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すぷらうと

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#思考メモ

最近のSNSって結構炎上しがちだよね。

これって私が悪いですか?とか聞いてください!みたいな。それにリプがついて、同情する声や反論するリプがつく。最終的に議論のゴールが見えなくて散漫とした思考だけが残ってるイメージ。

投稿者に限らず閲覧者までもが、不特定多数の性別年齢職業その他不詳の味方をつけてタコ殴りすることが胸糞悪いってこと。さらに、その味方をつけた元の人は何もしないんだよね(埋もれてるだけかも知れないけど)。燃え広がったら止まらないし、後味悪すぎる。あれだよね、子どもの喧嘩で小突き合いが発展して、最後に殴られっぱなしじゃ負けた気になるから、やり返そうみたいな感じ。
まあ、SNSの治安をよくしようって思ってないしそうやって楽しむものって捉えるとそこまでなんだけど。

議論が下手くそなこと。もちろん、議論することは滅多にないし、論理的な説明が簡潔にできるかと言われるとできない。けど、投稿に対してAという答えを求めたいのに、新たな条件や場合わけを提示して理詰めするように見える投稿がたくさん見られる。自分のフィールドに持ち込んで有利性を示すものもある。そうじゃないやん。
Aを見つけるために議論するのであって、Aを否定するお喋りじゃない。

でも自分然り、自分の周りにも議論が下手な人はたくさんいる。議論ってなると自分に対して反対意見が飛んできて責められる気持ちになるし、分からないものが出てきたら自分が知らないだけで他の人は知ってるかも知れないって思って思考放棄する。もう議論じゃないんよね。発表会、報告会って感じ。
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としゆき

としゆき

キリスト教も仏教もその他諸々の宗教も、基本的には自分の人生、つまり自身の生をどう上手く活用し効率よく生きていくか、その方法と実際のマニュアルがわかりやすく、理路整然と説得力を持って提示されているのが宗教の基本構成となる。
(神を信じれば救われるというのも、その根幹は信じた方が生きる上で都合がよく、信じないよりも生きやすいであろうということだと解釈するという意味合い)
そうした生き方に特化した生のバイブルとしての聖書や仏典に感銘を受けた一般的な信仰者、特に庶民層(卑下する表現ではない)においては慈愛や神の偉大さといった、生き方の効率性の一歩その先をありのまま解釈し理解してしまうので、宗教を絶対的な、人間が目指すべき最良のモデルだとして崇めるようになり、その信仰が歴史と共に社会文化と一体化するにつれて宗教が次第に社会の政策やシステムの根幹の部分、さらには人間性まで無条件に取り決めるような社会体制が構築されてしまい、結果そこから宗教信仰派と信仰派閥から不利益を被る層との対立が発生し大きな宗教戦争や哲学的な宗教解釈と科学的な見地からの対立という様々な争いの形態が発生した。

こうした過程を経た現代における宗教信仰者と反信仰者との争い(対立)の構造は、もともとの宗教の本質的な部分のよりよい生を追求するためのバイブルという根本理念を、
信仰者であれば、神の存在や宗教的な人間性の正当性を証明しようとすることに意識をとられ、
反信仰者であれば、信仰者の盲目的な宗教推奨や人間性の一方的な決定、よく言われている聖戦に対する構造の矛盾といった表面的なものにしか注目しないすることができない。

#思考メモ
#思考の星で投稿させてもらいました
#覚え書き
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くをん

くをん

「正しさ」は人間にとっての快楽。
それが主観に偏った価値観でしかないのに、それでいいのだろうか?
#思考メモ
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あひる

あひる

人って分かり合えることと、多分これずっと分かり合えないなって思うことと。
両方あるなあ。
夫はさ、当初、生涯いっしょに居たい人にランクインする訳でしょ。
で、何か意見の相違や人間性の相違がうまれた時に、全部分かり合いたいスタンスだったけど。

そこがそもそもの起点だったんだな。
相手が分かり合えない部分を、分かり合おうと頑張っちゃうと、絆じゃなくてミゾが深まるの。
分かり合えないけどいっしょに居たいから、そこは手放すのか。
分かり合えないから、いっしょに居ることを手放すのか。
これもまた両方あるなあ。
あまりに分かり合えない人とは無理だろうしな。
#思考メモ
#過剰な期待
#それは手放したい




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