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オヤジかわいい♡

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道 #鬼太郎ひろば #調布
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リピ散歩『中山道編17日目④』

🔹下諏訪宿を出て塩尻峠へ向かいます。出来る限り旧街道をトレースしながら進んでいるので時には『えっ?』って言うような狭い道もあります。

🔹下諏訪、岡谷、塩尻を走っていると勾配の緩い屋根や雀おどしの棟飾りがある『本棟造』が多く見受けられます。また双体道祖神も数多く祀られており、特に下諏訪や岡谷の道祖神は諏訪大社と同じように四柱で守られています。

🔹塩尻峠の手前には茶屋本陣今井家があります。ここは峠を越える前に休息を取る立場茶屋跡で4件の茶屋があったことから四ツ家立場と呼ばれていました。幕末には皇女和宮、明治には明治天皇も休憩した由緒ある茶屋跡として母屋も含めた十一棟が国の登録有形文化財に指定されています。門脇には明治天皇今井御小休所碑がありました。

🔹今井家を越えると更に勾配がキツくなり自転車を漕ぐことができなくなります。そのかわり後ろを振り返れば眼下に諏訪湖の遠望が広がっていきます。

🔹石船観音から本格的な峠道の始まりです。塩尻峠は頂上まで約1kmの距離ですが約160m 上るそうです。サドルにペットボトルを置き水面を平行にして撮影したのでいかに斜度があるか分かると思います((;゚Д゚)))

🔹産まれたての子鹿のように足をプルプルさせながら頂上に到着、展望台から諏訪湖を眺めると遠くに富士山も見えました。ここは英泉の中山道六十九次『塩尻』に描かれた絵の場所で、ときより吹く心地よい風が峠越えの疲れを吹き飛ばしました。尚、中山道六十九次は広重と英泉の合作であり、下諏訪宿は広重、塩尻宿は英泉により描かれています。

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #下諏訪宿 #塩尻峠
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中山道編 vol.20 ①

約10ヶ月振りの中山道旅も、長野県のだいぶ奥まで進んだのでスタート地点まで車で4時間かかるんすよね‥
来たついでに2泊くらいして距離を稼ぎたいところですが、まぁ何とか頑張ります。

そんなわけで今回は藪原駅から木曽福島駅まで進みました。途中に階段あり、猿あり、草道あり、廃国道ありの大冒険。ほっそい木曽川とともに進み南宮神社では豪快な滝でマイナスイオンを浴び、木曽義仲館跡の旗挙神社では850年前の義仲の気持ちになり魂を高揚させました。

②へ続く‥

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道旅 #藪原宿 #宮ノ越宿
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ねぎソフト🍦笑

味は‥自分で確かめてね😋

#リピ散歩
#旧街道旅
#中山道旅
#深谷宿
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結城街道【最終回おまけ】

ガー子とお散歩 🦢

#リピ散歩 #旧街道旅 #結城街道 #水戸市 #千波湖
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リピ散歩を終え上田市のぷちらぱんさんで遅めの昼食。ポークシチューオムライス優勝✨

#リピ散歩 #旧街道旅 #北国街道 #上田市 #ぷちらぱん
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正月休みのリピ散歩👟

東海道編【田町駅〜大森海岸駅】前編

①②③札の辻交差点
〝辻〟とは街道と街道が交わる場所を指し〝札〟とは人々に布告法令や連絡事項を掲示する掲示板(高札場)のことを指します。辻では庶民の往来が多かったため辻に高札を立てることで多くの庶民が高札を確認できたようです。尚、前回の街道旅で記載した芝口御門は1616年〜1710年までこの地にあったそうで東に江戸湾が広がりその先に房総半島の山々が望める立地だったことから〝一日中眺めていても飽きない〟という意味で別名『日暮御門』と呼ばれていたそうです。その後1683年に高札場は高輪大木戸へ移り1710年に芝口御門は新橋へ移ったことで大きな役割りは終わったそうです。尚、現在では歩道橋の上から北方向を見ると東京タワーがよく見えます。日が暮れるまで‥とはいきませんが(笑)

④⑤元和キリシタン遺跡
三田ツインビル西館の手前を右方向へ登って行くと丘の上に碑が建てられています。1623・1638年、徳川家光によりキリシタン50名以上がこの地で処刑されました。その中には外国人の宣教師も多数含まれており、札の辻が人の往来が多い場所だったことから庶民への見せしめの目的もあったようです。尚、この地は遠藤周作の短編小説『札の辻』に描かれているそうです。

⑥⑦⑧⑨高輪大木戸跡
1710年に札の辻にあった芝口門が新橋へと移った際、代わりに江戸を守る門として1724年に建造されたのが高輪大木戸です。江戸の街への出入口としてランドマーク的な役割りを果たし、更に江戸後期には伊能忠敬が全国の測量を行う際に高輪大木戸を基準としたという記録が残っています。また明治期に入ると田町から北品川まで海上に汽車が通され、その様子は多くの浮世絵に描かれています。ちなみに2020年に開業した『高輪ゲートウェイ駅』はこの高輪大木戸をリスペクトしているようで、駅名発表当初は色々とバッシングを受けましたが私自身は理にかなった名前だと思っています。駅の西側で明治期の線路(護岸)跡が発掘され、ニュースに取り上げたのも記憶に新しいですね。

#リピ散歩
#旧街道旅
#東海道
#港区
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リピ散歩『中山道旅編17日目⑤』

旅から一週間以上経過してしまいましたが17日目ラストの投稿です

🔹塩尻峠から塩尻宿まで長い下り坂となり、チャリのブレーキを『キーキー』鳴らしながら坂を下ります。お地蔵様騒がしてごめんなさい🥺

🔹坂の途中『東山の一里塚』があります。南塚が現像する日本橋から57里目の一里塚です。また塩尻市に入ると途中で何度か『中山道分間延絵図』を見かけます。文間延絵図は幕府の道中奉行が五街道や脇往還を実際に測量・調査をして1806年に完成した道中絵図です。旅人全てが絵図を熟知していたわけではありませんが、簡易的な地図と道標や一里塚を頼りに街道を進んで行った先人には頭が下がります

🔹長野自動車道を越え柿沢地区へ入ると『永井坂の首塚・胴塚』があります。1548年3月、上田原の戦いで村上義清に敗れた武田晴信(信玄)は信濃攻略戦において最大のピンチを迎えました。この際、村上軍の勝ちに乗じて武田軍を信濃から駆逐しようとした信濃守護小笠原長時でしたが、同年7月に行われた塩尻峠の戦いにおいて武田軍の奇襲により大敗、千人以上の戦死者を出し武田軍の信濃進行を食い止めることはできませんでした。塩尻の戦い後に武田軍ら領地へ戻りますが戦場には多くの戦死者が打ち捨てられたままとなっており、これを哀れに思った柿沢の村人がこの地に埋葬したそうです。尚、近年の研究では塩尻峠の合戦は塩尻峠ではなくここから南へ5km ほどの場所にある勝弦峠とする説が有力となっています。

🔹塩尻宿へ入ります。江戸時代、太平洋側で作られた塩を『表塩』日本海側で作られた塩は『裏塩』と呼ばれ、両方の塩がこの地で交わることから〝塩尻〟と呼ばれたそうです。塩尻宿は塩輸送の拠点であり、中山道、伊那街道、五千石街道などの街道が交わる宿場であったことから宿場は大いに発展し、旅籠の数は中山道の宿場町で2番目に多い75軒あったそうです。
また、宿の手前には木曽義仲の子孫である木曽義方が義仲の菩提を弔うために創建した永福寺(観音堂は1855年建立され市文化財)宿の終わりには延喜式神名帳簿(927年書)に記載され坂上田村麻呂や木曽義仲も参拝した阿禮神社があります(狛犬は変わった形をしてます)

🔹街道を進み昭和電工の先でフィニッシュです。続きは秋かな‥

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #塩尻峠 #塩尻宿
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リピ散歩【川越街道編1日目】
練馬区北町〜成増駅👟

