【愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ 】は、ドイツの宰相のオットー・フォン・ビスマルクの格言。似たような良く言われる発言に【誰が言うかより何を言うか】【何を言うかより誰が言うか】と言う矛盾した言葉。まず経験に学ぶのが"知恵"だと仮定して、歴史に学ぶのが"知識"と仮定する。歴史とは人が語り継いだ言葉だったり書物に残された文字だったりする。これが知識。愚者と賢者と分けられているが、これは市民を洗脳するための格言のように思う。前提条件で"知識"を受けて、果たして本当にそれはそうなるのか?確認してみるのが自らの体験として体得できる"知恵"となる。だから言うなれば、どちらも大切に近い。歴史(過去の人達の経験)だけを盲信し過ぎても、実は誤っていたりする可能性もある"からこそやってみるのも大事"なのかも知れない。ただ死に直結する場合を除く。誰が言うかより何を言うかが大事。基本的に私はこちらの方を大事にしてる。何を言うかより誰が言うか?を大事にしてる人は、洗脳されやすいと思っているからだ。だから白衣さえ着てもっともらしいことを言えば、コロッと権威によって騙される。それのわかりやすい例が、GRAVITY程度の低レベルなSNSアプリに見受けられる俺凄い厨だ。ワイ医学部だとか、ワイ社長だとか権威にモノを言わせて本質的なことは語らないくせに横柄にモノを言う。全く発言として価値がない。社長だとするなら企業の仕方や金の稼ぎ方や独立の仕方をレクチャーしたら良いのに大半はそのようなことを語らない。ただ、誰が言うかより何を言うかが大事だとしても、お説教めいた発言の場合は、『お前はそれができてんのか?』みたいな行動と言論の一貫性が無い人間の言葉はココに当てはまらない。いくら良いことを言っていようと当の本人がソレをできてないってのは、発言内容がたとえどんなに良かろうと誰の心にも響かない。たまたま投稿で見かけた誰が言うかより何を言うかと何を言うかより誰が言うかの矛盾した内容ながらどちらかが正解だと思うから思い悩むわけで答えはいつも複数同時多発的に存在すると仮定した方が良い。何を言うかより誰が言うかが"大事"ならば、ハロー効果(後光効果)に騙されやすくなる。ホリエモンが子育て論を語ったところで、1人も子育てしたことが無いのに"ネームバリュー"だけでコロっと騙されてしまう人間もいるだろうから、そこは冷静な判断が必要。誰が言うかが大事な場合は、主にその個人の実績が大事なのにその実績以外まで"凄いことを言うに違いない"と錯覚してしまう。だからこそバランス感覚がとても大事。バカメガネと私がイジってる人間が自分の部屋で、部屋に入ってきた人間に死ねー!!と暴言を吐いて部屋を閉じたらしい。が、これは部屋に入ってきてた人間も俺は悪いと思っている。まぁ、その部屋の現状を見たわけじゃないが予想はつく。まず部屋にいたメンツから想像するとほぼ喋って無さそう。そのくせ部屋主のバカメガネに対して、キャパオーバーのくだらないイジり方をみんなでしたのだろうと推察される。誰か1人でもバランスを取る人間がいればそのようにはならないだろうと思うし。他人の部屋にお邪魔してる時点でそれなりのリスペクトが無いと招かざる客でしか無い。いや、お金も介入してないので厳密に言えば客ですら無い。それでも自分達で部屋をする能力が無いのであれば、部屋主の人間に甘えてるのだからある程度受け入れて、受け入れられないなら行かなきゃ良いだけの話でしか無い。全部バランスでしか無い。#愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ #ビスマルク#誰が言うかより何を言うか#何を言うかより誰が言うか#バランス