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自分の思う事、感じる事、
考える事、言う事、やる事、などなど
全部消える事なく

心の中の阿頼耶識(あらやしき)という
蔵の中に入って行って納まり

それが種になって
縁(時)が来たら芽吹いて
現実の出来事になり
自分の運命になる

だから今この一瞬一緒
良い事やってれば
いずれ未来の良い運命になり
自分に返ってきて

悪い事やってれば
悪い未来の運命になって
自分に返ってくる

今良くない状況でも
今何をやるかで
未来が変わっていくし

今良い状態でも
今何をやるかで
未来が変わっていく

という仏教哲学の話を先日聴いた

もっと詳しい話だったけどざっくりメモ✏️

まずはそろそろ起きる事から始めようかな[ほっとする]

今日も良い一日になりますように[星]

#紫陽花 #仏教 #仏教哲学 #おはようGRAVITY
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[UFO2]仏教哲学メモ

人間は「欲目」という色眼鏡で自分を見ていて
自分をよく見たいと思う心「慢」がある

●7つの慢心「七慢」

1.慢(まん)
自分よりも劣った相手を見下す心(マウント)
(相手:70点、自分:80点)

2.過慢(かまん)
自分と同じ程度の相手なのに自分の方が優れていると思う心
(相手:80点、自分:80点)
例:相手は塾行ったり家庭教師ついてるけど、私はそういうのなしで同じ点数だから、条件同じなら私が上だ。

3.慢過慢(まんかまん)
自分より優れた相手なのにそうとは認められず自分が上だと思う心
(相手:100点、自分:80点)
例:確かにお前は勉強できるが、俺の方が運動神経良いし、友達も多いから俺が上だ。などと得ての良い理由付けて上にいる気分になる。

4.我慢(がまん)
自分の間違いに気付きながら、何処どこまでも自分が正しいと自分の意見を押し通そうとする心
・例:這っても黒豆
 相手が虫だと言ってて、自分は黒豆だと
 言い張り、それが動き出しても黒豆が
 動いていると言い張る
ちょっとした事で揉めた時も謝れない
※自分の間違いを素直に受け入れ、先に謝るのが対人関係では大切

5.増上慢(ぞうじょうまん)
悟ってもいないのに、悟ったと思うこと

6.卑慢(ひまん)
自分のお粗末さを謙遜しながらその謙遜さを鼻にかける心
・例:下手に出ながら「自分はこんなに
 下手に出れるんだ、こんなに頭を下げれる
 自分は偉い」と、自惚れないようにしてる
 事を自惚れている

7.邪慢(じゃまん)
自惚れる価値がないとんでもない事を自慢する心
例:
・俺って昔ワルだった、等を自慢する
・刑務所内で、俺がもっと酷い犯罪した、いいや俺がもっと酷い事したと自慢し合う
・試験の点数の低さを争う
・身内自慢、お国自慢、地元に有名人いるなど、自分の事でもないのにちょっとでも自分に縁がありそうなものを自慢する
※ネタが無くなっても自慢したい心


いかに自惚れ心が強いのが人間か
それは自分もそう他人もそう

出来るだけ他人の長所を見つけ
褒めるようにしよう
そして本当になすべき事をしよう


#仏教
#仏教哲学
#仏教心理学
#スイーツ
#メモ

身につまされるお話でした[ほっとする]

写真は炭が入った黒いスイーツ
美味しかったです[ほっとする]
黒豆も入ってます[大笑い]
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✏️仏教心理学のメモ

