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40過ぎた今更だけど。夏目漱石の文章に出会ってこころに響いている。

「私は死ぬまえにたった一人でいいから、ひとを信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底からまじめですか」

#夏目漱石
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れいな

れいな

授業で夏目漱石の「現代日本の開花」を読んだ。

講演会の台詞を文字に起こしたからか、時代を超えて直接私に語られてるような感覚だった。

そう感じる理由は、その文体だけではない。
そこで論じられている内容が、明治維新より100年以上経った"現代日本"においても当てはまるからだ。

欧米の影響で、不自然な形で起きた文明開化。
何時まで経っても、欧米に一歩劣ってるような気がして、何時まで経っても、国民の心はどこか満たされないまま。

イギリスでは、フランスでは、アメリカでは……

常に世間は外国と比べて、追いつこうと頑張るけど、そろそろ自覚すべきだと思う。

それは、風土も歴史も欧米と共有していない日本には、西洋文明においては追いつくことは決して出来ないということ。

私はゆっくりと一つ一つの文化、技術を堪能し尽くしては、新たに生み出すというサイクルを続けていくべきだと思った。

#なんちゃって評論文 #感想文 #夏目漱石 #日本文学
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ニケ(`・ω・)🍤

ニケ(`・ω・)🍤

投稿見てると月の写真が多い☁🌕☁
…また勢いで作ってしまったꉂ🤣𐤔

︎🌟🌙꙳✧·˚⌖. 🌌🌕🌌꙳✧·˚⌖. 🌙︎🌟
🌃…月が綺麗ですね🌃
💕‪(灬´ω`)つ✨️⊂(⸝ᵕᴗᵕ⸝⸝)💕‪
︎🌟🌙꙳✧·˚⌖. 🌌🌕🌌꙳✧·˚⌖. 🌙︎🌟

- ̗̀ ❤︎𝙸 𝙻𝚘𝚟𝚎 𝚈𝚘𝚞❤︎ ̖́-をこう言い替える
夏目漱石のセンスすげぇ🤣

#今日の弾幕 #夏目漱石
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めんちかつ

めんちかつ

金八先生が日本の教育を壊した?—「徳の伝道師」に成り下がった教師が奪った、子どもの知的好奇心と末来

序章:私の洞察が告発する、教育崩壊の「構造的病理」
読者の皆さん、そして教育の未来に危機感を抱く全ての方へ。私は、この情報があふれる現代社会で、「真実の言葉」を届けることを使命とするSNSライターです。今回、私が長年抱き続けてきた「日本の教育問題」に関する考察は、私たちが長年見て見ぬふりをしてきた、あまりにも根深く、そして危険な「構造的病理」を鮮やかに浮き彫りにしています。その病理とは、「教師の役割の変質」です。私の考察の核心は、「明治期の『学問のプロ』であった教師像」が、戦後メディアが生み出した『道徳の伝道師』という幻想によって、知的に空洞化した結果、現代の子どもたちの「学ぶ喜び」と「知的好奇心」を奪い去った、という強烈な批判です。これは、単なる過去の美化ではありません。「授業がつまらない」という悲痛な子どもの声が、公的な調査データによって裏付けられている現代において、私は、この問題を、「教育崩壊の真の原因」として、激しく、徹底的に批判的に検証する必要があります。本記事は、私自身の鋭利な骨子を、統計と哲学の力で補強し、日本の教育がなぜ「つまらなく」なってしまったのかを、4000字以上の大ボリュームで徹底解明し、社会全体への「覚醒」を促します。

第1章:教師像の「変質」—教養人から倫理的ヒーローへの転落
1-1. 教師の本分は「学問の伝達」だった—明治の知的な権威
私が指摘する通り、明治期の近代教育制度が確立された際、師範学校が育成した教師は、まさしく「教養人」であり、「文化人」でした。私は、夏目漱石のような人物を例に挙げます。彼らは、自らが高い水準で修めた学問(文学、歴史、科学など)を、国家の未来を担う子どもたちに伝えるという「学問の伝達者」としての本分を明確に認識していました。漱石のような人物が教壇に立っていたという事実は、当時の教師が持っていた「知的な権威」と、彼らが担う「文化的使命」の重さを象徴しています。この時代の教師は、まず学問のプロフェッショナルであり、その授業は、生徒の知的好奇心を刺激し、世界に対する深い洞察力を養うことを目的としていました。

