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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せてします。
建長元年板碑(けんちょうがんねんいたび)は、埼玉県越谷市御殿町にある市指定有形文化財で、鎌倉時代中期・建長元年(1249)の銘を持つ越谷市最古の板碑です。
材質は緑泥片岩で、頂部は山形に整えられ、二条線の切り込みがあり、中央には阿弥陀如来を象徴する梵字「キリーク」が大きく刻まれています。
そのため、正式には「建長元年銘阿弥陀一尊種子板碑」とも称されます。
越ケ谷御殿跡のすぐそばにあり、歴史散策の好きな方は楽しめるエリアかも…


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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
成就院(じょうじゅいん)は、埼玉県春日部市粕壁にある真言宗智山派の寺院で、正式な寺号は「大日寺」、山号は「愛宕山」といいます。
成就院の創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596年から1615年)に僧の順清が中興開山し、元禄8年(1695年)に現在の地へ移転したと伝えられています。
山門が非常に力強く荘厳で、山門の両脇には迫力のある仁王像(金剛力士像)が配置されています。
境内には江戸時代の偉人、見川喜蔵の墓があり、彼は貧しい庶民に粥を配り、古利根川の堤防築造に尽力した人物として知られています。



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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
東陽寺は埼玉県春日部市粕壁東にある曹洞宗の寺院で、文明年間(1469年 - 1487年)に創建されました。
当初は春日部八幡神社の隣にありましたが、1624年の火災で焼失し、1662年に現在の場所へ再建されました。
松尾芭蕉が1689年の「奥の細道」の旅の途中で宿泊したと伝えられており、境内にはそのことを記した記念碑があります。





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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
東八幡神社は埼玉県春日部市粕壁東にある、誉田別尊(第15代応神天皇)を祭神とする春日部市内有数の神社です。
京都 石清水八幡宮から分霊を勧請し氏神として祀ったと伝わり、家内安全・五穀豊穣・商売繁盛・厄除開運の神徳があるとされています。
樹齢約600年の大ケヤキが御神木として有名で、堂々たる姿は境内でひときわ目立ちます。
境内社もいくつもあり、静かで、見所が多い神社です。






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杉戸宿は、1616年(元和2年)に江戸幕府によって日光街道に設置された宿場町で、江戸日本橋から日光へ向かう道中の21ある宿場の5番目にあたります。
現在は埼玉県北葛飾郡杉戸町に位置します。
宿場町として大名や旅人の宿泊や馬の継ぎ立ての役割を果たしていたほか、本陣や脇本陣、旅籠屋などがあり、当時の面影を伝える建物や街道の遺構も残っています。
その杉戸宿の入り口あたりに、八幡神社が鎮座しています。



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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
武蔵国 越谷郷 久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は、埼玉県越谷市越ヶ谷にある総鎮守の神社です。
創建は鎌倉時代とされ、元荒川流域一帯に分布する久伊豆神社の中でも代表的な存在で、徳川家とゆかりがあり、特別に葵紋の使用が許可されています。
祭神は、大国主命、言代主命 です。
本殿は寛政元年(1789年)建立で、令和6年には本殿・神楽殿・手水舎が国登録有形文化財に答申されました。
個人的には、本殿後ろの摂末社のエリアの雰囲気が好きです。
参拝当日は、タイミングがよく、朝のお務めで、大祓詞の奏上がされており、聞こえてきました✨






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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
春日部八幡神社は、埼玉県春日部市粕壁に鎮座し、元弘年間(1331-1334年)に春日部治部少輔時賢が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請し創建されたと伝えられています。
粕壁宿や新方領四十余郷の総鎮守として重要な役割を担い、明治期には郷社に列格されました。
主祭神は誉田別尊(応神天皇)で、相殿に息長足姫尊(神功皇后)、武内宿祢命、豊受姫命が祀られています。
境内には複数の摂末社があり、八幡神社の守護神格や多様な神徳が感じられます。
文化財としては春日部八幡神社旧本殿(春日部市指定文化財)があり、当地最古の建造物です。また、浜川戸砂丘(埼玉県指定天然記念物)など歴史・自然の見どころも存在します。
個人的には、奥の摂末社あたりの雰囲気が、拝殿付近とは、まるで違う、独特の雰囲気がします✨
訪れはのは、昨年11月28日 師走に近い寒い日でしたが、イチョウが黄色に色付いていて、とても綺麗でした✨






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中町浅間神社(なかちょうせんげんじんじゃ)
埼玉県越谷市中町にあり、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神とする由緒ある神社で、越谷宿中町の鎮守として篤く信仰されています。
歴史と由緒創建年代は不詳ですが、少なくとも室町時代にはすでに鎮座していたことが確認されています。
境内には樹齢約600年、幹回り7メートル、樹高23メートルに及ぶケヤキの御神木がそびえ、越谷市の指定天然記念物となっています。
その幹は地上6メートル付近で六方に分かれ、美しい樹形を保ちながら今も旺盛な生命力を示しています。
#中町浅間神社






