いま「最果てにサーカス」というタイトルのマンガを読んでいます。小林秀雄と中原中也と長谷川泰子の若かった日々を描いたものなのですが、その中で中也が言葉と文学についてこんなことを言います。「言葉とは、神だ。僕たち文士はそれを代弁するだけの道化(ピエロ)にすぎない。そして文学は宇宙だよ。無限なんだよ。永遠に掴めっこないんだ。」コウカノオトの歌詞の方向性(向きだけね!!)にも似たものがあると思っています。そして、その中で、小林はこんなことも言っています。「俺は、…そんな、目的のための文学なんて、性に合わないんだ。ここに美しい花がある。だが、「花の美しさ」というようなものはない。花は、ただ咲いているだけだ…。人のためとか、芸術のためとか、そういうことのためにあるわけじゃない」これは、ぼくも歌詞を書くとき、よく同じようなことを思うんですよね。「花の美しさ」を語りたいんじゃなくて、「花はただそのままで、たとえ誰にも顧みられなかったとしても、その美しさは変わらない」というようなことでしょうか。量子力学には反しているかもしれませんが、反していて何が悪いのか笑。量子力学や、不確定性原理や、八百万の神、アニミズム、ワンネス、などは、ぼくが歌詞を書く時のモチーフによくなりますが、似たようなことを、小林も中原も考えていたんだなあと思うと、ちょっと親近感が湧いて、ちょっと嬉しくなりますね。読んでいただいて、ありがとうございました。#小林秀雄 #中原中也 #最果てにサーカス #詩 #歌詞