川越街道1日目最後の投稿です

①練馬区北町でノスタルジーを感じながら成増を目指します

②③④東部練馬駅の南にある北町観音堂を訪れました。堂内には赤塚村へ進むための道標になった1682年の建立の聖観音像が祀られています。また、観音堂の隣りに建つ馬頭観音像の頭には馬の顔がはっきりと見受けられます

⑤⑥観音堂の少し先に本陣跡緑地と呼ばれる小さな公園があります。本陣と呼ばれるからにはここに下練馬宿の本陣があったわけですが、敷地の奥には本陣と何の関わりも無い黄金の大根モニュメントがあります(笑)昨日の投稿では徳川綱吉が造らせた御殿跡を取り上げましたが、足の病に大根が効くと知った綱吉は下練馬宿の住民に大根を作らせました。本当に大根が効いたのか分かりませんがその後に綱吉の足の病は治癒したそうで、綱吉が将軍になると練馬大根の噂は全国に広まったそうです

⑦⑧地下鉄赤塚駅の出入口横にある細い脇道は旧鎌倉街道の跡とされています。街道の起点には『いざ!鎌倉』をモチーフとした小さな像が建てられており、北東に進んで蕨市辺りから中山道へ合流したものと思われます

⑨目的地に到着し喜びのポーズ🙌

#リピ散歩 #旧街道旅 #川越街道 #下練馬宿 #成増駅
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リピ散歩【川越街道編1日目】

上板橋駅〜下練馬宿👟

①②上板橋駅入口交差点の先に2体の子育て地蔵尊(1778、1777年建立)が祀られています。建立当初は南にある城北中央公園内に3体が祀られていたそうですが、明治に入ると上板橋駅入口交差点に移設されいつのまにか2体が倒された状態で発見されたそうです。その後1923年に地元の有志によりこの地に移され現在は大切に祀られています。尚、説明板の〝呼ぱれ〟はグラ友さんの発見です🤣

③子育て地蔵尊から500m ほど進むと左手に1739年建立の青面金剛庚申塔が祀られています。古地図を確認するとここから下練馬宿へと入るようですが、往時は厄災が入ってこないよう村や宿場の出入口に道祖神を置いていたことから、この青面金剛庚申塔は下練馬宿の道祖神的な役割りを果たしていたとのと思われます。尚、現在でもこの交差点を境にして板橋区と練馬区に分かれています

④⑤下練馬宿には鷹狩りを行う鷹場があったそうで宿場内には〝けらや〟と呼ばれるオケラを売る店があったようです

⑥下練馬宿からは王子や戸田へ進むことができたようで川越街道から少し東へ入ると交差点中央に1815年建立の馬頭観音が祀られています。都内で道路の中央に御堂が配置されるのは珍しく、立派な御堂にも祀られていることから地元の方々に古くから親しまれているものと思われます。ちなみに勝負事や足腰の神様である馬頭観音には現在でも合格祈願や足腰が弱っている人たちの参拝があるそうですよ

⑦⑧環八の高架上まで進むと1753年建立の大山道道標が建っています。大山とは神奈川県に聳える大山のことを指します。大山は山岳信仰の対象とされ石尊権現社や阿夫利神社には江戸中期から後期にかけ多くの人々が訪れました

『従是大山道』
『ふじ山道 田なし 三里』
『府中え 五里』

⑨北町小学校の角に徳川綱吉御殿跡があります。江戸時代初期、この辺りは鷹狩りの地として知られていました。後の5代将軍徳川綱吉は将軍職に付く前に足の病に悩まされており、陰陽士によると『馬の付く地名で療養せよ』とのことで1677年に鷹狩りを兼ねて御殿を建てたそうです。1680年に4代将軍家綱が亡くなると正式な将軍に任官される綱吉ですが、練生類憐みの令を発する前は鷹狩りをしていたようですね

#リピ散歩 #旧街道旅 #川越街道 #下練馬宿 #徳川綱吉
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👟リピ散歩【水戸街道編】5日目①

また上げるの忘れた日曜日のリピ散歩です(笑)今回は藤代駅〜牛久駅まで進みました。距離は短いですが案外起伏のあるルートだったので暑さも相まってヘロヘロでした🥴

🔹平国香供養塔

小貝川、谷田川を越え龍ヶ崎市へ入ります。まず立ち寄ったのは平国香供養塔です。
平国香は平将門の叔父(将門の父の兄)にあたる人物で平将門の乱において将門と争い戦死しました(その後、将門は国香の息子である平貞盛に討たれています)
この宝筐院塔は鎌倉時代後期〜室町時代前期に建立されたようで、将門の子孫と称する相馬氏がこの地を治めていた際に建立したそうです。

🔹新旧水戸街道追分

馴柴小学校北のT字路に1826年建立の道標が建っています。以前、土砂降りの中で到着した水戸街道と初期水戸街道との追分です。

『布川 三里』
『水戸 十六里』
『江戸 十三里』

🔹若柴宿

追分から道なりに800m ほど進み、大坂を上って若柴宿へ入ります。初期水戸街道の頃から置かれた宿場町で往時の形態を色濃く残しています。

🔹金龍寺

若柴宿の外れにある金龍寺へ立ち寄りました。
1338年、越前(福井県)で討たれた新田義貞の首は尊氏の待つ京へ運ばれ、胴は坂井市にある称念寺に埋葬されました。その後、義貞の孫である横瀬貞氏(諸説あり)が義貞の菩提を弔うため称名寺より遺骨を譲り受け、廟と木造を安置して金龍寺としたそうです(1417年、群馬県太田市に建立)
時は流れ1590年、貞氏から8代後の子孫である由良国繁は豊臣秀吉により太田から牛久へ移封された際に金龍寺も移転したそうです(ちなみに太田市にある金龍寺は館林城主になった榊原康政(徳川四天王)により再建立されたそうです)
本堂を左手から裏へ回ると義貞・貞氏・国繁の五輪塔が順に祀られていました。

#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道 #新田義貞 #由良国繁
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日曜日の旅は中山道最難関にして五街道最難関の和田峠を越えました。今年4月に新和田トンネル有料道路が無料化され、更に先週には霧ヶ峰や美ヶ原高原を結ぶビーナスラインが冬季閉鎖となったことで旧道を走る車はほとんどいません。このため山中は静まり返り、川の音と枯れ葉を踏む私の足音しか聞こえない静寂の空間となりました。
もちろん熊さんは出没しますので熊鈴の代わりにハンドベルを振っての山中でしたが、途中出会った軽トラのおじさんの一言にビビリました。

『今日は鉄砲打ちが入ってるから気をつけてくださいね』

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道旅 #和田峠
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今夜も伊那の夜が更けていきます🌙

明日も頑張ります👟

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #伊那市
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お昼に食べたタワマン蕎麦

#川越市 #小江戸 #リピ散歩 #川越街道 #旧街道旅
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リピ散歩『中山道編17日目①』

前回の中山道旅から早半年、夢の続きを見るため再び信州へ舞い戻りました。前回の旅では標高1531m の和田峠を越え、下諏訪宿へ降りる途中の『西餅屋の立場跡』で終了しました。今回はその続き〜塩尻宿までの旅を計画し往時の雰囲気を楽しみました。

立場跡から国道を横断して再び林道に入ると『西餅屋の一里塚』があります。日本橋から数えて53里目の一里塚です。

一里塚の先は木漏れ日の差す林道を抜け国道に合流、更に国道を下ると『水戸浪人塚』があります。1864年、武田耕雲斎率いる尊王攘夷派の『水戸天狗党』千余名が京都の一橋慶喜に攘夷を実行するよう嘆願するため和田峠を越えてきました。これを阻止しようと松本・高島両藩の750名が樋橋で迎え撃ちました。結果は天狗党の勝利に終わりましたが水戸浪士にも14〜15名の死者が出てしまったそうです(幕府側の死者は10名)この戦いは『和田嶺合戦』と呼ばれています。戦いの後、高島藩は戦死した浪士を火葬し塚を築き、更に維新後の1870年には名前の分かった戦死者6名の名を刻んだ碑が建立されました。水戸天狗党は大河ドラマ『青天を衝け』でクローズアップされましたね。

