一日一生、という言葉の意味は毎日その日を一生だと思い、生きなさいということかと思います過去に囚われず未来を憂うことなく今日、今ここに集中して生きなさいという意味に解釈しました亡くなった人を仏様と呼ぶのは亡くなった人間には煩悩が無いからです人間とこの世を結ぶものは、五感です視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚それらでしかこの世界を感じることはできません亡くなったら全ての感覚器は機能を停止しますだから、自分と世界を結ぶものは無くなるのです五感だけではなく、心もまた考えることができなくなります煩悩が無くなるとは、煩悩を感じたり考えたりすることができなくなる、ということです即ち、悟りの境地に達するのでだから亡くなったら人は仏様と呼ばれるのですだけれども、生きているうちに煩悩の無い境地にたどり着くことは、誰にでも可能ですというか、毎日達していますそれは、睡眠です夢を見ることはあっても、ご存知の通り脈略のない話ばかりです人間は、寝ている間は悟りの境地にいます仕事をしている夢を見たところで、実際に仕事はしていませんだから、寝たらリセットされるのです毎晩悟りの境地に達している、ということです故に一日一生という言葉が成り立つのですね一日を大切に生きなさい今ここに集中して生きなさい過ぎ去った過去を悔やんでも始まらないまだ来ない未来に不安を感じたら、今為すべきことを為して、後は天命に任せるしかないということかと僕は考えますどうかみなさんが、穏やかに幸せに生きられますように#希望 #僕は坊さんではない