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Carl Uncle

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山上被告の裁判について考える。

裁判長は判決理由の中で、
「何ら落ち度もない被害者の命を奪った」と述べた。
しかし、本当に「何ら落ち度もなかった」と、社会はそこまで断言できるのだろうか。

少なくとも、統一教会と関係を持つ元総理という立場は、結果として国民に誤解を招きかねない要素を含んでいた。
その点については、現在「宗教2世」と呼ばれる人々の中からも、「判決には温情がない」と感じる声が上がっている。

仮に、本当に社会的な問題が指摘される余地がなかったのであれば、日本政府から宗教団体への解散命令が出されることもなく、関係した議員たちが、これほど国民の強い批判にさらされることもなかったはずである。

もちろん、人を殺害する行為は決して許されない。
それは、どのような事情があろうとも揺るがない大前提である。

しかし一方で、元総理が米大統領と共に行っていた「宣伝と受け取られかねない行動」やその映像を見て、「統一教会と深く関係している」と受け止めた人々が存在した可能性も否定できない。

そして、その認識を信じ、入信に至った人々が
存在した可能性もある。

「殺人は悪」という結論だけで思考を止めるのではなく、なぜそこまでの誤解や不信、憎しみが生まれてしまったのか。
その背景と構造に、社会全体で向き合う必要が
あるのではないだろうか。

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Carl Uncle

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妻は「夫は私にとってかけがえのない人でした」、「一生、その罪に向き合ってほしい」と語ったという。

その言葉は、被害者遺族として極めて自然な感情であり、否定されるものではない。

しかし一方で、過去には、学校の校長就任をめぐり忖度が指摘される状況の中で追い詰められ、自ら命を絶ったとされる人物がいた。この方の妻も、同様に「かけがえのない夫」であったはずだ。

その人物の夫の葬儀は、国葬として約12億4千万円もの公費を用い、盛大に執り行われた。一方で、命を絶った当人の葬儀は、限られた関係者の間で静かに行われている。

また、この国葬をめぐっては、世論調査などで国民の半数以上が「国葬を行うべきではない」との意思を示していたとされる。それにもかかわらず実施が進められ、その過程では、焼身自殺未遂という極めて痛ましい形で反対の意思を示した人がいたことも、私たちは忘れてはならない。

この一連の対比は、命の重さや扱われ方が、立場や権力、そして「公」と「私」の線引きによって大きく異なってしまう社会構造の存在を、私たちに突きつけてはいないだろうか。

「誰の命が公的に悼まれ、誰の命が語られないのか」
「誰が記憶され、誰が沈黙の中に置かれるのか」

善悪を単純に二分するのではなく、命と責任、そして権力の在り方について、私たちは立ち止まって考える必要があるのではないだろうか。

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