大阪の西成と言えば#あいりん地区 や#ドヤ街(ドヤ=宿),,,カップ酒や競馬新聞を片手に持つ#日雇い労働者 で溢れる町、という印象でしたが、この記事読んでちょっとイメージ変わりました。中々面白い内容です☝️[ほほえむ]このレジェンドの阿修羅さんは1970年の大阪万博の時に西成に来て日雇い労働者として45年働いた後、アジアからの出稼ぎ労働者やDVの加害者の支援、釜ヶ崎で困っている様々な人の支援に携わってきた人だそうです。そもそも江戸時代は心斎橋辺りに今の西成のような日雇い労働者が集まる木賃宿の街があり、西成エリアは畑だったけど、日露戦争でロシア人の捕虜収容所ができて、物珍しいと人が集まるようになり、その見物客相手に露天ができて繁華街になったのが新世界の始まりだった,,,しかしそこで伝染病が大流行してこのドヤが問題視されて大阪市が排除し、西成の畑がドヤ街変化。堺筋周辺は日雇いの仕事がない時は鉄くずや紙、衣類等をひろってそこで換金するようになり、大正時代には古本屋街になったが、戦争の空襲で焼け野原になり、米軍の中古品を持ち寄って売る電気街に。更にそれが廃れてオタロード、、、これは秋葉原とよく似ていますね。90年代にバブルが崩壊し、仕事がなくなり労働者も減り、ドヤ(簡易宿泊所)の経営者たちがバックパッカーを泊める経営に転換。現在は高齢化もあって、一階はデイサービスで上が高齢者向けマンションという建物に変化したところも。今でも無料で身分証明書もなしで泊まれるシェルターがあるが、生活保護を受けるとアパートに引っ越していく。仕事の紹介もあるし、一人で自由が許されるし、色んな難しい課題を抱えた人が普通にいられる場所。ここはどんな人でも受け入れる、来れば大体何とかなるってある意味すごい街やん[ほっとする]東京がホームレスを少人数に分けて見えなくしたのとは対照的にすべてをさらけ出して受け入れる。そこが大阪らしさとも言えますね。(貼りきれなかった記事はコメント欄に)あ~、全く別の事をやろうと思ってたのにまたもや脱線[目が回る]こうして時間が過ぎていく[疑っている]