浪人塚の先の中山道は基本的に国道を走りますが途中には往時の古道が残る場所もあり木橋や日本橋から54里目の『橘橋の一里塚』を見ることができます。

更に坂を下り人家が増えてきた先にあるのは有名な『木落とし坂』です。木落し坂は7年に一度行われる『諏訪大社御柱祭』において大木が坂を下る重要な儀式の場所として有名です。山中から選ばれた16本のモミの大木(長さ17m、直径1m、重さ10t)に男たちがまたがり45度に近い急坂を100m ほど下ります。その歴史は古く桓武天皇の時代(平安京への遷都)にはすでに行われていた記録が残っていたとされ、起源は縄文時代の巨木信仰からきたのではないかと考えられています。

中山道はバイパスを離れ諏訪大社春宮の脇を通り遠くには諏訪湖の美しい展望が開けます。この後は諏訪宿へと入りますが続きは②にて。

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #水戸浪人塚 #木落とし坂
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リピ散歩👟 日光街道編【おまけ②】

今年7月に東照宮を参拝しているので、今回は東照宮の写真がありません。ただ、今後訪れる方々のために陽明門や三猿・眠り猫以外の見所を少々ウンチクしたいと思います(知ってる方は悪しからず)

①東照宮社標
『東照宮』の文字の上に葵の紋が埋め込まれていますが、御紋をよく見ると〝別格官弊社〟という文字の上から葵の紋が埋め込まれていることが判ります。
明治以降『近代社格制度』により、政府は神社を等級化していましたが、戦後処理を行ったGHQでは『近代社格制度は日本が戦争に突き進んだ要因の一つ』として社格制度は廃止となりました。戦前は格の高い神社ほどその等級を掲げていたため、GHQの干渉を恐れた神社は社格を隠すためにセメントなどで等級表記を埋めたそうです。
この東照宮においては葵の紋で誤魔化したということですね🙄

②一ノ鳥居
高さ9m 、柱の直径1.2m の大鳥居は1618年に黒田官兵衛嫡男の黒田長政により奉納されました。造られた当時、石造りの鳥居としては日本最大だったそうです。また上部に掲げられている扁額は後水尾天皇の書とされ畳一畳ほどの大きさがあるそうです。

③五重塔
1650年、徳川四天王の一人『酒井忠次』の孫である『酒井忠勝』により造営されました。その後落雷による火災のため焼失、1818年に再建されましたが再建したのも酒井家の子孫『酒井忠進』でした。五重塔担当だったのでしょうか❓笑。軒下に見られる十二支の彫刻も見応えがありますね。
また、この塔の中心に建つ心柱は最上部の屋根から吊り下げているだけで基礎石から浮いてるそうです。これは心柱を振り子の原理として地震による倒壊を防ぐ目的があり、スカイツリーにも応用されたそうです。200年以上前の木造建築でこの技術は凄すぎます。

#リピ散歩 #旧街道旅 #日光街道 #日光 #歴史
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リピ散歩【川越街道編1日目】大山〜下頭橋👟

①大山ハッピーロードを歩くリピ一行。腹が減っては戦はできぬと中華料理店へ駆け込む🍜

②お腹いっぱい❗️からの〜クレープ‼️

③板橋区民には有名なんだろうな‥

④川越街道最初の宿場町である上板橋宿へ入りました

⑤⑥⑦石神井川に掛かる下頭橋の手前に下頭橋六蔵尊があります。下頭橋の由来には諸説あるようですが、その中の一つに『下頭橋の六蔵』という話があります。

⭐️江戸時代の初め、石神井川に掛かるこの橋は川越街道で唯一の木橋だったことから、洪水が起こる度に橋が流されていたそうです。そんな中、石神井川付近を寝床にしていた六蔵という年老いた乞食がおり道行く人々に頻繁に頭を下げては金を恵んでもらっていました。六蔵はその金をせっせと貯めていたそうで、乞食仲間との交流にも決して金を使うことが無かったことから『けちんぼ六さん』と呼ばれていたそうです。時が経ち六さんにも最期の時が訪れました。六さんが亡くなると彼の住んでいた小屋から壺に入った大金と『この金で石橋を掛けてほしい』という手紙が発見されました。以前、六さんは洪水で家族を失くしており、ここに石橋を掛けることで生前から世話になっている上板橋の人々に恩返しがしたいと話していたそうです。その後、六さんの噂が広まったことで多額の寄付が集まり石橋が掛けられました。人々は六さんを讃え六蔵菩薩として橋の傍らに祀ったそうです。尚、この話は『けちんぼろくさん』として日本昔ばなしに登場しており YouTubeでも観ることができます

⑧石神井川でハイポーズ🙌

⑨長命寺坂を上ります

続く‥

#リピ散歩 #旧街道旅 #川越街道 #上板橋宿 #下頭橋
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にんげんっていいな

Suginami Junior Chorus,志水隆

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リピ散歩【川越街道編1日目】前編👟

今回から川越街道旅をスタートします。室町時代中期、古河公方足利家に対抗するため太田道灌により江戸城と川越城が築城されました。川越街道はこの2つの城を結ぶ街道として造成したのが始まりとされており、江戸時代に入ると川越城主松平信綱・輝綱親子により街道上に宿場町が置かれました。尚、川越を起点とする児玉往還(川越〜高崎)と繋ぐことで中山道の脇往還としての役割も果たしたようです。尚、今回の旅は中山道を少し歩いてから川越街道へ入りたいと思います

①板橋駅東口に近藤勇の墓所があります。新撰組局長である近藤勇は戊辰戦争の折に千葉県流山市で捕らえられ、この地で処刑されました。首は京都へ送られ胴のみがこの地に埋蔵されたそうです。明治に入ると元新撰組隊士である永倉新八により近藤勇と副長である土方歳三の碑が建てられました。尚、敷地内には永倉新八の墓もあります。いっときは袂を分かち合った彼らですが、こうして同じ敷地内で眠っていることに何か考えさせるものがあります

②板橋宿は江戸から平尾宿→仲宿→上宿に分かれており最初の平尾宿へと入ります

③首都高を潜り右手の路地へ入ると東光寺があり境内には宇喜多秀家の供養塔が祀られています。宇喜多秀家は豊臣政権五大老の一人として豊臣政権を支えましたが、関ヶ原合戦の敗北により八丈島へ島流しとなりました。秀家の正室は前田利家の娘だったため前田家の庇護下に入ったそうですが、生涯八丈島を出ることはなく1655年に亡くなったそうです。秀家亡き後は宇喜多から浮田へと名を変え島でひっそりと暮らしていましたが、維新後の1870年に本土復帰を許され前田家を頼ってこの地へ移り住んだそうです。この辺りには現在でも浮田・八丈などの地名が残ってるそうですよ

④中山道へ戻るとY字路が現れます。ここが川越街道との追分で、右方向が中山道、左方向(直進)が川越街道となります

⑤⑥川越街道に入り400m ほど進むと四ツ又交差点の手前に1734年建立の馬頭観音が祀られています。ちなみに四ツ又とは川越街道と板橋宿から雑司ヶ谷へ向かう街道が交差していたていたため四ツ又と呼ばれたそうです

⑦⑧⑨ハッピーロード大山へと入っていきます。川越屋など往時の名前が残っている店舗も見かけます。

続く

#リピ散歩 #旧街道旅 #川越街道 #新撰組 #宇喜多秀家
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リピ散歩【中山道編19日目②】

①奈良井宿を後にし鳥居峠へ入ります。熊には気をつけましょう🧸

②葬沢
1582年、織田信長の甲州征伐において織田家と隣接していた木曽義昌は主家である武田家を身限り織田方に付きました。これに怒った武田勝頼は義昌の居城である木曽福島へ軍勢を派兵、この鳥居峠で戦闘となったそうです。尚、この戦いについては諸説あるようですが鳥居峠の戦いは2度行われたとする説が有力です。一度目の戦いは武田軍と木曽軍で行われ辛くも武田軍が勝利した戦い。二度目の戦いは一度目の戦で軍の損害が激しかった武田軍は鳥居峠にわずかな軍勢を残して贄川宿へ一時撤退、その10日後に織田軍が奈良井宿側から武田軍の背後を突いたことで武田軍は大損害を受けて塩尻方面へ撤退した戦いです。この2つの戦いで武田軍の戦死者は500人を超え、戦死者を鳥居峠の沢へ葬ったことから『葬沢』と呼ばれるようになったそうです

