「恋愛においての無償の愛というのは、基本的にありません」その深意は?-つづき-片思いという話じゃないにしても、人間誰しも「嫌われたくない」「好かれたい」という気持ちがあるものです。打算の愛、依存心を使ってしまうことが多いわけです。例えば人に贈るプレゼント1つを取っても、本当に無償の愛のプレゼントもありますが、やはりどこかで「喜んでほしいな」という気持ちはありますよね。これは悪いことではありませんが「喜んでいる姿が見たい」という見返りを期待してしまうんですよ。例えば、プレゼントを渡したのに相手の反応が薄くて「喜ぶ顔が見たかったのにな」と思うのは、依存心なのです。プレゼントはお渡しした瞬間、放念しなければいけません。後日、お礼を言われたときに思い出して「ああ、良かった」という気持ちになれば良いだけ。それを「喜んでくれるかな?」「どうかな?」と見ていたら鬱陶しくて、もはや無償の愛ではないじゃないですか。最初は「喜んでくれたらいいな」という気持ちでも良いですが、そこをぐっと無償の愛に持っていきましょう。親子の愛でも、無償の愛なんてなかなかないんですから。「出世してほしい」「○○になってほしい」「元気に学校に行って、泥だらけで帰ってきてほしい」とか期待しちゃうでしょう? なので恋愛にせよ、子育てにせよ、すべては人間関係のうえで成り立っています。「これはこの人にとって良くないな」と思えば距離を置くなどしてコントロールする。それが自律です。そう定義すれば、恋愛をする・しないにかかわらず、誰もが幸せです。孤独ではなく「孤高に生きる」のです。夫婦であっても、恋人がいても、孤高じゃなければダメです。相手に依存せず、自分は自分。#江原啓之#自分が楽になりたいからという考えはもう依存心