私が言う「正論グラニー」とは、正論そのものではありません。正論を道具にして他者を裁き、優位に立とうとする態度そのものを指しています。#正論グラニー 議論が成立している間、話題はあくまで意見や考え方です。しかし途中から、流れは明確に変質しました。コメント内容への批評ではなく人格や人生を想像で断定し「人生がうまくいっていないはずだ」という決めつけ。論点は、意見の検討から外れ、人を評価し矯正し罰する方向へと移動している。この時点で、それはもう議論ではありません。私はコメントの内容を批評していました。一方で相手は、私という人間像を勝手に作り上げ、そこに「正しさ」を振り下ろしていました。この違いは分かるよね?正しさは、選択肢を奪い押し付けた瞬間、それは「正しさ」ではなく支配なんだよね。そして皮肉なことに、この一連の流れそのものが、「正論グラニー」という言葉の意味を見える化したわ笑私は正論を否定していません。正論を振り回すことで気持ちよくなっていることを問題視してるのね。「正論グラニー」に反発してくる人は「正論グラニー人」であることの証明がまた一つ増えました。今回の場合は更に悪質な「イマジナリー人物像」を用いた「正論レ○プ」です。