③④鳥居峠の一里塚
2連木橋を渡り更に進むと鳥居峠の一里塚碑があります。日本橋から数えて65里目の一里塚です

⑤鳥居峠
鳥居峠の標高は1197m あります。峠を境として奈良井方向には奈良井川が、藪原方向には木曽川が流れています。それぞれ日本海、太平洋に流れる分水嶺となっています

⑥御嶽神社
平安時代初期、鳥居峠は美濃國と信濃國との国境だったことから縣坂と呼ばれ、その後国境が変更され奈良井坂や藪原坂などと呼ばれたそうです。室町時代中期、木曽の領主木曽義元と松本の領主小笠原貞朝との間で戦が起こりました。その際に木曽義元がこの峠から御嶽山に向かい戦勝祈願を行ったことからこの地に鳥居を建立し鳥居峠と呼ばれるようになったそうです

⑦御嶽神社の裏には沢山の石塔・石仏があります。その中にあったイノシシを踏む青面金剛庚申塔は初めて見ました。

⑧御嶽神社の裏には御嶽山遥拝所があります。今日は見えませんでしたが義元もここから先勝祈願をしたのかもしれませんね

⑨義仲硯水
木曽義仲が平家討伐へ向かう際にこの湧水を使って墨を擦り戦勝祈願の願書を書いて御嶽山へ奉納したと言われています。英泉作『中山道六十九次藪原』の絵の場所でもあります

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #鳥居峠 #紅葉
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森のくまさん

Satoko Yamano

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リピ散歩【中山道編 塩尻〜木曽平沢】前半

①平出の一里塚
日本橋から数えて59里目の一里塚です

②平出遺跡
ここでは縄文〜平安まで約290以上の遺跡が発掘されています。日本三大遺跡のひとつとされています

③塩尻市では葡萄の栽培が盛んに行われワインの街としても有名です

④肘懸松
松の名前の由来には2つの説があります。ひとつは後北条氏討伐の帰りに細川幽斎が下記のような句を詠んだからという説と、京への上洛の折に徳川秀忠が肘を掛けて休んだからという説です
※細川幽斎(藤孝)句碑
細川幽斎は大河ドラマにも登場する有名な武将で、嫡男は関ヶ原の合戦で活躍した細川忠興、忠興の正室は明智光秀の娘ガラシャです。
『肘懸けて しばし憩える松陰に たもと涼しく 通う河風』

⑤⑥北国西街道追分と道標
1857年建立の常夜燈と道標が建っています。長野県内を走る北国街道には追分宿から分かれる北国街道(善光寺街道)と先馬宿から分かれる北国西街道があり、2つの北国街道は長野市篠ノ井の地で合流します

⑦邂逅(あふた)の清水
源平合戦前半の主役と言っても過言でない木曽義仲は幼くして父を失い木曽の有力者である中原兼遠のもと兼遠の息子兼平とともに育てられました。その後兼平は今井の地に領地を得て今井兼平と名乗り、以仁王の令旨を経て義仲が挙兵した際にこの地で義仲と再開(邂逅)したそうです。義仲の馬がだいぶ疲弊していたので兼平がこの清水で洗ってやるとたちまち元気を取り戻したそうで、これ以降『義仲四天王』の1人として今井兼平が従軍して行きます

⑧本山宿は〝そば切り発祥の地〟とされています。蕎麦の伝来は縄文時代まで遡るとされ室町時代以前の蕎麦は粒を粥にしたり蕎麦がきにして食べていたようです。そば切りの存在が確認できる最も古い文献は1574年に中山道須原宿の定勝寺で振舞ったという記述がありますが、1706年の風俗文選という書物には『信濃国本山宿よりあまねく国々に‥』との記述があるそうです

⑨斜交屋敷
本山宿には5軒の旅籠跡があります。これらの建物は敵の侵入時に身を隠す目的で街道に対して斜めに建てられこのことから斜交屋敷と呼ばれ、このうち手前の3軒(川口屋、池田屋、若松屋)は江戸時代の造りを留めていることから国の有形文化財に指定されています

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道旅 #塩尻市
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2日目のリピ散歩は昨日より少し江戸方面へ戻り木曽福島駅〜上松駅

寝覚の床、御嶽山、沓掛の一里塚、木曽の桟、上松宿など見どころ満載でした

⭐️寝覚の床⭐️
竜宮城から戻った浦島太郎は地上の景色が一変していることに驚き、その後ひとり旅に出たそうで、各地を放浪した後にこの地に辿り着くとその景観の美しさを竜宮城と重ね合わせてしまいふと玉手箱を開けてしまいました。すると太郎は300歳の老人になってしまい今まで起こった出来事がまるで夢のようであったと目が覚めたそうで、このことからこの場所は『寝覚の床』と呼ばれるようになったそうです。

⭐️木曽の桟⭐️
木曽の桟は碓氷峠、太田の渡しと並び『中山道三大難所』の一つとされています。桟は応永年間(1394〜1428)に作られたそうですが、木曽川の崖沿いに丸太と板だけで作られた簡易な作りの桟橋であったため崖下へ落下して命を落とす旅人が後を絶たなかったようです。1647年に起こった火災により桟橋は焼け落ちてしまい翌年に木曽路を管轄する尾張藩により15m の木橋とその両側に100m の石積みを架けたそうで、1741年には木橋の架かっていた中央部も石積みとなり安全に通行出来るようになったそうです。木曽川の対岸から見ると慶安元年(1648年)と寛保元年(1741年)の石積みの違いがよく分かります。

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #寝覚の床 #木曽の桟
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〆は東照さんの奈良茶めし(風おこわ)

弥次さん喜多さんも食べた川崎宿の名物です

しじみ汁が疲れた身体に沁みましたー

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #川崎宿 #奈良茶めし
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そんなわけで第3回の東海道旅です

川崎目指してがんばりまーす👟

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道
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日曜日に食べた天丼🍤
土浦市の保立食堂さん美味しかったです

#リピ散歩
#旧街道旅
#水戸街道
#土浦市
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リピ散歩【水戸街道編】6日目

日曜日のリピ散歩は牛久駅入口〜荒川沖駅入口までを歩きました。案外風が強かったけど、やっぱ旧街道旅は楽しいですね👟

①田宮町鹿島神社
小さな神社ですが鳥居を潜った左手に1668年建立の大日如来像が祀られています。市内最古の大日如来像で市の文化財に指定されています

②牛久と言えばカッパですね

③巨大なカナヅチ

④⑤圏央道を潜ると山岡家があります。この山岡家が昭和53年創業の第1号店だそうです。もちろん昼食はラーメンにしましたが変わったスプーンが付いてきました

⑥⑦⑧中根の一里塚と荒川沖の一里塚
山岡家から1.8km ほど進むと国道の両側に一里塚が現れます。両塚とも残っている貴重な一里塚ですが、牛久市と土浦市の境界にあるため左右の一里塚で名称が異ります。日本橋から18里目(水戸街道では16里目)の一里です

⑨土浦市に入るとマンホールも変わります。霞ヶ浦と帆引き船、それに筑波山ですね

#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道 #牛久市 #土浦市
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今日のリピ散歩は木曽平沢〜藪原宿👟

途中の奈良井宿で往時の気分に浸る‥

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #奈良井宿
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リピ散歩👟
【水戸街道編1日目①】

前回の街道旅にて結城街道編は最終回を迎えました。次はどこの街道を走ろうかな?と迷いましたが、せっかく水戸城や弘道館を見学したので、その想いを踏まえて今回から水戸街道を中心に街道旅を進めようと思います。そんなわけで日曜日はトーキョーに降り立ちました。

水戸街道は千住宿のはずれから日光街道と分岐し、松戸→柏→取手→牛久→土浦→石岡などを経由しながら水戸へ向かう全長116km の街道です。徳川御三家である水戸藩は江戸定住が基本のため、水戸藩においてはその家臣が江戸〜水戸間の往復に使用していました。水戸街道は江戸の五街道には含まれませんが、東海道、奥州街道、中山道に次ぐ23家もの大名たちが参勤交代の街道として利用したそうです。

