物理的な1人より、心の1人の時に、孤独をより強く感じる。そんな時、ふとぜんぶ捨てたくなる。言葉も、予定も、期待も。いい人でいようとすることも。 卒園式で泣く“子どもらしい自分”を、どこか少し遠くから見てるもう一人の私が、ずっといた。「ああ、わたしって、いま、泣いてるな」そんなふうに、静かに。感情のただなかにいながら、同時に、観察者でいる。そんな距離を、私は昔から持っていた。 だから、なのかもしれない。人といると、ふと自分が“演じてる”ような違和感がよぎる。それが続くと、苦しくなる。本音を出していないわけじゃない。でも、「この感じ、ほんとうの私だったっけ?」って、問いが胸の内に浮かぶ。孤独の中でだけ、その問いにじっくり向き合える気がする。誰も見ていない場所で、演技じゃない私を、もう一度感じなおせる。 私にとって、外に出ることは、戦闘開始の合図だ。誰といても、どんなに楽しくても、ほんの少し、気が抜けない。──どこでも眠れる人、そういう人を見ると、ちょっと羨ましくなる。リラックスしてるんだろうな、って。私は、外では生理機能をストップさせるほどの、過緊張状態。気を張って、気を遣って、でもそれを悟られないようにしてる。 ほんとうは、もう少し、安心したい。もっと深く、息をしたくなる。帰りたくなる。 友達と遊んでいて、すごく楽しいときでも、ふいに焦るの。「はやく1人になりたい」って。笑いながら、どこかで心が退路を探してる。他者と交わることは、酸素の少ない場所に入るような感覚。 でも、ずーっと1人でいると、「私、ダイジョブかい?」ってなる。急に現実の輪郭がぼやけて、誰かに「生きてる私」を確認したくなる。だからまた、人に会って、ごはんに行ったり、笑ったりする。けど、やっぱり帰りたくなる。あの、静かな部屋へ。誰にも触れられない、わたしの空気層へ。 1人は、安全。孤独とは、逃げ場所じゃなくて、呼吸の場所。自分に戻るための、心のセーフルーム。#矛盾だらけの本音#心のセーフルーム#孤独と私#私に戻る場所#ことばりうむの星