[UFO2]嫌いな人に苦しむ人と苦しまない人

10人いたら
そのうちの
2人は良い関係を築けて
1人はどうやっても上手くいかなくて
7人は都合によりころころ変わる

腸内フローラルと同じ
2割は善玉菌
1割は悪玉菌
残りはどちらにでも変わったりする

嫌いなその1人が居なくなっても
また残りの中の一割と
上手くいかなくなるもの

仏教の苦しみ(四苦八苦)のひとつ
「怨憎会苦(おんぞうえく)」
どんな生き方をしても
恨んだり憎んだり
嫌な人と会わなければならない
避ける事のできない苦しみ

人生は難度海(なんどかい)
渡る事のできない波が次から次へとくる海

私達が住んでる世界=娑婆=堪忍土
=堪え忍ばないといけない世界


★苦しむ人😣×と苦しまない☺️人〇の違い

代表的な嫌な人3つで比較

●批判者(批判否定してくる人)
😣ムキになる間に受ける人×
☺️その言葉を受け取らない人〇
 またはそこから何かを学ぶ人〇

浄土真宗を広めた蓮如上人は
悪口を言われても腹立つどころか
悪い所があったら直したいから
悪口でも良いから言ってくれ
という意味の言葉を残している

批判を向上できるチャンスにしている


●敵対者(敵対関係にある人)
😣排斥しようとする人×
☺️良きライバルとして受け止め奮起する人〇

敵対者を排斥しようとしたら
のしあがれるどころか
自分が人間的にも堕ちる


●駒扱いする人
😣恨む人×
 嫌だと思ってるだけの人×
☺️行動する〇

因果の道理、因縁果
物事の結果は全て
因(原因)と縁(環境や人)による結果
悪い結果が出てる時は
因か縁のどちらか又は両方を変える

駒扱いする人は悪い縁
なるべく近寄らない(縁を変える)
距離を置く事が難しい時は
ちょっとでも自分の行動を変える(因を変える)

行動の例
DV夫や妻→離婚する
ブラック企業→転職する

何も行動せず
ただ恨み続けるのは良くない

自分とその人に限って
因と縁の相性が悪いという事もある


苦しむ人の考え方
他因自果
自分に起きた事を全て周りのせいにする

苦しまない人の考え方
自因自果
自分の蒔いた種によってこの結果になってるから自分で変えていこうとする

#仏教
#仏教心理学
#仏教哲学

写真は久々飲んだレモンティー🍋
おやすみなさい🌙
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水面に映る空や月が
風で波立ちグニャグニャに映るんじゃなくて

風がなく波ひとつなく
水面が鏡のように
ありのままの姿を綺麗に映し出す状態

そんな掻き乱されない心
それを手に入れると
不安や苦しみはだいぶ減るらしい

一喜一憂するのが
人生でもあるんだろうけど

些細な事で怒ったり
負の感情の波が立たなくなるのは
心が穏やかになるのに繋がりそうかも


今日は仕事のあと英会話行って
それから久々の友達とご飯🍚

楽しみです✨✨

今日も良い一日になりますように✨✨

#哲学 #仏教 #仏教哲学
#スリーグッドシングス #グッドシングス

昨日のグッドシングス
①お仕事楽しかった
②心配してた人がどうするか決めたみたいで安心した
③電話でお話した
④良いお話を聞けた
⑤さつまいもが美味しかった
⑥無駄遣いしなかった
⑦ジムには行かなかったけどプランクした
⑧寝る時風が気持ち良かった
⑨メルカリでお返事待ちのまま放置状態のコメントを意を決して削除した
⑩穏やかに過ごせた
GRAVITY
GRAVITY14
めんちかつ

めんちかつ

🕰️ 仏教における時間と因果律:説一切有部(せついっさいうぶ)から中観派への道のり

現代物理学が時間と空間の概念を絶えず問い直すように、古代インドの仏教思想家たちもまた、時間と因果律(縁起)がどのように存在し、作用するのかについて深く、そして熱い議論を交わしました。

この壮大な思索の旅は、万物が実体を持つと考える一派から、すべては空であり、無常であると主張する革新的な思想へと展開していきます。本稿では、仏教における時間論と縁起の展開を、主要な宗派の視点から探り、その深い哲学的な意味を解き明かします。

Ⅰ. 説一切有部(せついっさいうぶ)の時間論:三世実有と実体としての「法」

1. 「説一切有部」とは?

