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リピ散歩【川越街道編1日目】

上板橋駅〜下練馬宿👟

①②上板橋駅入口交差点の先に2体の子育て地蔵尊(1778、1777年建立)が祀られています。建立当初は南にある城北中央公園内に3体が祀られていたそうですが、明治に入ると上板橋駅入口交差点に移設されいつのまにか2体が倒された状態で発見されたそうです。その後1923年に地元の有志によりこの地に移され現在は大切に祀られています。尚、説明板の〝呼ぱれ〟はグラ友さんの発見です🤣

③子育て地蔵尊から500m ほど進むと左手に1739年建立の青面金剛庚申塔が祀られています。古地図を確認するとここから下練馬宿へと入るようですが、往時は厄災が入ってこないよう村や宿場の出入口に道祖神を置いていたことから、この青面金剛庚申塔は下練馬宿の道祖神的な役割りを果たしていたとのと思われます。尚、現在でもこの交差点を境にして板橋区と練馬区に分かれています

④⑤下練馬宿には鷹狩りを行う鷹場があったそうで宿場内には〝けらや〟と呼ばれるオケラを売る店があったようです

⑥下練馬宿からは王子や戸田へ進むことができたようで川越街道から少し東へ入ると交差点中央に1815年建立の馬頭観音が祀られています。都内で道路の中央に御堂が配置されるのは珍しく、立派な御堂にも祀られていることから地元の方々に古くから親しまれているものと思われます。ちなみに勝負事や足腰の神様である馬頭観音には現在でも合格祈願や足腰が弱っている人たちの参拝があるそうですよ

⑦⑧環八の高架上まで進むと1753年建立の大山道道標が建っています。大山とは神奈川県に聳える大山のことを指します。大山は山岳信仰の対象とされ石尊権現社や阿夫利神社には江戸中期から後期にかけ多くの人々が訪れました

『従是大山道』
『ふじ山道 田なし 三里』
『府中え 五里』

⑨北町小学校の角に徳川綱吉御殿跡があります。江戸時代初期、この辺りは鷹狩りの地として知られていました。後の5代将軍徳川綱吉は将軍職に付く前に足の病に悩まされており、陰陽士によると『馬の付く地名で療養せよ』とのことで1677年に鷹狩りを兼ねて御殿を建てたそうです。1680年に4代将軍家綱が亡くなると正式な将軍に任官される綱吉ですが、練生類憐みの令を発する前は鷹狩りをしていたようですね

#リピ散歩 #旧街道旅 #川越街道 #下練馬宿 #徳川綱吉
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