野生の理性に学ぶ「真・平和論」#非核三原則 #平和 #野生 #理性的 「非核三原則」を道義だと言って思考停止している今の日本は、冷静に考えてどこか壊れてはいないだろうか。【強盗の例え】「強盗に遭って大怪我をした。だから二度と襲われないために、鍵もかけないし、護身術も習わない」……こんな人物がいたら、誰もが「正気か?」と心配するだろう。だが、日本が「唯一の被爆国だから核を持たない(備えない)」と言っている姿は、これと本質的に同じだ。被害を受けた経験を、“無防備でいる理由”にすり替えてしまっている。【野生の王国という現実】左派も、親米右派も、世界が「理性的に運営されている」と誤解している。だが国際社会の実態は、法も道義も最終的には力に裏打ちされなければ通用しないサバンナの野生の王国だ。そして皮肉なことに、野生動物の方が、人間よりよほど理性的である。 • ライオン同士は無意味に殺し合わないなぜなら相手も「自分を殺し得る牙」を持つと理解しており、戦うコストが極めて高いと計算できるからだ。 • 一方、人間は「牙を抜くことが平和だ」と錯覚する。それは捕食者に対し、「私は無抵抗で安全に食べられる存在です」と宣伝しているに等しい。【結論:愛玩犬国家からの脱却】「持たず、作らず、持ち込ませず」この三原則は、もはや平和の理念ではない。主権を放棄した国家の去勢宣言に近い。真の抑止力とは、核を「今すぐ持つ」ことではない。持つ選択肢を、主体的に保持していることだ。だから必要なのは、次の三原則である。 • 持つかもしれない • 作るかもしれない • しかし、他国の核は持ち込ませないこの「牙」を持って初めて、国家は対等に扱われる。平和を語るなら、まず牙を持て。対等な力関係があってこそ、サバンナ(世界)に一時的な静寂が生まれる。そろそろ日本は、アメリカの保育器の中で「良い子」でいる段階を終えるべきだ。もう少し、考えてみた。