リピ散歩👟 甲州街道編【2日目⑥】次数がギリなので余談は無しよー⭐️鎌倉街道中道四谷四丁目交差点から500m 進むと新宿一丁目西交差点が現れます。交差点の南北に通る街道は【鎌倉街道】と呼ばれ鎌倉時代初期に整備された街道です。鎌倉街道は大きく【上道・中道・下道】とに分かれ、この街道は【中道】にあたります。明治初期まで現存した五街道などとは違い、長い年月の間に消滅してしまった鎌倉街道も多いようですが、こうして都内でも所々残っているのは嬉しいですね。各地の御家人たちが『いざ!鎌倉』と鎌倉に向かう姿が目に浮かびます。ちなみに中道の主要ルートですが、鎌倉→大船→東戸塚→中山→溝の口→二子玉川→自由ヶ丘→代官山→表参道→東池袋→板橋→王子→赤羽→川口などを経由します(二子玉川→世田谷→中野→板橋ルートもあり)皆さんが住む場所の近くも通っているかもしれませんね😊⭐️太宗寺新宿一丁目西交差点から50m 先を右折し、奥に見える太宗寺へ立ち寄ります。太宗寺には以下①〜③のような歴史的造形物が残されています。①江戸六地蔵【銅造地蔵菩薩坐像】江戸六地蔵とは、1706年に深川の『地蔵坊正元』という人物が江戸市中から広く寄進者を集め、京都の六地蔵に習い造立しました。寄進者の合計は72000人にものぼったそうです。6体のうち5体が現存し、他に東海道の品川寺、奥州街道(日光街道)の東禅寺、中山道の真性寺、水戸街道の霊巌寺に・・それぞれ江戸を護るように鎮座してます(千葉街道の永代寺には現存せず)尚、この坐像は1712年の建立で六地蔵の中では3番目に古いものだそうです。②閻魔堂堂内には【閻魔大王像(1814年建立)】と【奪衣婆像(1870年建立)】が祀られています。閻魔大王造は都内最大の大きさだそうで迫力がありました。③切支丹(キリシタン)灯籠笠、火袋は復元されたものですが、それ以外のものは江戸時代中期の出土だそうです。江戸時代においてキリスト教信者は酷い仕打ちを受けたことから信者たちは様々な代用物を造り崇拝していたとされています。この灯籠は茶人『古田織部』が好んだ型だそうで織部型とも言われている珍しい灯籠です。#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道旅 #鎌倉街道 #太宗寺