「説一切有部(Sarvāstivāda)」は、紀元前後にインドで栄えた初期の有力な部派仏教の一派です。その名の通り、「一切有(すべてが存在する)」ことを説くのが特徴であり、特に過去・現在・未来の三世にわたって、構成要素(法)が実体として存在することを主張しました。

2. 「三世実有」の主張

説一切有部の核となる思想が「三世実有(さんぜじつう)」です。これは以下の点を意味します。

過去有(かこ・う):過去に滅した現象や行為(法)は、その作用力は失っても、実体としては今も存在し続けている。

現在有(げんざい・う):現在の現象は、もちろん実体として存在する。

未来有(みらい・う):未来にまだ生じていない現象も、実体としては既に存在している。

彼らは、世界を構成する最小の実在的な要素を「法(ダルマ)」と名付けました。この法は「自性(svabhāva)」、すなわち固有の本質を持つ、固定された実体であると捉えられました。

説一切有部にとって、時間が流れても、この「法」そのものは滅することなく、三世にわたって実体として存在し続けます。私たちが「時間」として認識しているものは、この法が過去・現在・未来という位(あり方や状態)を変化させることによって生じる現象に過ぎないのです。

3. 三世実有と因果律(縁起)の成立

この「三世実有」の立場は、仏教の根本原理である因果律(縁起)を論理的に基礎づけるために不可欠なものでした。

縁起とは、「これがあるから、あれがある」という相互依存の関係、すなわち原因と結果の法則です。説一切有部は、三世実有によって、この因果律を以下のように説明しました。

過去の業の作用:もし過去の行為(業)が完全に「無」になって消滅してしまうならば、なぜその過去の業が、現在の結果(苦や楽)を生み出すことができるのでしょうか。説一切有部は、過去の業が実体として存在し続けるからこそ、それが因となって現在の果を引き起こすという、業の持続性と因果の確実性を担保したのです。

過去の法(因)が実体としてあり続け、それが現在の法(果)を生じさせるというメカニズムによって、彼らは仏教の核となる「業報思想」を強固に理論づけました。

Ⅱ. 中観派(ちゅうがんは)の登場:実体の否定と「一切皆空」の確立

1. 中観派(ちゅうがんは)(Madhyamaka)の革新

説一切有部の思想が、法に実体(自性)を認めたのに対し、後に現れた「中観派」は、その一切を徹底的に批判しました。中観派の祖は、紀元2世紀頃に活躍したナーガールジュナ(龍樹)であり、その思想は後の大乗仏教に決定的な影響を与えました。

2. 「一切皆空」と「諸行無常」

中観派は、釈迦の教えをより忠実に、より厳密に理解しようと試み、「一切皆空(いっさいかいくう)」と「諸行無常(しょぎょうむじょう)」の立場を極限まで推し進めました。

諸行無常の徹底:仏教の根本教義である「無常(Anitya)」とは、すべての現象は絶えず変化し、留まることがないという事実です。もし説一切有部が言うように、過去・現在・未来にわたって法が自性(固定された実体)を持つならば、それは「不変」であることになり、「無常」の教えに矛盾します。中観派は、法に実体を認めると、それは変化しない常住なものとなり、仏教の根本を否定することになると主張しました。

一切皆空:中観派の主張の核心は、「空(śūnyatā)」です。これは「何もない」という意味ではなく、「自性がない(無自性)」という意味です。あらゆる現象(法)は、それ自体で独立して存在する固有の実体を持たず、すべては他のものとの関係性(縁)によって仮に成り立っている(仮有)と捉えます。

中観派の批判の要点:

説一切有部が過去の法に実体を認めることで、時間の流れや変化という概念自体が説明できなくなる。なぜなら、実体とは不変であるはずだからです。もし過去の法(因)が実体としてあり続けるなら、それは「過去」ではなくなり、また「因」も「果」に変化できないことになります。