1️⃣さて!千住宿からのスタート‥なんですが、リピは以前日光街道を走った際に日光街道との追分から荒川土手までの約600m をすでに走っています。理由は水戸街道をスタートした直後に荒川が現れるため対岸まで大きく迂回しないといけないから。実はこの荒川は明治時代までは存在していませんでした。現在では北区の岩淵水門から荒川と隅田川とに別れていますが元々は隅田川が荒川の本流でした。この大きな荒川は1913〜1930年にかけて開削された人口河川であり、正確には『荒川放水路』と呼ばれています。

2️⃣そんなわけで荒川の対岸、小菅JC西(東京拘置所の南)土手上からのスタートです。

3️⃣土手を降り首都高を潜ると右手に水戸街道の説明書きが掲げてあります。ここにお住まいの方が自作で掲げてくれたのでしょうね。ありがたいことです。

4️⃣スタート地点から150m 先を左折して100m ほど北へ向かうと西小菅小学校小学校があり、その北の交差点には銭座橋跡があります。この辺りは幕末の銭座跡だそうです。1859年、幕府の財政窮乏と銅相場の高騰のため小菅銭座が建てられました。翌年から1867年まで『鐚(びた)銭』と呼ばれる鉄製の粗悪な四文銭が製造されたそうです。最盛期には鋳造職人が232人もいたそうですが鐚銭が多く流通すると貨幣価値も下がるため、開国や尊王攘夷に揺れる中、幕府の舵取りは大変だったことと思われます。ちなみに『びた一文』という言葉は鐚が由来だそうですよ。

#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道 #葛飾区
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北国街道旅 vol.3

昨日のリピ散歩は信濃国分寺駅から上田市を経由して坂城駅まで進みました

柳町の風景、上田城と水堀の花筏、小松姫の墓、村上義清の墓、荒砥城跡、板垣信方の墓‥

墓地いっぱいやな笑

今回の旅では歴ヲタにはたまらない名称ばかり出てきてうれしい

#リピ散歩 #旧街道旅 #北国街道 #上田市 #坂城町

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残響散歌

Aimer

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三枚橋から4時間半で元箱根港に到着。石畳の昇降で右膝の裏をやられました🥺

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #箱根峠 #芦ノ湖
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昨日の pic

東海道旅も神奈川県に入りました。今年中に川崎宿から神奈川宿まで歩く予定ですが、その前に箱根峠を箱根湯本〜芦ノ湖まで進みたいと思ってます🚶‍♂️🚶‍♀️

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #川崎宿
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正月休みのリピ散歩👟

東海道編【田町駅〜大森海岸駅】中編

泉岳寺

泉岳寺は桶狭間の戦いで敗れた今川義元の菩提を弔うため義元の孫『門庵宗関』により1612年に創建されました。当初は外桜田にありましたが、寛永の大火で焼失したため高輪で再建されたそうです。尚、泉岳寺は浅野家の菩提寺として知られ、忠臣蔵でお馴染みの浅野内匠頭や大石内蔵助など赤穂浪士四十七士の墓があることで有名です。300円を納め沢山の線香を貰い多くの墓に御参りするのも良い経験になりました。

※山門
1832年建立。一階の天井には江戸三龍の一つ『銅形大蟠龍』がはめ込まれています。

#リピ散歩
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#東海道
#港区
#泉岳寺
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リピ散歩👟
結城街道編【最終回①】

結城街道編の最後は常磐線赤塚駅からのスタート。今回は①〜③回に分け、
①赤塚駅〜水戸駅
②水戸駅・水戸城址から水戸街道追分
③弘道館
の順で掲載したいと思います。

1️⃣水戸市らしい梅をあしらったマンホール
2️⃣水戸市のシンボル?水戸芸術館アートタワー
3️⃣幕末の名君『徳川斉昭』公像
4️⃣5️⃣水戸東照宮
徳川御三家である水戸藩だけにこの東照宮も格式が高く、他の社とは異なるデザイン&色使いが印象的です。創建当時は『徳川家康』公のみを祀っていましたが、後に創建者であり初代水戸藩主『徳川頼房』公も祀られるようになったそうです。宝物殿には鎌倉時代の太刀や家康所用の武具など国や県指定の文化財が多数あるそうです。
6️⃣安神車
東照宮境内で個人的に一際目を引いたのが安神車です。幕末に徳川斉昭が考案したもので、鉄製の車内から鉄砲を撃つような構造から〝日本初の戦車〟とされています。ただ、その動力が牛なので牛がやられたら終わりの感じもしますが?笑
7️⃣東照宮下の寄席
8️⃣銀杏坂交差点には樹齢約300年とされる大銀杏が生えています。戦時中の空襲で一度は丸焦げになってしまいましたが、その後奇跡的に復活したという平和の象徴のような大木です。
9️⃣水戸駅前の水戸黄門御一行

#リピ散歩 #旧街道旅 #結城街道 #水戸市 #水戸黄門
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リピ散歩👟 旅のおまけ編✨

今回も沢山の一期一会に逢いました[大笑い]

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道旅 #美ヶ原 #飯テロ
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千歳烏山の激渋店で遅めの昼食

汁だくで美味しかった😋

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道 #千歳烏山
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忘れないうちに先週のリピ散歩👟

水戸街道7日目(荒川沖駅から土浦駅)

五街道以外の街道が田舎(失礼)へ入ってくると街道沿いの史跡は少なくなってきます。このためリピがよく観察するのは馬頭観音、青面金剛庚申塔、月待塔、猿田彦大神などの石塔、道標の表記です。特に道標は毎回往時の追分や辻(交差点)を明治の古地図と照らし合わせながら行き先を妄想しています。

ちなみに今回のハイライトは布施街道との追分に建つ道標を兼ねた大きな馬頭観音と、鎌倉殿の13人で市原隼人氏が演じた『八田知家』寄進による関東最古の銅鐘(等覚寺)でした

#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道 #土浦市
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リピ散歩【中山道編19日目①】

①整備された当初の中山道は奈良井川の北岸を通っており、その際に造られた一里塚が橋戸の一里塚です。その後中山道は奈良井川の南岸に移設されたため一里塚だけが孤立してしまいました。日本橋から数えて64里目の一里塚です

②奈良井宿の南に木曽の大橋が架かっています。モニュメント的な要素は強いですが、その重厚さは往時の面影を彷彿させます

③④先ほど記載したように整備された当初の中山道は奈良井川の北岸を通っていました。奈良井宿江戸口から北へ上ると初期中山道が杉並木として残されています。またその途中には国道や中央本線の建設により集められた200基の地蔵尊(実際は観音像)が祀られています。

⑤往時の雰囲気を色濃く残す奈良井宿の街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

⑥大宝寺に祀られているこの地蔵尊は1932年に付近の山中から発見されたそうです。胸に抱かれた子供の持つ蓮が十字架に似せてあることから隠れキリシタンが崇拝したものとされています。

⑦手塚家が務めた上問屋場は1840年の建築で国の重要文化財に指定されています。また明治天皇が行幸の際に立ち寄ったそうで建物の奥には明治天皇が食事を取られた部屋が残されています。

⑧⑨長泉寺はお茶壺道中の宿所となった寺院で実際に使用された茶壺が現在でも保管されているそうです。天井に描かれた龍画は迫力がありました。
※お茶壺道中
将軍御用達の新茶を宇治〜江戸まで運ぶ儀式で1633年に徳川家光により制度化されました。この行列は五摂家や宮門家に準ずる格式の高いものであったため、茶壺の行列が通行する際は大名ですら籠を降りることが義務付けられました。街道沿いの村々には街道の清掃、通過する際には田畑の耕作も禁じられたそうです。尚、童謡『ずいずいずっころばし』はこの茶壺道中を揶揄したものと言われています。

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #奈良井宿 #紅葉
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リピ散歩👟

水戸街道編2日目『松戸市〜柏市』

coming soon ✨

#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道 #柏市諏訪神社
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リピ散歩👟 結城街道編【西念寺】

