#執着を手放すということ#柔軟さをもつということ人は、初めて何かを経験するとき、自分の才能やセンスを活用することもあるけれど、だいたいの多くの人は手探りで何かを掴もうとする人が多いと思います。いつも全く同じことをしている人や、対象は常に変わるけれど同じことをしている人(料理や接客、教えることなど)は、共感できることが多いのかもしれないです。人は、初めて何かをする時は才能やセンスなども含めて手探りでやっていくと思います。試行錯誤の状態。その中で何かを掴もうと、何かを得ようとし始める。人は慣れてくると余裕ができ始め、試行錯誤の経験から得た結果を基に学習し始め、試行錯誤の中の疑問と共に法則や法則の中の制限を作り始めます。(〜した方が絶対良い、〜してはいけない、〜では駄目だ、〜すべきだ など)この段階ではある程度慣れてスムーズにできるようになります。体感としてはある程度以上にほぼほぼ完成した感覚を得始めます。しかし、不思議なことに、さらに何度も同じことを繰り返すと、自分の中で作った法則や制限がなくなり始めます。この法則や制限が全てに通用しなくなることや、法則や制限を作ること自体が壁に感じるようになってくるからです。そして、結果として、“柔軟な本筋” といったところに辿り着く。そこには、法則や制限といった全てにおいて、何に対しても変わらないものはないけれど、どんなものに対しても対応できる柔軟さと、そこに辿り着く大きな方向性は確実に見えている状態。完全に熟練した、達人や職人のような領域。つまり、「〜した方が良い、〜が良い」…などを言っている内はまだまだで、その執着を越えた、どんなところから、どんな状態からでも到達できるような大きな柔軟さがあり、それでありながらも、「〜だとより良いんじゃないかな。」などといった、多種多様の中でも大きな方向性を指し示す、一歩離れたところから見るような、俯瞰(ふかん)するような、慣れ始めた時の余裕とは違う、静かで穏やかな余裕のあるところから見える状態が一つの最終的な到達地点。…なのかもしれないなって思ったりするこの頃。#物事の経験と人生の経験#身近にある熟練と内面の熟練#青色の空。