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なお
〜創世記が教える、あなたが「ひとり」ではない理由〜
僕が創世記を読んでいて、ずっと心に残っている言葉があります。
それは、神がアダムを造られた後の場面です。
「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
(創世記2章18節)
この「ひとりでいるのは良くない」という言葉、原文のヘブライ語ではとても豊かな意味を持っています。
ヘブライ語で「良くない」は לֹא־טוֹב (lo-tov) です。
実は、創世記1章で神が創造を終えられたとき、すべてをご覧になって「非常に良かった」(トーブ・メオッド)と宣言されています。
それが、ここでは初めて「良くない」という言葉が出てくるんです。
僕はこの箇所を読むたびに、胸が熱くなります。
神は、完璧な世界を造られたはずなのに、
ただ一つ「人がひとりでいること」だけを「良くない」と宣言された。
それは、神ご自身が「孤独」を深くご存じだからではないでしょうか。
そして「助け手」と訳される言葉、ヘブライ語では עֵזֶר (ezer) です。
この言葉、実は「下から支える助手」というような弱い立場を表す言葉ではありません。
聖書の中では、神ご自身が私たちの「エゼル」(助け)であると語られることもある、強い力を持つ言葉なんです。
つまり神は、アダムのために「単なるお手伝い」ではなく、
対等でありながら、互いを完全にする存在
を造ろうとされた。
僕はこのことを考えながら、自分の人生を振り返ります。
確かに、一人で頑張ろうとすると、視野が狭くなることがあります。
でも、誰かと共にいることで、見えなかったものが見えてくる。
自分一人では気づけなかった、新しい側面を発見できる。
神が女を造られたのは、
アダムが「孤独」で終わらないため。
彼が、自分とは異なる存在を通して、
自分自身をも、世界をも、より豊かに知るため。
そしてそれは、きっと私たち一人ひとりにも通じる問いかけなのだと思います。
神は今も、
あなたが「ひとりぼっち」でいることを「良くない」と思っておられるのではないでしょうか。
モーセ五書を読むたびに、こうした神の細やかな配慮に気づかされます。
表面的な物語の奥に、人間への深い愛が込められている。
僕自身、まだ学びの途中です。
でも、こんな風に聖書の言葉と向き合う時間が、
少しでも誰かの心に響くなら嬉しいです。
もしこの話が気になった方は、
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絵本のような優しいタッチのマンガで、
創世記の世界をもっと身近に感じていただけたら、
これ以上の喜びはありません。
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なお
SNSで話題のあの衝突を見るたび、胸が苦しくなります。
同じ創造主を信じる者同士なのに、なぜこれほどまでに傷つけ合うのだろう。
「隣人を愛しなさい」という教えは、どこへ行ってしまったのだろう。
そんな問いを抱えながら、僕は最近『申命記』のある一節と深く向き合っています。
申命記10章19節ー「寄留者を愛せ」という命令
「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であったからである」
(申命記10:19)
ここで言う「寄留者」とは、ヘブライ語で「ゲール」גֵּר といいます。
土地にも血筋にも属さない、文字通り「よそ者」のこと。
この命令が語られた背景を、僕はマンガを描きながら考えました。
イスラエルの人々は、エジプトで長く「寄留者」として、つらく苦しい経験をしました。
自分たちが味わったその孤独と痛みを忘れないために、
神は「寄留者を愛せ」と命じたのです。
ここで使われる「愛する」という言葉は「アハヴ」אָהַב。
単なる感情ではなく、具体的な行動をもって示す愛。
保護し、正義をもって扱い、共に生きることを選ぶ意志的な愛です。
戒律の中にある、深い「記憶」の力
僕がこの節から学んだことは、神の戒律の根底には「記憶」がある、ということです。
「あなたたちも……であったからである」
この言葉がすべてを物語っています。
自分が苦しんだ者だからこそ、他の苦しむ者に手を差し伸べられる。
自分がよそ者であったからこそ、今のよそ者を心から受け入れられる。
では、なぜこの「記憶」が失われ、隣人への愛が戦いに変わってしまうのでしょう。
僕の気づきは、こうです。
私たちは、自分が「寄留者」であったことを忘れ、いつの間にか「土地の主」になってしまうのではないか。
かつての自分に必要なものを与えてくれた「神の愛」を、
今度は自分が与える側として実践するのではなく、
自分の立場や教えを守る「権利」にすり替えてしまっているのではないか。
同じ創造主を信じる者同士で、殺し合いが正当化される時
モーセ五書を読むと、神は確かに戦いを命じる場面もあります。
しかし、それは決して「信仰の異なる者を抹殺せよ」という無差別な命令ではありません。
むしろ、神の正義と契約に基づく、限定的なものでした。
そして、そのような文脈でさえ、神は繰り返しこう言われます。
「寄留者を虐げてはならない。あなたたちもエジプトの国で寄留者であったのだから」
この根源的な記憶と共感が抜け落ちた時、
「神の名」が、自分たちの憎しみや恐怖を正当化する道具にされてしまう。
僕はそう考えずにはいられません。
問いを抱え、共に五書を学ぶことから
僕にすべての答えがあるわけではありません。
今、世界で起きている複雑な対立を、単純に解決できるほど聖書は浅くない。
だからこそ、僕は学び続けています。
モーセ五書は、神と共に生きるとはどういうことか、
隣人とは誰か、を問い続ける書物です。
その問いを、僕はマンガという形で共有したい。
読みやすく、でも核心からは逃げずに。
同じ創造主を信じながら、なぜ私たちは傷つけ合ってしまうのか。
その答えは、もしかしたら「あなたも寄留者であった」という
シンプルすぎるほどの記憶の中にあるのかもしれません。
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僕自身、読者の方々と共に、この難しい問いを五書から学び続けたいと思います。
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