前回の続きです。西念寺は鎌倉新仏教6宗の一つ『浄土真宗』の別格本山として開祖【親鸞】に縁のある寺院です。

鎌倉時代初期の1207年、後に〝承元の法難〟と呼ばれた事件を起こして後鳥羽上皇の怒りに触れた『浄土宗』の開祖【法然】は弟子4人を斬首され、更に法然自身や親鸞(当時は弟子)ら7名も各地へ流罪となりました。親鸞は越後への流罪となりますが5年後には朝廷より恩赦が下り京へ戻ることが可能となります。しかし親鸞は京へは戻らず善光寺(長野県)から上野国(群馬県)を経て常陸国(茨城県)へ入りました。
その後、下妻市や城里町で草庵を開いていましたが、稲田の領主【稲田頼重】に招かれて稲田に定住し布教活動を行いました。親鸞は初め浄土宗の教えを広める目的で布教活動を行っていたようですが約20年に渡りこの草庵に留まりながら書いた『教行信証』が後に浄土真宗の聖典となったことで稲田は浄土真宗立教の聖地として日本全国から崇敬を集めているそうです。

西念寺には親鸞が植えたとされる『お葉付きイチョウ』をはじめ、1597年の宇都宮氏断絶の際に持ち出された『阿弥陀如来像』や1843年築の『太鼓堂』など見所が多い寺院です。

#リピ散歩 #旧街道旅 #結城街道 #西念寺
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リピ散歩

中山道編 vol.20 ③

一里塚跡、草の坂道、ノスタルジックな構造物などを見ながら街道を進み福島宿へと入ります。福島宿には江戸時代の四大関所の一つ『福島の関所』があり大いに発展しました。宿の入口には大きな冠木門、宿場内に入ると高札場跡、江戸時代の風景を元にした趣のある小路が目を楽しませてくれます。尚、旅の最後に木曽義仲の遺髪が納められている興禅寺を訪れました。墓前では義仲館でいただいたシールを見せ旅の無事を感謝し帰路についた次第です。
次回は来年かな‥次の旅に向け今から気持ちがウズウズしますね👟

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道旅 #福島宿 #木曽義仲
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リピ散歩

中山道編 vol.20 ②

宮ノ越宿へと入っていきます

巴渕
伝説によると巴淵には龍神が住んでおり、龍神は木曽義仲の養父中原兼遠の娘に姿を変えると幼少期から巴淵で水泳などの鍛錬を行い、後に巴御前と名を変え義仲の覇業を支えたとされています

義仲館
2021年にニューリアルオープンした義仲館では木曽義仲や巴御前の活躍を中心に沢山の現代アーティストたちがそれぞれの感覚で義仲や巴を描いています。歴史館というより美術館に近い感じですね

徳音寺
本堂の左手には義仲の霊廟が、本堂と霊廟との間の階段を上ると義仲の供養塔をはじめ、巴御前、小枝御前、義仲四天王とされる樋口兼光や今井兼平の墓などがあります

宮ノ越宿本陣跡
村上本陣では明治13年に明治天皇も小休止するなど由緒ある本陣だったようですが3年後の明治16年に起きた火災により客殿以外の建物が焼失してしまったそうです。しかし木曽11宿で唯一現存する客殿として平成28年から一般公開されています

中山道中間地点
ここは江戸日本橋、京都三条大橋、どちらからも268km 地点となります。20回目にしてようやく半分進みました

木曽福島のマンホール
木曽福島へ近づくと福島の関所が描かれたマンホールが現れます

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道旅 #藪原宿 #宮ノ越宿
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今年初の御朱印はブラックジャックとのコラボ✨

よく分からんけど『日付けは1月19日ですがよろしいですか?』って言われた🙄

#リピ散歩
#旧街道旅
#水戸街道
#常陸國總社宮
#御朱印巡り
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チャック式がカッコよかったので、また買っちまった…

三ヶ島製だし、これなら壊れないっしょー

#リピ散歩 #旧街道旅 #GRAVITY自転車部
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自転車

JUDY AND MARY

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リピ散歩👟【水戸街道編2日目④】

さて、街道旅から一週間が経過してしまいました(笑)ラスト④行ってみよー!

🔸北小金駅前から東へ進み1️⃣根木内城跡へ立ち寄りました。
1462年、千葉氏の一族である『高城胤忠』により築城され『太田道灌』や『小弓公方』などと戦いを繰り広げた城郭だそうです。2️⃣説明板によると舌状台地の上に建つ根木内城は廃城後から昭和まで城跡がきれいに残されていましたが、国道の整備により敷地は真っ二つに別れ国道北側は全て宅地化されてしまいました。尚、国道南側は歴史公園として整備されたため曲輪や土塁の跡が残されています。

🔸街道を進み柏市へ入ると柏駅の東に3️⃣柏神社があります。きれいな御朱印で有名な神社なので御朱印を貰いたかったのですが、思いのほか旅のスタートまで時間が掛かってしまい、神社に着いた時には時計の針は17:00を回ってしまいました[疑っている]参考までに4️⃣HPから御朱印を載せておきます。

🔸柏神社から350m ほど先にある立体駐車場の植え込みに5️⃣明治天皇御小休所跡碑があります。1884年に女化け(おなばけ)原で行われた軍事演習を見学した際に休憩所となった寺嶋家の跡地だそうです。

🔸常磐線陸橋の手前から見える6️⃣柏ハート迎賓館が夕陽に当たってきれいでした。

🔸大堀川を7️⃣呼塚橋を渡ります。平安時代末期、この辺り(小金牧)に住む若者が世話をしていた馬の中に一頭たくましい栗毛の馬がいたそうです。栗毛の馬はいつしか地元の殿様(御家人)の目に留まり『将軍(源頼朝)様にその立派な馬を献上したいので譲って欲しい』と若者に頼みました。馬が出世できるならと若者はしぶしぶ了承しましたが、その後『池月』と名付けられたこの馬は『富士川の戦い』など数々の戦で活躍し正真正銘の名馬となったそうです。何年か経ち寿命が近づいてきた池月は小金牧に帰されました。その後池月は小金牧で息を引き取り村人たちは土を高く盛って池月の塚を作ったそうです。若者はその後もこの地で馬の世話をしていましたが、その際に『ホーイ、ホーイ』と馬を呼んでいたため、この地を『呼塚(柏市)』、池月の塚があった場所を『高塚新田(松戸市)』と呼ぶようになったそうです。

🔸8️⃣北柏駅でゴール!

🔸おまけ。9️⃣手賀沼の夕焼け

#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道 #松戸市 #柏市
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リピ散歩👟【水戸街道編2日目②】

前回①では松戸の渡し〜馬橋までの道のりを記載しましたが、今回②では松戸市中心部にある徳川昭武の邸宅『戸定邸』を紹介したいと思います。

1853年、ペリーの来航の年に生誕した徳川昭武は父に徳川斉昭、兄に徳川慶喜を持つ徳川家のエリートです。1866年、徳川慶喜の命を受けて渋沢栄一らとパリへ旅立ちましたが、パリ滞在中に大政奉還や戊辰戦争により江戸幕府は崩壊、失意のうちに帰国の途に着きました。
その後の昭武が政治の表舞台に立つことはありませんでしたが、その名声と財力で厳かに暮らしていたようです。この戸定邸は1884年に建てられ敷地面積7万平方メートルを超えたそうですが、現在ではその3分の1ほどの面積となり、その敷地は歴史公園として国指定重要文化財・国指定景名勝となっています。空気が澄んでいれば富士山も見える高台の美しい公園です。

#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道 #松戸市 #戸定邸
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リピ散歩👟
結城街道編【最終回②】

