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サイ

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【伝わる派】
現在価値があるとされている作品も発表当時は高く評価されていない等の例はたくさんあります。作品の物質そのものは誰かが価値を見出すことで、初めて価値のある作品になると思います。

ただ、その誰かは作者も含まれるので作った瞬間から価値があるとする考えも含まれると思います。
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にっきー

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「必要に応じて選択派」
この立ち位置が問題であれば教えてください。

優しさとは、相対的なものです。
つまり、同じ行動をしたとしても、受け取る人が違えば違う評価になるのが前提になります。

なので、私の思う「優しさ」とは、
・相手の自由を尊重できているか
・その上で相手をどれだけ理解できてるか
・2つの努力をどれだけ実行し続けられるか
これら3つが揃うことだと思っています。
つまり、「踏み込む」・「踏み込まない」の前段階のいわば"姿勢"の話だと思っています。

そして、その「優しさ」の"姿勢"に基づいて、
必要に応じて「踏み込む」・「踏み込まない」を選択するのが「優しい行動」になると思います。

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第2回 思考の泉イベント
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〆さば

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【踏み込まない派】
存在をそのまま肯定する姿勢こそ優しさだと思います。干渉せずに、無視せずに、ただそこにある(居る)ことを無条件に肯定する。
存在を否定しない姿勢とも言える。
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にっきー

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【表現派】
まず、「価値」は基本的に人間の認知によって初めて成立するものだと思います。
例えば、植物が空気を利用していても、空気に価値を感じているわけではなく、ただ空気があるから使っているだけです。
つまり、全般的(自然物など)には、「存在する時点で価値がある」とは言えない。と思います。
この視点で見ると伝わらないと意味がないという意見も納得できます。

しかし、芸術は少し違うと思います。
芸術は人間がいなければ生まれず、存在もしません。作られた瞬間から、作者の想いや素材の意味、歴史的背景、経済的側面などさまざまな人間の観点を含んでいます。だからこそ、芸術は生まれた時点で価値が発生すると言えると思います。

まとめると、全般的には人間が価値を与えなければ価値は生まれませんが、人間が作り出したもの、特に芸術は「存在そのもの」が価値と深く結びついていると考えています。

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山田

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【表現派】
芸術の価値は、他者の共感という不確かな市場価格ではなく、生まれた瞬間の質量の有無で決まる。
なぜなら、伝わるとは、単なる発見に過ぎないからだ。

我々人類は、広大な宇宙のわずか5%しか観測できていないという。では、未だ誰の目にも触れていない95%の銀河には価値がないのか?
深海に沈む誰も知らない宝石は、潜水艦が光を当てるまで石ころと同じなのか?

誰に見つからなくても、それは在る。圧倒的な熱量と質量を持って、そこに在る。

芸術も同じだ。
ゴッホが生前、誰にも理解されなかった時、彼のひまわりは枯れていたのか?
ヘンリー・ダーガーが死ぬまで部屋に隠し続けた1万5千ページの物語は、家主に見つかるまで無価値な紙束だったのか?

描かれた瞬間、その筆致には画家の魂が宿り、文字には作家の鼓動が刻まれている。

例え、それが誰にも読めない言語で書かれた未解読文献であったとしても、その表現された事実が持つエネルギーは減じない。
受け手の教養、時代、宗教、環境によって、聖典が鍋敷きに変わるように、評価は水物だ。そんな不安定なものに、芸術の本質的な価値は委ねられない。
芸術の最小単位は「創り手」であり、最初の観測者もまた「創り手」だ。
自身の内なるエゴが形を成し、この世に産み落とされた瞬間、他者に伝わる前にこそ、価値の最大瞬間風速は記録される。
理解されることは幸福だが、それは芸術の余興に過ぎない。
価値は、共感されることではなく、表現し切ったその存在証明の中にこそ宿る。

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