山上被告の裁判について考える。裁判長は判決理由の中で、「何ら落ち度もない被害者の命を奪った」と述べた。しかし、本当に「何ら落ち度もなかった」と、社会はそこまで断言できるのだろうか。少なくとも、統一教会と関係を持つ元総理という立場は、結果として国民に誤解を招きかねない要素を含んでいた。その点については、現在「宗教2世」と呼ばれる人々の中からも、「判決には温情がない」と感じる声が上がっている。仮に、本当に社会的な問題が指摘される余地がなかったのであれば、日本政府から宗教団体への解散命令が出されることもなく、関係した議員たちが、これほど国民の強い批判にさらされることもなかったはずである。もちろん、人を殺害する行為は決して許されない。それは、どのような事情があろうとも揺るがない大前提である。しかし一方で、元総理が米大統領と共に行っていた「宣伝と受け取られかねない行動」やその映像を見て、「統一教会と深く関係している」と受け止めた人々が存在した可能性も否定できない。そして、その認識を信じ、入信に至った人々が存在した可能性もある。「殺人は悪」という結論だけで思考を止めるのではなく、なぜそこまでの誤解や不信、憎しみが生まれてしまったのか。その背景と構造に、社会全体で向き合う必要があるのではないだろうか。#政治と宗教#統一教会問題#宗教二世#社会問題#日本の司法