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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
大林香取神社は、埼玉県越谷市大林の元荒川付近の大林地区に鎮座する神社です。
現在の場所は大林地内でも一番高い台地で、元荒川の沖積地、西側の高台に位置しています。
応永年間(1394~1428年)と伝わり、村の鎮守として地域に深く根ざしてきました。
初期には村の成立とともに勧請されたと推定され、江戸時代初頭には既に祀られていたと『新編武蔵風土記稿』等にも記録があります。
明治6年(1873年)に村社へ昇格、明治40年に近隣の神明社・白山社が合祀されています。
元荒川流域の開発とも関わりが深く、日光街道の整備とともに地域の守護として発展しました。
祭神と境内主祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)、刀剣の威力を象徴し、武運や厄除けに御利益があります。
境内には天満宮、稲荷社、大宮、白山社、猿田彦大神などの摂末社も祀られています。






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埼玉県草加市氷川町にある神社で、創建は安土桃山時代の天正年間(1573年~1592年)です。
当初は「氷川神社」と称していました。
創建の起源は、大宮氷川神社の御霊を分けて小さな祠(ほこら)で祀ったことに始まります。
草加宿の成立とともにこの神社の崇敬も深まり、1717年(享保2年)には正一位の位階が神祇管領長上吉田家より授けられています。
明治40年(1907年)には周辺11社を合祀し、明治42年(1909年)に社号を「氷川神社」から「草加神社」に改称し、草加の総鎮守としての役割を担うようになりました。
本殿は江戸時代中期から後期にかけての建築で、立川流の彫刻を施した美しい建物として文化財に指定されています。
#日光街道巡り #草加神社


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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
大島有隣遺跡は、埼玉県北葛飾郡杉戸町大島にあります。
この遺跡は、考古学的な「古代遺跡」ではなく、大島有隣の活動拠点としての旧跡を対象にした「歴史遺跡」(江戸期の史跡)です。
大島有隣は、この大島村(現杉戸町大島)の出身で、江戸に出て心学を学び、関東地方で心学を広めた指導者です。
1785年(天明5年)に、この地に「恭倹舎(きょうけんしゃ)」を建て、農民や町人に心学の教えを説いたとされ、その恭倹舎跡・建物が遺跡の中核となっています。
恭倹舎は現在 集会所的な施設として利用されており、外観を見学できる形で残されています。
大島有隣遺跡の脇に、稲荷神社があり、遺跡とセットのような位置で鎮座しています。
遺跡見学と合わせて短時間で参拝できる規模なので、心学ゆかりの地とその土地神を一度に巡る小さな歴史散歩をしてはいかがでしょうか。
#大島有隣遺跡 #杉戸町 #杉戸宿






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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
大落古利根川は杉戸宿の近くを流れ、かつて利根川の本流だった歴史的な河川です。
この河道は江戸時代以前の利根川の名残で、河畔砂丘や自然堤防が残っています。
江戸時代、杉戸宿は日光街道五番目の宿場として栄え、大落古利根川沿いに本陣跡や神社仏閣が並びました。
川は農業排水路として「大落」と呼ばれ、利根川東遷事業で本流から分離されました。
松尾芭蕉の句碑も川近くの杉戸浅間神社にあります。
そして、杉戸宿周辺では流灯まつりやウナギ料理が楽しめ、川沿いの散策路が人気です。
#大落古利根川 #杉戸町 #杉戸宿





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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
杉戸町杉戸にある宝性院(ほうしょういん)は、真言宗智山派の寺院で、通称杉戸不動尊として親しまれているお寺です。
本尊は大日如来。山号は杉戸山で、1562年(永禄3年)に幸手の一色義直によって開山されたとされています。
安産や子授け、家内安全などの祈願で訪れる人が多いようです。
そして 不動堂には、武田信玄の子孫で、江戸幕府で高家職を務めた武田信之が毛筆で揮毫した「不動」の扁額が掲げられています。
この旅で 私が、日光東照宮以外で唯一、授受品を授かった(買った)寺院でもあり、個人的に好きになった寺院でした。
#宝性院 #杉戸町 #杉戸宿






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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
角穀屋跡(かどこくやあと)は、日光街道・杉戸宿の枡形カーブの角に建つ旧・米穀問屋(小島定右衛門邸)で、現在も宿場町らしい豪壮な町家と蔵が残る歴史的建造物です。
名称の由来は「角にある穀物問屋」=角穀で、杉戸宿の経済を支えた米穀商家でした。
宿場町特有の「枡形(クランク状のカーブ)」になった通りの角に位置し、防衛・交通の要所でもありました。
現在は商家と蔵が連なった外観がほぼ残っており、向かい側の商家を含め杉戸宿の面影を今に伝える貴重な建物と紹介されています。
#神明神社 #杉戸町 #杉戸宿





