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ひろ

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コウモリにとって、コウモリであるとはどのようなことか」という点である。つまり、この問いは人間が、たとえばあなたが、人間としての脳(人間の思考回路、本能)だけを保ったまま、コウモリの体を得て、コウモリの暮らし振りをした場合にどう感じるか、を問うているのではない。

もし、あなたが人間としての脳だけを保ったまま、コウモリの体でもってコウモリの生活をしてみたのなら「空を飛ぶことは怖い。けれどちょっぴり楽しい」とか、「昆虫を食べるだなんて気持ちが悪い。でも食べなきゃ死んじゃう」とか、「洞窟の天井にぶら下がって眠るなんて変な眠り方だ。落っこちないかな」などと思い至ることだろう。しかし、ネーゲルが問うているのは、人がコウモリになった場合の感情や印象、世界の捉え方ということではなく「コウモリにとって、コウモリであるとはどのようなことか」である。つまり、コウモリの体とコウモリの脳を持った生物が、どのように世界を感じているのか、である。
~ネーゲルの思考実験(コウモリであるとは)より~

→答え、端的に言えば、これを読んだアナタや私と全く同じ感覚。
根拠的な理由として2つ。
1つは人間が聞こえる範囲の聴力は限度があり、それ以外は似た音で聞こえる。猫や犬の鳴き声がにゃ~やワンと聞こえるのと同じ。
→上記のコウモリに置き換えたらむしろ、人間の言葉は聞こえないから超音波に聞こえむしろ、言語を話してるのはコウモリと思ってる

1つは常に2足歩行で歩くのは人間だけである。2足歩行する猿や猫など動物は居ても急ぐ場合は4足歩行になる。
→上記のコウモリで例えると天井から吊るされて寝るのは普通。人間(他の動物)も天井から逆さまで寝ることも出来るが常にしないだけ。
以上から同じように世界を見てると言う結論。
これが分からないだろと言うのは人間が至上の生き物であると言う傲慢で利己的な考えだね。

#思考実験 #正解はある
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