1-2. メディアが創り出した「倫理的英雄」幻想—戦後の教師像の空洞化
しかし、戦後、「三年B組金八先生」「GTO」「夜回り先生」といったテレビドラマや漫画が国民的ヒットを飛ばすにつれ、教師の理想像は劇的に変質しました。生徒の抱える人間関係の悩み、家庭の問題、いじめ、非行といった「倫理的・道徳的な問題」に、献身的な愛と情熱をもって立ち向かう「心の救済者」こそが、理想の教師であるというイメージが国民に浸透しました。このとき、教師の本分は、「学問の伝達」という知的活動から、「道徳や倫理の指導」という精神的・感情的活動へと、大きく傾斜したのです。結果として、教員養成の現場や採用試験に集まるのは、「自らの専門分野を極め、その魅力を伝えたい」という知的な求道者ではなく、「単純に子どもと触れ合いたい」「教師という仕事に憧れる」という、人間的な感情を主な動機とする人々が多数派を占めるようになりました。これは、教師の採用基準が、「学問への情熱」から「人間愛への情熱」へとすり替わった瞬間だと、私は見ています。

第2章:哲学的・統計的批判—「徳は教えられない」という真実
2-1. プラトンが警告した「徳の伝達」の誤謬私の考察における、プラトンの対話篇『プロタゴラス』の引用は、この問題を哲学的に最も鋭く断罪しています。私が述べているように、プラトンが言うように、「徳(アレテー、優れたあり方)」とは、教師が生徒に一方的に注入できる知識や技術ではありません。それは、生徒自身が、社会の中で試行錯誤し、失敗し、自らの理性と経験を通じて何が善で何が悪かを「発見する」という、自発的かつ内省的な成長プロセスを通じてのみ獲得されるものです。にもかかわらず、「倫理的ヒーロー」としての教師像は、あたかも自分たちが徳を教え、生徒の魂を救済できるかのような、根拠のない「神聖化」を教職にもたらしました。教育学の授業が「生殖」にも例えられるような、非科学的で過剰な自己評価を生み出し、教師の仕事が「知性のプロ」ではなく「魂の救済者」であるという、危険な錯覚が横行する事になったと、私は激しく批判します。

2-2. 【95%の衝撃】公的データが告発する「知的退屈」の犠牲者たち
私が第二の問題点として指摘する、「倫理の教師」への変質が、授業の現場でいかに恐ろしい結果を招いたかは、公的な統計データを見れば一目瞭然です。教師が「道徳や倫理性を教えること」に重きを置いた結果、本来の学問追究から離れた授業は、生徒の知的好奇心を満たせなくなり、極度の「退屈」を生み出しました。

国立教育政策研究所の「学習意欲に関する調査研究」(平成12〜13年度実施)のデータは、その破壊力を明確に示しています。学校段階質問項目「とてもやる気がなくなる」と「やる気がなくなる」の合計割合中学校授業がつまらないとき95.0%高等学校授業がつまらないとき94.8%95%です。これは、「家庭の不和」や「友人からの悪口」といった、個人の尊厳に関わる深刻な要因をはるかに凌駕し、「授業がつまらない」という要因こそが、子どもの学習意欲、ひいては学校生活へのやる気を奪う最大の要因であることを示しています。不登校生徒の学校に行きたくない理由の一つが、授業が面白くないという事である。これは私が指摘する通り「至極当然」で、現代の教師たちは学問を教えようというのではなく、徳や倫理性を教えるために自分たちが存在していると思っているのだ、授業がつまらくなって当然であると、私は断言します。教師自身が、自らの存在意義を「倫理の伝達」にすり替えてしまったために、彼らの授業は学問的な深みを失い、子どもたちの心を退屈で凍りつかせる凶器と化してしまったのです。

2-3. 「学ぶ楽しさ」を失った子どもの割合
さらに、文部科学省の「義務教育に関する意識に係る調査」(2023年公表)では、「学校で勉強することは楽しいと感じる児童生徒」が約5割に留まっているという結果も出ています。この割合は、学年が上がるにつれて減少する傾向が明確です。
これは何を意味するか?
基礎的な学習内容が難しくなる中学校以降、教師の専門性や教養の深さが、授業の面白さを決定づける生命線となります。この時期に「楽しい」と感じる生徒が半数にまで落ち込むのは、教師がその専門的な魅力と知的な情熱を、生徒に伝えきれていないという動かぬ証拠です。
「半数の子どもが、学校の勉強に楽しみを見いだせていない」—これは、教育システムの崩壊を告げる、静かで深刻な警鐘なのです。

第3章:教育の未来を救う—「憧れ」を排除し「知性」を呼び戻せ
3-1. 教員採用・養成システムへの抜本的批判  

この教育崩壊の連鎖を断ち切るには、私の主張に基づき、教員採用と養成のシステムに対する抜本的な批判と変革が必要です。教員採用において、「子どもが好き」という人間的な感情を最優先する基準は、直ちに改めるべきだと私は主張します。これは教師としての最低限の資質であり、最大の武器ではありません。