結城街道は水戸駅北口から東へ向かいますが、一旦北へ向かい水戸城址へ寄り道します🏯

1️⃣水戸城二ノ丸角櫓
水戸駅北口を少し北に進むと右手土塁の上に櫓が見えます。水戸城にあった4箇所の櫓のうち二ノ丸の南西にあった角櫓が2011年に復元され、二ノ丸に登れば内部見学もできます。
2️⃣3️⃣4️⃣水戸城大手門
こちらは2020年に復元された大手門で国内最大級の大きさを誇ります。幾何学模様を重ねたような瓦塀もその魅力の一つです。瓦と粘土を積み重ねた瓦塀は熱田神宮の信長塀を思い出します。
5️⃣水戸城縄張図
水戸城の巨大さ、強固さがわかる縄張図です
6️⃣本丸大堀切
二ノ丸から本丸へ渡る橋から巨大な空堀りを見ることができます。これほど深い空堀りはなかなか見れないと思います。現在は堀を利用して水郡線が走っています🚃
7️⃣水戸城薬医門
大堀切を渡ると本丸跡へ入ります。現在は県内随一の進学高である水戸第一高校の敷地内となっていますが薬医門の見学は可能です。築年は安土桃山時代1591〜1602年ごろとされているので、水戸藩以前の佐竹氏の時代に造られたようです。あの鬼佐竹と同じものを見ているかと思うと歴ヲタはテンションが爆上がりです💥
8️⃣水戸黄門神社
水戸駅北口に戻り東へ進むと『水戸黄門誕生の地碑』があり、ここを左折すると水戸黄門神社があります。『頭が高い!控えおろう!』笑
9️⃣ 水戸街道追分
結城街道は黄門神社から南東方向へ伸びていました。常磐線、桜川を渡り250m 進んだT字路が水戸街道との追分であり、同時に結城街道のゴールとなります。現在の市内繁華街からだいぶ離れていますが、この交差点に立つ『旧本一町目』の地名から分かるように、かつてこの辺りが宿場の中心地だったことが分かります。

#リピ散歩 #旧街道旅 #結城街道 #水戸城 #水戸黄門
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日曜日の Photo 📸

今年中にもう一度東海道を旅する予定があり、順番で行くと少し前に歩いた川崎宿からのスタートとなりますが、なんかまた箱根に行きたくなった

秋は箱根宿〜三島宿になるかもしれん

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #箱根峠 #小田原
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早雲寺は1521年に伊勢宗瑞(北条早雲)の遺言により嫡子北条氏綱により創建されました。1590年の小田原征伐時において豊臣秀吉が一度は本陣としたものの、石垣山城が完成すると早雲寺は焼き払われてしまいました。後北条氏が滅亡したことで一時は荒廃した早雲寺ですが、江戸時代に入ると1627年に菊径宗存により再建されたそうです。
本堂左手を回り込むように奥へ進むと1672年に狭山北条家『北条氏治』により建立された北条氏5代の墓があります。尚、初代北条早雲は生前〝北条〟姓を用いず『伊勢新九郎盛時』と名乗っており、このため墓碑には伊勢新九郎長氏と彫られています。また本堂裏にある名庭園は早雲の子『北条幻庵』により整備されたそうで戦国武将好きにはたまらない名前が続々と登場しますね

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #箱根峠 #早雲寺
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街道旅の魅力の一つに安藤広重(中山道は広重と英泉)により描かれた浮世絵の場所を辿る楽しみがあります。

今回の旅では上松宿の小野の滝、須原宿の鹿島神社、野尻宿の伊奈川橋を見ることができました。ちなみに伊奈川橋には葛飾北斎に影響を受けた英泉による隠し絵が描かれていますが、皆さんどこかわかるかな?

#リピ散歩 #旧街道旅 #中山道 #安藤広重 #英泉
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今日はリピ散歩

箱根峠上ってきまーす

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #箱根峠 #三枚橋
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川崎宿到着✨

クラフトビールで一杯やって
トーキョー戻ります

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #川崎宿
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梅屋敷跡(大田区蒲田3)

江戸時代、食あたりや暑気に効く和中散という薬が旅人に重宝されていました。ここより北の美原地区には和中散を取り扱う店舗が三軒ほどあり、そのうちの一軒の主人『山本忠左衛門』がこの地に店を構えたそうです。その後、息子の山本久三郎が梅を集めて茶屋を開いたことで梅の名所『梅屋敷』と呼ばれるようになりました。安藤広重の浮世絵にも描かれ、明治天皇も計9回ほど訪れた梅屋敷には『明治天皇行幸所蒲田梅屋敷』の碑が建てられています。

また梅屋敷は幕末に起こった『梅屋敷事件』の舞台としても有名です。1862年、尊王攘夷に燃える長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞らは横浜異人館の襲撃を計画します。しかし計画は土佐藩主『山内容堂』の知るところとなり直ちに長州藩主『毛利元徳』へ報告されました。その後、元徳は梅屋敷で高杉たちを説得し襲撃計画は未然に防がれたそうですが、長州藩士の一人『周布政之助』が山内容堂を馬鹿にしたことで土佐藩士と一触即発となりました。高杉の機転によりことなきを得ましたが、ここで長州藩と土佐藩が仲違いをしていたら〝薩長土肥〟中心の明治維新は無かったかもしれませんね。ちなみに一度は襲撃計画を諦めた高杉たちですが、その後『英国公使館焼き討ち事件』を実行しています。

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #蒲田 #梅屋敷
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そんなわけで日曜日は川越街道+児玉往還を走ってきました🚴‍♂️💨
東武東上線沿いの新河岸駅から高坂駅までを走るつもりでしたが、途中の寄り道が多くて若葉駅で夕暮れ終了とあいなりました。今回で年内の街道旅は終わりますが、来年も新たな発見や地元ならではの美味しい食べ物を探して楽しみたいと思いまーす。来年もリピ散歩をよろしく💫

#リピ散歩 #旧街道旅 #川越街道 #川越市
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今年最後のリピ散歩👟

誰だかわかるかな?

#リピ散歩 #旧街道旅 #川越街道
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日曜日の pic.

上田城に移る前の真田氏本城跡と真田幸隆、真田昌幸、真田信繁(幸村)の宝篋印塔なり

#リピ散歩 #旧街道旅 #北国街道 #上田市 #真田氏
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昨日は小諸駅から信濃国分寺駅までのリピ散歩でした。雷電生家やうだつが綺麗な海野宿も興味を引きましたが駅構内で野菜を売ってることに一番驚きました🤭

#リピ散歩 #旧街道旅 #北国街道 #雷電 #海野宿
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昨日の思ひ出‥

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道
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分倍河原まで行きたかったんだけど今日は手前のよくわからない駅で断念。足がやばい😇
皆さん、沢山のいいねありがとうございました✨

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道 #武蔵野台
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その後も玉川上水の橋跡を散策しながら進みます。新台橋、第三号橋(新宿から進んで玉川上水が姿を見せる最初の地点)、二号橋、ゆずり橋、明大橋、下高井戸橋、小菊橋、旭橋‥
尚、旭橋以降の玉川上水は旧甲州街道と離れてしまうため、橋の散策はこれまでにしたいと思います

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道 #玉川上水
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甲州街道沿いには玉川上水の痕跡が点在しており、新宿駅南口から500m ほど進むと左手に玉川上水のモニュメントがあります。
玉川上水とは江戸の人口増加に伴う水不足解消のため1654年に開削された人工の上水道です。遠く羽村市から分水された玉川上水は、福生市→立川市→小平市→三鷹市→杉並区→渋谷区→などを通過しながら新宿区四谷まで全長約43km の流れがあったそうです。現在は上水道としての役割を終え、特に都心部では大部分が暗渠となっており、このモニュメントは実際の暗渠を半分にした形をしているそうです。尚、玉川上水はここから上北沢入口交差点付近まで甲州街道(国道20号線)沿いをほぼ並行して流れており、今回の旅ではその痕跡も辿っていきたいと思います。

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道 #玉川上水
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先は長い

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道 #初台
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今日はリピ散歩です👟

旧甲州街道を新宿駅から調布方面へ進みます。天気が微妙ですが頑張りまーす
ちなみに新宿駅は『君の名は』の聖地です。映画で見た光景が広がってますね

では行ってきまーす🚶‍♂️💨

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道 #新宿駅 #君の名は
旧街道の星旧街道の星
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行きたい‥

#リピ散歩 #旧街道旅 #水戸街道
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👟いつぞやの北国街道の思い出

