【不良と犬人Part8】「何を忘れてるって言うんだよ」「楽しかったときもあったのだ」犬は舌を出してハッハッと笑った。それはふいに何かの記憶に触れるような、愛らしい顔だ。その感覚がなんなのかわからない。頭は混乱しているのに、衝動的、体が動いた。俺の手のひらは、犬の頭の上におずおずと伸ばされる。犬の頭部に触れると硬い毛が少し重たく感じた。そのまま、犬を撫でると、犬は嬉しそうに目を細める。「久しぶりなのだ。恋紫の手」「……お前、何言ってんだよさっきから」「俺は楽しかったのだ。すごくすごく、楽しかったのだ」犬を撫でていると何故か心が落ち着いた。凝り固まった寂しさが消えていく、大きく穴の空いた心すら埋まっていく、そんな不思議な感覚に酔う。「お前、一体何者なんだ」「俺は」「あー、もうそのセリフ聞き飽きた。どうせ俺はいぬびとだって言」言うんだろと言いかけた時、犬は俺の言葉を遮って、目を細めたままこう告げた。「俺はぽっちなのだ」ぽっち。聞き覚えのある響き。だけど。それがなんだったのかこの期に及んでも思い出せない。考え込み言葉にならずに居た俺に気付いて犬は拗ねたように悪態をつく。「恋紫、お前意外と馬鹿なのだ」バカにされたのに、何故だか笑えた。「なんだよ、それ」ふふん、と笑う犬は、まるでもっと撫でろというように、動きをとめた俺の手に擦り寄る。「しゃあねえな。甘え犬め」「ぽっちなのだ」「ぽっち」「うん。俺はぽっちなのだ」言葉に出すと少し切ないその名は、愛しささえ感じた。それは荒んだこれまでの暮らしから逸脱して込み上げる温かな想いを連れてきた。こんな気持ち、久しぶりだ。俺はそのまま、犬と共に横になる。すぅすぅ、ぐぅ。と規則正しい寝息にたまにいびきが混じる。疾うに眠りに落ちた犬を抱き締めるようにして、その日俺は久しぶりの安息に身を委ね、眠りを欲しいままにした。#いぬびと #小説#眠い #安息