「足るを知る」という言葉がありますね。その意味を正しく理解しているつもりでした。でも、自分が「本当のところは足りていない」んだと気がついたの。実にわたしは、文化的でも現代的でもなく、只々、不便な生活を送ってきたんです。「iMac1台買ったくらいで大げさだよ」と思われるかもしれないが買ったのはiMacだけじゃない。机も買った。iMacを置く机すらわたしは持っていなかったのだ。iMacと机を持つ人たちにとっては原始人みたいな生活を送っていたのだが、わたしは、iMacも机もないことに特段の不便を感じていなかった。ずっと前から(離婚をする前から)わたしにはわたし専用のパソコンもわたし専用の机も無くて、「無い」ことが当たり前になってしまっていた。「足るを知る」ってそういうことじゃ無いはずだ。「幸せの追求はキリがないから程々にしておきなさい」ってことで「いつの間にか強いられた不便な生活に慣れる」ということじゃないはずなんだ。ここまで読んでくれたみんなの部屋にパソコンはあるかな?もし、パソコンがあれば幸いだ。でも、机がなかったとしたら、それは自分が「本当のところは足りていない」んじゃないだろうか。#正しく足りないことを理解する