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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
愛宕神社は、杉戸宿の鎮守の一つとして信仰されてきた、火伏せの神を祀る神社です。
境内には樹高約10m、幹囲約5.1mの大イチョウがあり、江戸時代には旅人に木陰を提供したとされます。
かつては主幹が高く伸びていたものの、樹勢の衰え等から途中で伐られており、現在は小ぶりな姿になっています。
大イチョウの裂け目には「銀杏観音」と呼ばれる小さな観音像(瑠璃観音、三十三観音の一尊とされる)が安置されており、神仏習合の名残を感じさせます。
#神明神社 #杉戸町 #杉戸宿





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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
神明神社は、日光街道の宿場・杉戸宿新町の鎮守として創建された小社で、地元では「神明様」と呼ばれています。
毎年7月には "天王様" と呼ばれる八坂祭りが催され、夏まつりで賑わいます。境内には神輿庫があり、神輿が出される伝統的な祭礼が続いています。
かつて隣接していた神明院が別当寺として管理を担当し、神仏習合の形態をとっていましたが、明治初期の廃仏毀釈に伴い神明院は廃寺となり、現在は神社のみが残っています。
#神明神社 #杉戸町 #杉戸宿





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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
近津神社(ちかつじんじゃ)は、杉戸町清地の鎮守の神社です。
旧・清地村の鎮守として信仰されてきた神社で、現在も地域の氏神として崇敬されています。
神社の特徴近津神社は2001年に火災に遭いましたが、2007年に社殿が再建され、その際に鎮守の森も整備されて、明るく清々しい雰囲気の境内になっています。
イチョウに囲まれた社殿の景観が美しく、散策や写真撮影にも向いた静かな神社です。
この神社で、少し不思議なことがありました。
参拝をして帰ろとしたときに、境内を掃除していた男性に声をかけられました。
挨拶だけして立ち去ろうとしたのですが、その男性は生まれてからの身の上話をし始めました。
その話は1時間くらいもあったのですが、一生懸命に話すので、切り上げることができませんでした。
話し終えた男性はその後、境内の石碑など旧字など難しい字が読めないので、読んで欲しいというので、読んであげました。
すると、男性は私に感謝したあとに、「俺は今まで人に話したことはないのだが…。人生で一回だけ神様、しかも女神様をみたことがある」と話しました。
「白い衣を着たとても美しい女神だった。ずっと内に秘めていたが、ここであなたに会えてはじめて言おうと思った」とおっしゃっていました。
私は、この男性に何かしてあげたいと思い、拝殿の前に一緒に立ち、この男性のために祝詞を唱えました。
するとこの男性は、ポロポロと涙を流し、私に感謝していました。
そのあとに撮ったのが、ここにあげた写真です。
私は写真を撮る時に、女神がいたような感じがしました。
その後、半年くらいたったあとに、気になっていたので、霊能者の先生に、経緯を話し、この写真を見せたところ…
「この男性自身が神様だね」って言われました。
そして、「いいことしましたね」とも言われました。
時々 神様は人を試すそうです。
いずれによせ、私にとって、とても不思議な体験をした神社でした。
#近津神社 #杉戸町 #杉戸宿





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茨城県古河市宮前町にある由緒ある神社で、旧古河町の総鎮守です。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)の三柱で、国土安穏や開運長久、五穀豊穣などのご利益があります。
社伝では、崇神天皇の時代に豊城入彦命が東国の鎮護のために創建した、または清和天皇・貞観元年(859年)に出雲大社から分霊を勧請したという伝承があります。
現在の社殿は慶長10年(1605年)に古河城主・松平康長が建立したもので、市指定文化財です。
神社の名前の由来は、かつてこの地を「雀が原」と呼んだ説と、「鎮社(しずめのやしろ)」が転じて「すずめ」となった説があります。
この日は、お宮参りや七五三でのお参りの方々がたくさんいました。
※また改めて #日光街道巡り の記事の時に紹介すると思います
#雀神社 #神社参拝



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昨年10月から今年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩た時の写真を載せています。
豊嶋屋関口式右衛門邸は、埼玉県杉戸町の古い造り酒屋の邸宅で、1822年(文政5年)に創業した老舗である関口酒造の旧屋号「豊嶋屋」に由来します。
江戸時代から続く大きな古民家で、日光街道沿いにありその佇まいは江戸期の風情を感じさせます。
一族の祖先には今川義元の養女で徳川家康の正室となった築山御前がいると伝えられ、一族は桶狭間の戦い後に杉戸町東端の鷲巣に移り住みました。
豊嶋屋関口式右衛門邸は2022年9月に閉業していますが、屋号紋「カネジュウ」が刻まれた瓦や、代表銘柄「豊泉」などの看板が残されています。
納屋などの建造物も大震災後に残されており、歴史的な価値を持つ場所です。
現在は関口酒造として伝統を引き継いでいます。
そういえば、築山御前の婚姻前の名前は、関口瀬名(瀬名姫)だったなぁと思い出しながら歩いていました。




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