が正しい」というスタンスで向き合うと、相手の言葉は“情報”ではなく“脅威”に変わる。その場所には、探究の余白がない。議論の本質は、正しさの競争ではなく、視点の交換。相手を変えるためではなく、自分の思考の形を確かめるために行うもの。──“自分が正しい”という姿勢は、議論を閉ざす。#諸行無常の物語 #自律と探求 #灯のこすことばたち #私日記徒然帖 #ことばりうむの星