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幸せについて語るとき
ブッダの言葉を言うのです

"健康が最高の幸せであり
足ることを知ることが
無上の喜びであり

良き仲間が最高の財産であり
心の平安こそが
最高の幸せである"


生きているのは
このからだですから
AIに代わってご飯を食べて
もらうことはできません

自分のからだが健康で

自分はこれで満足し
必要以上に望まない

それから仲間ですね
同性であれ異性であれ
そして心は平安に保す

健康と足ることを知ること
よき仲間と穏やかで平安の心

この四点こそが
最高の幸せなのです

#横田南嶺
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悟りとは 悟らで悟る悟りなり
悟る悟りは 悟らざるなり…


サトリという動物がいた
人の心を読む動物である

ある時サトリが 木を切っている
樵(きこり)の前に現れました

樵は嫌な奴がきたな…
と思いました

するとサトリは心を読んで
"お前いま 嫌な奴がきた
と思っただろう"と言います

早く立ち去ってほしいな…
と心で思うと
"お前いま 早くどこかに行け
と思っただろう"と言うんです

樵はもうサトリを気にせず
木を切ることに打ち込もう
と思いました

すると
"お前いま 木を切ることに
打ち込もうと思ったろう"
と自分の心を全部読んでしまう

しょうがないので樵は
ただひたすら木を切り続けました

すると斧の柄が飛んだのか
あるいは木の欠片が飛んだのか
何かが当たって サトリが
死んでしまったのです

このようにサトリを意識して
いるうちはダメなんですね

かといって
サトリを相手にしないぞという
意識でもだめなんです

それすら意識してはいけない


無になるのは
一つに打ち込むことです

斧で木を切ることに
全身全霊で打ち込んでいると
自然とサトリが消える

そのサトリが消えたときこそ
本当の安らかな
心境なのでございましょう

自分は悟りを得たという思いは
自慢や慢心につながりかねません

ですから悟りというものが
消えてしまっているときが
真の悟りというのでしょう

#横田南嶺
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白隠禅師のお師匠さんだった
正受老人が晩年に

村人相手にやさしい言葉で
生き方を説かれたのが
有名な"一日暮らし"です

人間の一生
どんな辛いことがあっても
きょう一日の辛抱だと思えば
耐えられるし

逆に嬉しいことがあっても
きょう一日と思えば
それに耽ることもない

誰でも きょう一日
目の前のことであれば頑張れる
きょう一日
一所懸命やればいいと

そうして最後に
"一大事と申すは今日只今のこと"
と締め括っています

以前 一緒に修行した仲間が
心臓の病気で病院に運ばれて
一命は取りとめたのですが

これまでのことが
思い出せなくなって
悩んでいたんです

そこでこの
一大事とは今日只今の心なり
という言葉を書いて贈りました

今日只今を生きてるんだから
よかったんじゃないか
今日只今が一番大事だと
幸い 徐々に思い出して
復帰しましたけれども

あの時はつくづく
これは大変な意味の
深い言葉だと思いました

我われは過去のことに
こだわりがちですけれども
それよりも"今日只今"

こうして呼吸をしている
ことの素晴らしさ
それは自分の力ではなく
大きな力の働きによって
自分は生かされている

これ以上の大事
素晴らしいことはないと
あの一件でこの禅語の理解が
一層深まったのです

遠い目標を持つことも大事です
しかしそれにとらわれて
いま目の前のことを
見失ってはならない

"一刹那正念場"というのは
そういうことだと思います

一切の執着を捨て去って
天地いっぱいの命を生きる

自分によけいなものを
交えずに今日只今
いま為すべきことをやる

それが一刹那正念場を
生きることだと思います

#横田南嶺
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私が管長になって
最初の頃に先代管長から
諭されたことです

管長になると
人前で話をする
機会が増えるんですね

一所懸命に準備をして
法話するのですが
終わると聴衆がバーッと
拍手をしてくれる

いい気持ちになるわけです

でもある時 先代管長が
"拍手は人をダメにする"
と言ったんですね

拍手されるたびに
ダメになると思え
手を叩かれるような話では
まだまだだ

手を叩くことすら忘れて
思わず
その手が合わさるような
話をしなきゃいかん…と

有り難いことに
そうやって事あるごとに
頭を抑えてくれていました

明治時代の作家
斎藤緑雨の言葉に

"拍手喝采は
人を愚かにする道なり"
とあります

決して自惚れず
自分を律することは
とても大事ですよね

#横田南嶺
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お坊さんが趙州和尚に
質問をしました

私は修行に入ったばかりの
新米でございます
どのように修行すれば
良いかご教示ください

趙州和尚が尋ねます

お前さん
朝のお粥は食べたか

僧は
はい 朝ご飯は終えました

それに対し和尚は
それなら自分の食器を
洗いに行って片付けて
おきなさい

と当たり前のことを
言ったんですね

しかしその僧は
ハッと気がついたと

ご飯を作るということも
素晴らしい修行ですし
自分で食器を洗うのも
修行なのです

そういう営み自体が
素晴らしいのです
凡事徹底なんですね

凡事が禅なのです
凡事が一つひとつ輝くのです

鍵山先生のように
凡事を徹底し その凡事を
積み重ねた結果

積小為大で大事業にまで
発展していくのです

スリッパを揃える
トイレをきれいにする
落ちている紙くずを拾う…

些細な善行を重ねれば
無意識領野に貯金が貯まり
運命が開けていくのです

もちろん禅で言えば
実を結ぶか結ばないかは
関係ありません

もう凡事のままで
一つひとつ光っている
という教えなんですね

だから
特別大きな理想を掲げて
現実を生きることは
何もありません

些細な その営みが
素晴らしいと見るのです

#横田南嶺
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お釈迦様が説かれた
人間の "3つの迷い"

それは貪欲 怒り 愚痴です

たとえば 人と比較し
より良い暮らしを
貪欲に求めすぎていないか

便利さ 快適さに慣れすぎて
すぐ不快な物を排除しよう
とする不寛容さが怒りに
繋がっていないか

自分の好きなもの
興味のあるもの以外
知ろうとしない
関わろうとしない
自分の無知な愚かさに
目をつぶっていないか

自分の外側にばかり
目を向けるのではなく

内側に眠っている宝に
気がつくことで
3つの迷いに打ち勝つことが
出来ると説かれています

#横田南嶺
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