「分かる」は、認知的理解(情報・論理の把握)と感情的共感(感情・状況の受容)という、大きく異なる二つの側面を持つ多義的な言葉です。1. 「分かるよ」は「本当に分かっているのだろうか?」「分かるよ」は、多くの場合、感情的共感の表明であり、相手に寄り添うコミュニケーション機能を優先しています。「本当に分かっているのだろうか?」という疑念は、話し手が認知的理解(論理的な把握)を求めているのに対し、聞き手が感情的共感を返しているという意図のズレ(認知ギャップ)から生じます。話し手は、問題の本質が解決されていないと感じるためです。2. 「分かってもらえた」と感じる瞬間「分かってもらえた」は、単なる共感の表明ではなく、自己の存在や内面が深く受容されたと感じる感情的な達成の瞬間です。以下の要素が満たされたときに強く感じられます。言語化と受容: 自分の不明瞭な感情や状況を、相手が正確に捉え返し、肯定的に受け止めてくれたとき。安心感の獲得: 自分の感情や苦労が他者に認められ、「自分は間違っていない」という強い安心感と自己肯定感を得られたとき。結論この質問に答えるには、「分かる」をこの二つの側面で明確に区別し、それぞれのコミュニケーションにおける機能を考察することが不可欠です。この多義性を一括りにすると、論理の飛躍が生じ、問いの本質に答えられなくなります。#分かる分かるよ分かってもらえたの違い