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なぜ哲学は難しいのか? モンテーニュと中島義道が示す「死」から始まる哲学入門

哲学への最初の扉は「死」だった

​「哲学とは、死について考えることである」
​この衝撃的な言葉を知ったのは、大学生の時。中島義道先生の著書『哲学の教科書』を読んだときのことでした。
​そして、その言葉の出典を辿ると、16世紀フランスの偉大な思想家、ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』にたどり着きます。モンテーニュは、まさに「哲学するとは、いかに死するかを学ぶことである」と述べています。
​なぜ、哲学という学問は、生きている私たちが「死」について考えることから始まるのでしょうか? そして、この「死」というテーマこそが、一般の人々が西洋哲学を難解だと感じる理由を解き明かす鍵になるのです。

一般の人には理解されない「西洋哲学」の壁
​「西洋哲学」と聞くと、多くの人が「難しい」「何を言っているのか分からない」と感じるかもしれません。
​私たちが学ぼうとする「存在論」「時間論」「世界論」といったテーマは、日常生活からかけ離れているように見えます。
​例えば、
​存在論:「存在する」とはどういうことか?
​時間論:「時間」は客観的に流れているのか?
​世界論:「世界」は本当に私が知覚している通りに存在しているのか?
​これらの問いは、私たちの「自分は生きていて、時間の中で世界に存在している」という当たり前の前提を揺さぶります。なぜ哲学者たちは、わざわざそんな遠いところから物事を考え始めるのでしょうか?

​「死」を学ぶことが哲学の中心にある理由
​その答えこそが、「死」です。
​モンテーニュが言うように、「哲学をするとは死について考えること」です。
​私たちが「死」という避けがたい事実と真正面から向き合ったとき、初めて西洋哲学が追求する根源的な問いが、切実な問題として立ち現れてきます。
​「私が死ぬ」ということを考えたとき、「私とは何者か(存在論)」という問いが生まれます。
​「私の死」は「私の時間が終わる」ことを意味し、「時間とは何か(時間論)」を問わざるを得ません。
​「私が消滅した後の世界」を想像したとき、「世界は私がいなくても存在するのか(世界論)」という根本的な疑問に直面します。
​つまり、西洋哲学の難解なテーマとされる「存在」「時間」「世界」は、「私は必ず死ぬ」という最も切実な事実と切り離せない、「死」にまつわる哲学的な諸問題だったのです。

死を知ることで、真に哲学の問いを共有できる
​私たちが日常で触れる「死」は、悲しみや喪失感といった感情的な側面が中心です。しかし、「哲学の学び」としての死は、そこから一歩踏み込みます。
​死を学び、死について深く理解すること。それは、西洋哲学が本質的に問おうとしてきた「真の問い」を、哲学者たちと共有するための出発点になります。
​「存在論」や「時間論」といった言葉の難しさに惑わされる必要はありません。
​まずは、「私はいずれ死ぬ」という避けられない事実から、あなたの哲学を始めてみませんか。それは、難解な学問ではなく、あなた自身の生と世界を理解するための、最も根源的で切実な学びとなるはずです。

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