「勇魚」本が好きで本屋にきていたのに、今となっては本屋そのものの空間を味わうために足を運んでいる。少しずつ歳を重ねるたびにそう思う。空間はずるい。有無を言わせず感性ある者には容赦なく圧倒をみせつける。いっそのこと、空間に断片的な記憶を閉じ込められればいいのに。そうしたら思い出さなくて済む。だいたい、僕らは往々にして忘れられない過去の残骸に囚われるのだから、閉じ込めたところでまた新たな残骸が生まれるだけだ。いやはや難儀なものだ。しかし、依然として明日への恐怖より今日への失望が勝る以上、まだまだ僕も捨てたものじゃないのかもしれない。なあ勇魚。君もそうだろう。遠くからわざわざこんな所にきて、こんな話を聞かされて、難儀なのは君の方かもしれないなまったく。ははっ。忘れるなよ。僕はただの老害だ。そんなに真剣に聞く必要は無いのだよ。まったく君の真面目な性格はいつになったら治るのやら。、、、いかんな。最近は口癖が増えるばかりだ。歳に勝る老いを感じているよ。まったく。いつまでも言えないまま、吐く息を飲み込むように多弁にものを語る。祖父はいつにも増して、焦っているようだった。そういえば勇魚。君の歌を聴いたよ。あたらしい、なんと言ったかな、夏鯨。そう、夏鯨だ。あれは遠くかけ離れている僕と君の距離を描いている。実に毅然とした表現だ。いいかい、僕は表現であり、君の傍観者だ。忘れるな、勇魚。「明日は君かもしれない」#プロジェクト #吟遊詩人1st#忘却と果実