①シャーロックホームズシリーズの原作者であるコナン・ドイルの小説を翻訳家である延原謙がこの地で全訳したことからホームズ100周年を記念して像が建てられました

②濁川は浅間山の南に聳える石尊山に源流を持つ河川で源水には硫化鉄や遊離炭酸を多く含むため空気に触れると茶褐色に濁ってしまうそうです

③繭を持つ石像(1909年建立)
この辺りで養蚕が盛んに行われていたことが分かります

④中山道経由で38里目、北国街道で2里目の平原一里塚跡です

⑤中山道経由で39里目、北国街道で3里目の唐松一里塚です

⑥小諸宿には大平洋戦争末期に戦火を逃れるために疎開した高浜虚子が過ごした廬があります

⑦光岳寺参道の石塔とネコ

⑧島崎藤村は英語教師として1899年から1905年まで小諸に居を構えていました。結婚、妻の出産を経て詩から散文へと創作法を転換、千曲川のスケッチを発表したそうです

⑨小諸城大手門は小諸藩主仙石秀久により1612年に築かれました。国の重要文化財に指定されています

#リピ散歩 #旧街道旅 #北国街道 #軽井沢町 #小諸市
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リピ散歩👟

北国街道旅一日目①

🔹北国街道追分(軽井沢町追分559)

中山道追分宿京口の少し西に北国街道との追分があります(右へ進むと北国街道、国道を進むと中山道)
追分の中央には江戸前期〜中期にかけて彫られた沢山の石塔や石仏が祀られています。実はここには私が街道旅にハマるきっかけとなった④の子育て地蔵尊があります。いつになるかは分かりませんがリピの夢である中山道と北国街道の走破ができるよう夢を追い続けていきたいと思います。

①道標(1679年建立)
新井白石により1716年に定められた街道の表記以前に建立されたこの道標には街道が海道、中山道が中仙道と表記されています。
『二世安楽追分宿』
『右 従是北国海道』
『左 従是中仙道』

②森羅亭万象歌碑(1789年建立)
世の中は ありのままにぞ霰ふる かしましとだに 心とめぬれば

③常夜燈(1789年建立)
『是より左 伊勢』

④子育て地蔵尊(1777年建立)
台座には説明板に示す詩が刻まれています。友と江戸から進んできた中山道ですがこの追分で別れることとなります。一人は月の美しい更科(長野市や新潟)へ‥‥もう一人は桜の美しい吉野(奈良や関西)へ‥‥徒歩の旅路ではいつ野盗や猛獣に襲われ命を落とすかも分からない時代、無事に辿り着けたとしても互いに連絡を取ることが困難な時代、もしかして二度と会えないのでは?と心に秘めつつも互いの未来を思いやる心が滲み出ているこの詩に何とも言えない感情が湧き街道旅をはじめました。

『さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを 追分の宿』

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久しぶりのリピ散歩

coming soon 👟

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昨日のおもひで

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#芦野宿
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自分はそうは思いません!
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何げない日に鰻を食す

休日の大人贅沢。

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#古河往還
#大人の休日
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正月休みのリピ散歩【東海道編④】

①品川寺
品川寺は9世紀の初め空海により開山されたそうです。山門前には江戸六地蔵の一つである銅造地蔵菩薩坐像(1708年建立)が鎮座しており江戸時代から現代に至るまで旅人の安全を見守っています。ちなみに品川寺は〝しながわでら〟と呼ばず〝ほんせんじ〟と呼びます。仏教は中国から伝わった教えのため寺名は音読みで発音するそうです。確かに浅草寺も〝あさくさでら〟と呼ばずに〝せんそうじ〟と呼びますね

②③山内容堂公墓所
鮫洲駅の高架下を潜り大井公園の南階段を上ると山内容堂公の墓があります。山内容堂公は幕末の土佐藩主です。酒と女と詩を愛し、自らを鯨海酔候(げいかいすいこう)と称していました。一方で『幕末の四賢候』の一人に列せられるほどの改革派であり坂本龍馬や後藤象二郎により進言を受け幕府へ大政奉還の建白書を提出するなど豪胆な一面も見せています。

④浜川砲台跡
立会川駅東の浜川公園に砲台のレプリカが展示されています。1853年に横須賀沖に黒船が来航すると幕府は再び訪れる黒船の来航に備え江戸湾の防衛を進めました。ここから400m ほど北西(現浜川中学校)には土佐藩の下屋敷がありこの浜川公園付近には土佐藩の抱屋敷(土佐から送られてくる物資を荷揚げする場所)があったそうですが土佐藩においても黒船来航の翌年には合計8門の砲台を設置したそうです

⑤⑥坂本龍馬像
立会川商店街の一画に坂本龍馬像があります。土佐藩の下屋敷や浜川砲台には若き日の坂本龍馬も訪れていたそうで藩士として砲台の守りにも着いていたようです。尚、この龍馬像は17〜18歳だった頃の龍馬をイメージして造られており足にはブーツではなく草履を履いています

⑦鈴ヶ森刑場跡
江戸の街外れにはいくつかの刑場があり鈴ヶ森刑場もその一つとされています。敷地内には磔台や火炙石など往時に使われたとされる土台がそのまま残されています。由井正雪の乱に関わった『丸橋忠弥』や夜桜お七のモデルとなった『八百屋お七』など1651年の開設から1874年の閉鎖まで約10〜20万人が刑に処せられたそうです

⑧⑨品川水族館を横目に大森海岸駅でフィニッシュです

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #品川宿
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正月休みのリピ散歩【東海道編③】

①②高輪海岸の石垣石
高輪二丁目交差点に高輪海岸の石垣が移設されています。この石垣は江戸時代の護岸工事の際に使われていたものだそうです

③④⑤⑥問答河岸跡
箱根駅伝を見た八ツ山橋交差点を左折し品川宿へ入ります。京急本線を越えると問答河岸跡碑があります。江戸時代、品川宿の海岸沿いに東海寺という寺院があり、徳川家光がこの東海寺に立ち寄った際に出迎えた沢庵和尚と問答になりました。

家光『海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に』
沢庵『大軍を率いても将(小)軍と言うが如し』

‥2人の親父ギャグの場所でした(笑)

⑦土蔵相模跡
幕末には『桜田門外ノ変』実行役の水戸浪士たちの決起場所として、その後は高杉晋作や伊藤博文など維新志士たちの会合場所として利用されたそうです。
余談ですが、この西には北品川駅があります。1904年に品川駅として開業されましたが1925年に品川宿の北に位置するという理由で北品川駅に変更されました。品川駅の南にあるのに北品川駅というのが面白いですね。ちなみに現在の品川駅は港区にあることは有名な話ですが品川駅のあった場所が明治初期に品川県だったことからこの名前が付けられたそうです。廃藩置県により品川県が廃止されたために港区となり余計にややこしくなってしまったようですね(笑)

⑧品川宿本陣跡
中山道の板橋宿、日光街道の千住宿、甲州街道の内藤新宿と共に江戸四宿とされ往時は大変賑わったそうです。本陣は1868年の明治天皇巡行の際に行在所として使用され、巡行を記念した聖蹟公園が奥に整備されています。尚、品川宿は3つのエリアに分かれておりこの辺りは北品川宿、この先にある目黒川より南を南品川宿、本陣の手前にあった法禅寺より北を歩行(かち)新宿と呼んでいたそうです

⑨釜屋跡
品川宿は参勤交代において江戸に入る前の最後の宿場町であったことから多くの大名が茶屋や料亭に立ち寄り身なりを整えてから江戸へ向かったそうです。特にこの釜屋は風光明媚な立地にあったため1867年に幕府御用宿として多くの幕臣たちが利用したそうで、新撰組の土方歳三や井上源三郎が休息を取った記録が残されています。先ほど見学した土蔵相模は長州や薩摩藩の藩士たちの会合場所となっており同じ宿場町で敵同士が暗躍していたようですね。

#リピ散歩 #旧街道旅 #東海道 #品川宿
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今日は東海道をリピ散歩中

田町〜蒲田まで歩いてるんだけど、今日は箱根駅伝だったみたい🏃💨

#リピ散歩
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