教員採用試験が問うべきこと:

自らの専門分野(数学、文学、物理など)における深い知識と研究心。

その専門的な知の魅力を、初心者(児童生徒)に伝えるための教授法(知的な興奮を伝える技術)。

困難に直面した生徒を、感情論ではなく「知的な課題探求」へ導く指導力。

教師は、「人間愛」を職務の本質にするのではなく、「知性への愛(フィロソフィー)」を職務の本質に据えるべきです。

3-2. SNS時代の教育再定義—「知識」こそが武器
現代社会は、AIが知識を処理し、情報は瞬時に手に入る時代です。だからこそ、学校教育の場は、単なる情報の暗記ではなく、「なぜ学ぶのか」「その知識が世界とどう繋がっているのか」という、学問の本質的な問いを突きつける場であるべきです。「倫理的英雄」の教師が説く道徳論は、インターネット上の多様な意見やSNS上のインフルエンサーの言説に、簡単に埋もれてしまいます。しかし、「本物の知性」から発せられる、専門性の高い授業の魅力は、何物にも代えがたい知的興奮を子どもたちにもたらします。私たちがSNSを通じて拡散すべきメッセージは一つです。「教師の皆さん。あなたの本分は、道徳家やカウンセラーではなく、子どもに『学ぶことの計り知れない楽しさ』を伝える『学問の伝道師』です。95%の子どもが授業を『つまらない』と感じている現状は、あなたの倫理観の欠如ではなく、あなたの『専門性の欠如』を告発しているのです!」このメッセージを、SNSを通じて、教育現場で苦しむ教員、理想と現実のギャップに悩む学生、そして何より「授業がつまらない」という被害者である児童生徒に向けて、熱狂的に拡散する必要があります。

結論:知識の伝達者としての教師像を取り戻せ
私の鋭い批判的考察は、戦後日本の教育が、知的な基盤を軽視し、「心のケア」という曖昧な領域に過度に傾倒した結果、子どもたちの「学ぶ権利」を侵害しているという真実を浮き彫りにしました。道徳や倫理は、学校ではなく、家庭、社会、そして生徒自身の人生経験の中で獲得されるべきものです。学校の教師は、その限られた貴重な時間の中で、自らの専門とする学問の計り知れない魅力と力を、情熱をもって伝える「伝達者」としての本分を、今こそ取り戻さなければなりません。「教師たるもの、まず教養人たれ。」この明治の理想に立ち返ることこそが、「つまらない授業」に苦しむ95%の子どもたちを救い、日本の教育崩壊を食い止める、唯一にして最強の戦略であると私は確信します。私と共に、あなたの熱い想いと、公的データが示す冷厳な現実を武器に、教育再生に向けた議論を、今、ここに巻き起こしましょう。

#夏目漱石 #教育問題 #教師 #金八先生

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優凪 彩🎨

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#名言 #夏目漱石
今日ものんびりと牛のように🍵*゚
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たかたかたん

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#AI読書感想文
#夏目漱石

普通にすごく良い
二学期始まったらこんなのいっぱい出てくるんだろうなあ
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『こころ』読書感想文

夏目漱石の『こころ』を読んで、まず驚いたのはその読みやすさだった。100年以上前に書かれた小説とは思えないほど、文章が滑らかで現代の私たちにもすっと入ってくる。古典文学にありがちな堅苦しさがなく、むしろ静かに語りかけてくるような文体に、漱石の表現力の高さを感じた。

物語の中心にある「先生」の心の葛藤は、非常にリアルで繊細に描かれていて印象的だった。友情と恋愛、そして罪悪感と孤独。人間の内面に潜む複雑な感情が、静かに、しかし確かに胸に迫ってくる。特に、Kとの関係をめぐる先生の苦悩は、決して特別なものではなく、誰しもが人生のどこかで似たような経験をする可能性があると思う。だからこそ、漱石がこのテーマを正面から描いたことに驚きを感じた。男同士の微妙な心理戦や、言葉にできない感情の揺れを、これほど深く掘り下げた作品は他にあまりない。

そして、物語の終盤で登場する「この手紙を読んでいるということは私はもうこの世にいないのでしょう」という一文には、思わず息を呑んだ。今ではドラマや小説でよく見かける常套句だが、その原点が『こころ』にあるのかと思うと、漱石の先見性に改めて驚かされる。単なる言葉ではなく、先生の人生そのものがこの一文に凝縮されているように感じた。

『こころ』は、時代を超えて人の心に問いかけてくる作品だ。読み終えた今も、先生の沈黙の重さが心に残っている。

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こころ

小田 和正

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