実際(対面って意味ね)のコミュニケーションでもネット(SNSとか)でも、「あ、このエピソード、喋ってる本人の方も(orが)悪いな」って感じる時ありますよね。話のディティールに濃淡があったりすると、ピンときます。文章だけだともっと簡単で、視点・目線が話者だけで完結している閉じた話は(職業病かもだけど)話半分にしか聞けない。それは疑ってかかるとかそういう次元ではなく、話半分以上のスタンスで聞くのがフェアじゃない(且つバイアスをかけるのを避ける)から。そして一番悩ましいのは、話者自身も自覚がないケース。本当に自分が正しいと信じてたり、信じようとしてたりすると、無意識のハンドル&アクセルで対象者の不正さと自身の正当さを訴える。仕事の時は、見えない力(“隠”のオーラや話術)を駆使して道を正す。プライベートでは、正すかどうかは都度決めている。そこまでしてやるヤル気が出なかったり義理はないと思ったり、それは踏み込み過ぎとか、色んな理由で。帰省している間、色んな老人たちと接して、そんなことを思ってました。※あとハンターハンターを久しぶりに1巻から読み返したのもデカい。#変化系 #気まぐれでうそつき