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コギト🎷𖥧𖤣

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吉野に逃げたい
#南朝
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アメジスト

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こんばんは。
読書しました。

南朝全史
大覚寺統から後南朝へ
森茂暁 著
講談社学術文庫

前回読んだ本は鎌倉時代を対象といたので、今回の本はその先の、鎌倉時代後期から南北朝時代を取り扱っています。
前回の本での主役の1人だった北条時宗が、後深草院に同情して、後深草院の皇子を立太子させたのが、持明院統の始まりであり、両統迭立の始まりだったようです。
こういう経緯もあり、持明院統は幕府に依存する体質があったこと、兄である後深草院の系統であったから嫡流の意識があったこと、訴訟においては手続き重視であるという特徴があったそうです。
対して、大覚寺統は、後宇田院政や後醍醐前期親政にみられるように、王権至上主義で、訴訟においては聖断至上主義だったそうです。
特に後醍醐は自らの王権を守るためには、幕府を倒さなければならないという非常に強い意志を持っていました。
それは後醍醐が本来「一代の主」で、本来はただの中継ぎのはずだったからだそうです。
王統が分裂する中で。公家衆も一門の中でそれぞれの派閥に分裂し、後醍醐が吉野に落ち延びた際も、家格の高い公家の中にも付き従うものがいて、吉野朝はもう1つの朝廷と呼ばれるに相応しい陣容が備わっていたようです。
亀山院の「鍾愛の末子」恒明親王は、皇位継承権を巡って兄の後宇多院と対立したことから、持明院統の保護のもとに入ったこと、その子息たちは、南朝の御持僧になったという数奇な運命についても述べられており、面白い内容でした。
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