映画【アシュラ】の感想(その5)終わり園子温監督の映画【冷たい熱帯魚】が実話ベースながらも傑作だと言われるのは、監督が殴ってでも伝えるぞと言う気概が後半に元の事件とは関係なく描かれている点。主人公の社本さんは、娘に『生きるってのはなぁ痛いんだよ!』と伝えるがその想いも虚しく、『クソ親父…』みたいに罵られる。生きづらいと嘆く人達よりもアシュラの方が生きづらいはずです。絶対的貧困と相対的貧困の違いのように。絶対的貧困は、生活水準が満たされてない状況。言わば明日生きられる保証すら無い状態。相対的貧困は、その国の平均的な経済力の中央値未満の状態だと言われてますが、今は格差が広がって70%以上はこの中央値未満だと肌感で思ってます。稼いでる人間が30%ぐらいがものすごく中央値を押し上げてるだけで。だからこそ謎に推しに自分の僅かばかりのお金まで投げて使う人達がより哀れに見えます。依存(いそん)させようとしているし、青天井(青=空が天井なので天井知らずという事。)な推し活は破滅的。特に投げ銭行為。自分の首をわざわざ自分で絞める必要がない。もっと本当に自分を楽しませてくれるものにお金を使えば良いと思います。アシュラの嘆きを見てまだ自分の方が生きづらいと思うなら嘆けば良いとは思いますが、そんなふうに若者達が嘆きたくなる世の中を作ってしまったのは大人の責任だとも思います。だからと言ってお年寄りは年金貰う前に消えて欲しいは自分達がお年寄りになった時もっと酷いことになると想像していただきたい。悪いのは年金を貰うお年寄りではなく無策無能な官僚でしか無い。ただ官僚としては、しもじもが死のうがお年寄りが年金貰う前に消えていただいた方が良いと言う施作しか取ってないとは思います。槍で突き上げるなら横じゃなく上。終わり。#アシュラ#ジョージ秋山#冷たい熱帯魚#絶対的貧困#相対的貧困