リピ散歩👟【水戸街道編3日目③】1️⃣観音寺を後にし更に東へ向かいます。この頃ベアリングの故障で左ペダルが回らなくなり、10回ほど漕ぐと逆ネジで取り付けている左ペダルが外れてしまう事象が発生。このため右ペダルの全力漕ぎを多用することで右ペダルの取り付け位置が斜めになってくる‥街道沿いには2️⃣鯖大師万人講指差し道標や3️⃣新四国大師道指差し道標など石塔の上部に👈👉マークが多く見られるようになります。新木駅の先に気象台記念公園があります。昭和9年に未曾有の大災害をもたらした室戸台風を契機に気象通信網の必要性が求められ、我孫子市布佐の出身で中央気象台長であった岡田武松の人力のもと、この地に中央気象台布佐出張所が建てられたそうです。ちなみに武松は〝台風〟の名付け親だそうです。その後布佐出張所は気象台記念公園となりましたが現在でも4️⃣アメダスが設置されています。公園から1.5km ほど進んだ右手に5️⃣布佐の一里塚跡碑があります。日本橋から数えて12里目(水戸街道10里目)の一里塚です。一里塚跡碑から1km ほど先で県道4号線を潜り、更に150m 先のT字路を左折すると利根川が現れます。この辺りが『6️⃣布佐の渡し』と呼ばれていた場所で、河原に降りると水辺に往時の7️⃣石垣のような跡が見えました。県道に戻り栄橋にて利根川を渡河をする際に対岸(布川)の川底を見ると往時の8️⃣桟橋の支柱のようなものが見えました。栄橋の渡り初めを右折して県道11号線を下ると左手に『9️⃣赤松宗旦旧居』があります。宗旦は江戸後期の医者で、俳諧や書画にも精通していたことから文化人とも交流があったそうです。宗旦34歳の頃に水野忠邦による『天保の改革』が始まりましたが、その中に印旛沼の開発や運河の掘削など含まれており、同時に利根川の姿も変化していったそうです。このため往時の利根川の姿を記録に残そうとして執筆したのが『利根川図志』でした。利根川図志は現在でも残されており、往時の利根川の様子を知る上で貴重な資料となっています。#リピ散歩 #旧街道旅 #初期水戸街道 #我孫子市 #利根町