👟リピ散歩【水戸街道編】5日目①また上げるの忘れた日曜日のリピ散歩です(笑)今回は藤代駅〜牛久駅まで進みました。距離は短いですが案外起伏のあるルートだったので暑さも相まってヘロヘロでした🥴🔹平国香供養塔小貝川、谷田川を越え龍ヶ崎市へ入ります。まず立ち寄ったのは平国香供養塔です。平国香は平将門の叔父(将門の父の兄)にあたる人物で平将門の乱において将門と争い戦死しました(その後、将門は国香の息子である平貞盛に討たれています)この宝筐院塔は鎌倉時代後期〜室町時代前期に建立されたようで、将門の子孫と称する相馬氏がこの地を治めていた際に建立したそうです。🔹新旧水戸街道追分馴柴小学校北のT字路に1826年建立の道標が建っています。以前、土砂降りの中で到着した水戸街道と初期水戸街道との追分です。『布川 三里』『水戸 十六里』『江戸 十三里』🔹若柴宿追分から道なりに800m ほど進み、大坂を上って若柴宿へ入ります。初期水戸街道の頃から置かれた宿場町で往時の形態を色濃く残しています。🔹金龍寺若柴宿の外れにある金龍寺へ立ち寄りました。1338年、越前(福井県)で討たれた新田義貞の首は尊氏の待つ京へ運ばれ、胴は坂井市にある称念寺に埋葬されました。その後、義貞の孫である横瀬貞氏(諸説あり)が義貞の菩提を弔うため称名寺より遺骨を譲り受け、廟と木造を安置して金龍寺としたそうです(1417年、群馬県太田市に建立)時は流れ1590年、貞氏から8代後の子孫である由良国繁は豊臣秀吉により太田から牛久へ移封された際に金龍寺も移転したそうです(ちなみに太田市にある金龍寺は館林城主になった榊原康政(徳川四天王)により再建立されたそうです)本堂を左手から裏へ回ると義貞・貞氏・国繁の五輪塔が順に祀られていました。#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道 #新田義貞 #由良国繁