#真面目なお話し #幸せの上限 他人が幸せな時、あなたは妬みますか?祝福しますか?時折り「幸せには上限があり、誰かが幸せだと自分に幸せが来ない」と考える人を見かける。だが、実際は幸せに上限はない。考え方、捉え方次第なのである。他人が幸せになったように、自分も幸せになれるし、なっているのだ。問題は、【幸せ】の基準が人それぞれな上に考え方捉え方次第で簡単に上下することである。例えば、食べたい商品をコンビニに買いに行ったとしよう。しかし、食べたい商品が売り切れていた。更にイートインで、他の客がそれを食べているではないか!そんな時あなたならどう考えるか?「あの人ラッキーだなぁ」「あの人が買わなきゃ買えたのに!」「幸せそう…腹立つ!」だろうか?そんな時僕ならこうである。こうありたいと思っている。「ふふふ〜[穏やか]それ美味しいよね[大笑い]」である。確かに食べたかった商品が食べられなかったのは悲しいし、食べてるお客さんは羨ましい。が、はて?ちょっと考えてみて欲しい。それが食べられなかったおかげで、新しい商品を見つけられるかもしれないし、その商品になんらかの問題があった場合、その人には悪いが自分は助かったのである。それは幸せ、言い換えれば幸運なのである。人は時折り、自分の思い通りに欲を満たせることを幸せと捉えてしまう。自分が不幸な時、幸せには上限があり、他人が幸せだから自分が不幸だと考えてしまう。目に見える幸せだけに意識を向けて、目に見えない幸せや当たり前に存在する幸せに意識を向けない。【「幸せでない=不幸」ではない】ことに気が付いていないのである。人の幸せには上限がない。他人が幸せになれるなら自分も幸せになれるのである。又はもうなっているのである。ならば、羨むことはあっても妬む理由などどこにもないのだ。僕は人の幸せをおめでとうと祝える人になりたい。僕の幸せの為に。幸せには上限がない。それ故に、人は自分より沢山ある他人の幸せを見上げてしまう。先ずは足元にある幸せをしっかり見つめよう。それを大切にしよう。それから一つ一つ幸せを追加していこう。共有してもいい。幸せは上に上限がないだけでなく、横にも上限がない。幸せは考え方捉え方さえ変えればどこからでも追加出来るのである。