人気

ちえのみ
いや、可愛すぎだろ!!
母はもったいなくて当分袋から出さない そうです♪
ちなみに私のお気に入りは
馬型埴輪のとんかつと
挂甲武人埴輪のえびふらいのしっぽとぺんぎん?です✨
#すみっコぐらし#古墳時代



アメジスト
読書記録です。
ヤマト王権
吉村武彦 著
岩波新書
本書がカバーするのは、邪馬台国の時代から謎の4世紀を経て、倭の五王から継体、欽明の時代に仏教が伝来して古墳がつくられなくなる時代までのいわゆる古墳時代と呼ばれる時代です。
p86で述べられているとおり、「大王」号が後世の創作であるならば、倭王権の王は倭王と呼ぶのが妥当であるようです。
仁徳が河内王朝なのかどうかは、少なくとも古墳の発掘調査でもしないと、推測に推測を重ねる仮説しか言えないのが現状であり、つかみどころが難しい時代なんだなと感じました。
本書ではなぜか日本書紀がそうなっているからと理由で継体を応神五世孫と認めていますが、僕は信ぴょう性に乏しいと思います。
継体死後の二王朝並立や内乱の可能性についても否定する根拠は薄弱なように思います。
日本書紀や古事記と王家のある種の神聖性に引っ張られているように感じます。
#読書
#読書感想文
#古墳時代
#倭国
#倭王

アメジスト
承認ありがとうこざいます。
読書記録です。
埴輪は語る
若狭徹 著
ちくま新書
『日本書紀』には、殉死の風習を嘆いた乗仁天皇が、野見宿禰の意見を取り入れて出雲の土部(はじべ)に埴輪を作らせて古墳に置き、人の死に替わらせたする伝説が載っています。
しかしながら本書のp98の解説によると、考古学的には人物埴輪の登場が埴輪の中で最も遅いため、この説は否定的に捉えられており、ホッとしました。
この伝説は、古墳づくりや倭王の喪葬に関わった土師氏の祖先伝承として後付けされたものと考えられているそうです。
埴輪は、古墳の一画に据え置かれた展示物でした。
なかでも人物埴輪は、群像として配置されており、何らかのストーリーが込められていたと考えられます。
それを筆者は、古墳の主である「王」の治世のようすを、「絵巻物のように」ビジュアル化したものだとする説を唱えています。
第1章や第3章で、保渡田八幡塚古墳の埴輪を例に、人物埴輪は、王の祭祀、王の狩猟、王の武威、王の経済力を示したものであると考察されています。
著者は、古墳時代の王は、司祭者であり、武人であり、経済人であったので、王の多様な権能を表すために、様々な群像を配置したと解釈されています。
自然環境の変動は「神の仕業」と信じられていた古代において、地域の王は、民のために神を祀って環境を安定させ、悪神が里に災いをもたらさないように務める使命を帯びていました。
また、農地の実りを保証し、遠来の物資を確保し、最新技術を移入して地域を富ませなければならない宿命を負っていました。
埴輪群像は、この世を去った被葬者のそうした生前の事績を示し、それをみる共同体の人々に認知させるための仕掛けだったというのが、著者の結論となっています。
#読書
#読書感想文
#歴史
#古墳時代
#埴輪

ともんが🦦
#はにわ展 #東京国立博物館 #はにわ #古墳時代 #重要文化財










つばさ
どうも古墳界隈です
#古墳 #古墳界隈 #古墳大好き #古墳時代

Neneu
だって急に入れ墨の文化が消滅したり、銅鐸が作られなくなったり、青銅から鉄になったり、体型とか顔立ちが縄文系から大陸系に変わったり墓が丘型から前方後円墳とかになったり、色々変わりすぎなんだもん。
こんな重要な時期の事が全然分からんとか信じられへんわ。
#古代史 #日本史 #4世紀 #古墳時代
関連検索ワード
