台湾有事から解く日本型保守思想の空洞化#台湾有事 #独立国家 #保守 #福沢諭吉 #武士道 ――なぜ「保守」が国家を語りながら独立を放棄するのか⸻「台湾有事は日本有事」という言葉が、近年あたり前のように使われている。だが私は、このフレーズに強い違和感を覚える。なぜなら、国家としての主体性を欠いたまま、他国の有事を“自国の覚悟”として語ることはできないからだ。⸻■ 台湾は国家か、地域か国連も、日本政府も、台湾を「国家」とは明確に承認していない。建前上、台湾問題は「中国の内政問題」という整理を崩していない。この現実を無視して「台湾は同胞だ」「民主主義を守れ」と感情的に語る一方で、国内では反与党の国民を「反日」「非国民」と切り捨てる。ここに、現在の日本型保守思想のねじれがある。⸻■ 日本型保守=ASN(アナーキー・センチメンタル・ナショナリズム)いわゆる自称保守の多くは、 • 国家責務を否定するアナーキー性 • 形式と感情に依存するセンチメンタル性 • 排他的で分断的なナショナリズムを併せ持つ。国家を語りながら、国家を成立させる「共同体責任」と「独立の覚悟」からは逃げている。⸻■ 「台湾有事は日本有事」が成立しない理由正確に言えば、こうだ。 • 台湾有事は アメリカ有事 • アメリカ有事は 日本有事になり得るこの順序を飛ばして「台湾有事=日本有事」と言い切るのは、主体なき覚悟ポーズにすぎない。独立国家でもない状態で独立国家のふるまいを語るのは、保守ではない。⸻■ 日本が独立できない本当の理由「アメリカがどう言うか」「国際社会がどう見るか」これらは現実論ではなく、アドラー心理学で言えば最初からやらないための理由付けだ。つまり、やる気がない。福沢諭吉が『学問のすゝめ』で説いたのは、軍事力でも同盟でもなく、一身独立して一国独立という精神の話だった。⸻■ 武士道が消えた場所武士道は、本来国家中枢に立つ者の自己規律である。ところが明治以降、 • 忠誠だけが切り出され • 一般国民にのみ押し付けられ • 権力者は縛られなくなったこれが、日本の精神的空洞化の正体だ。⸻■ 草莽崛起とは何かだから答えは一つしかない。草莽崛起。ただしそれは、 • 叫ぶことでも • 扇動することでも • 数を集めることでもない地道に、言葉を残し、気づいた者が一人ずつ立ち上がる状態。私はそれでいいと思っている。まるで蟄居した吉田松陰のように。⸻■ 結論国家を語る前に、独立を語れ。覚悟を語る前に、主体を取り戻せ。それができない限り、「台湾有事は日本有事」という言葉は、ただの空虚な合言葉でしかない。