3. 実体を否定して、なぜ縁起が成立するのか

説一切有部が「三世実有」という実体論によって縁起を確立しようとしたのに対し、中観派は、実体(自性)を否定するからこそ、真の縁起が成立すると主張します。

これは、ナーガールジュナの『中論』における、非常に逆説的で深遠な論理です。

1説一切有部の論理

存在:法は実体(自性)を持つから存在する。
縁起:法が実体を持つから、因果律(縁起)が成立する。

中観派の論理
存在:法は実体を持たない(空)から存在する。
縁起:法が実体を持たないからこそ、因果律(縁起)が成立する。

「空」と「縁起」は同義:中観派にとって、「空」と「縁起」は二つで一つの真理です。

すべてが縁起によって生じる → 自性(独立した実体)を持たない → 空

すべてが空である → 他のものとの関係性(縁)によって仮に生じる → 縁起

実体があれば縁起は不可能:もし原因(因)と結果(果)がそれぞれ固有の実体を持っていたと仮定します。

因と果が完全に同一であれば、それは単なる自己同一性であり、変化も生成もありません。縁起は成立しません。

因と果が完全に別個であれば、両者の間には関係性がなく、因が果を生むという繋がりが論理的に説明できません。縁起は成立しません。

ナーガールジュナは、因と果、生と滅、常と断といった二元論的な対立(二辺)を徹底的に論破し、その中道を空としました。法に実体がないからこそ、法は絶えず変化し、他の法と関係を結び、生じたり滅したりという「はたらき」を持つことができ、この「はたらき」こそが縁起なのです。

Ⅲ. 原初仏教における時間と縁起の捉え方

説一切有部と中観派の議論は、釈迦入滅後の哲学的な展開ですが、その根底には、釈迦の教え、すなわち原初仏教の思想があります。

1. 時間についての態度の保留

原初仏教、特にパーリ語経典に見られる教えでは、時間それ自体に関する抽象的・形而上学的な議論は、多くの場合、保留(無記)されました。

実存的な時間:釈迦の関心は、衆生が直面する苦(Duhkha)と、そこからの解脱にありました。時間は、過去を悔い、未来を憂うという苦を生み出す心理的な枠組みとして捉えられましたが、時間が実体として存在するかどうかという問いは、解脱という目的から見て無益な議論であるとされました。

「今」の重要性:修行においては、過去への執着や未来への期待を断ち切り、「今・ここ」に集中する正念(sati)が重視されました。時間は、固定された実体ではなく、絶えず変化し続ける瞬間(刹那)の連なりとして、動的な実存の中で体験されるものと捉えられていたと考えられます。

2. 「十二縁起」と動的な因果律

原初仏教において、時間の流れと因果律を最も明確に示したのが「十二縁起(十二因縁)」です。

十二縁起は、衆生が老死という苦しみに至るまでの生命の連鎖(輪廻)を、12の要因(無明、行、識など)の繋がりとして示します。

十二縁起:無明があるから行が生じ、行があるから識が生じ... 生があるから老死が生じる。

これは、静的な「法の実体」ではなく、「あるもの」が原因となって「別のもの」を生じさせるという、非常に動的かつ実存的な因果の法則です。

この原初の十二縁起は、説一切有部の三世両重の因果(過去の因が現在の果を生み、現在の因が未来の果を生むという二重構造)や、中観派の一切皆空という極端な哲学へと展開していく、すべての仏教的時間論・因果律の原点となったのです。

Ⅳ. 結論:仏教の時間論と縁起の二大潮流

仏教における時間論と因果律(縁起)の議論は、「実体」を認めるか否かという哲学的な対立を軸に展開しました。この展開は、仏教思想の深さと、教えを論理的に基礎づけようとする試みの真摯さを示しています。

1. 仏教的時間論:実体と刹那滅

仏教の時間論は、以下の二つの大きな潮流に集約されます。

1説一切有部(部派仏教)
時間の捉え方:三世実有:過去・現在・未来の法は実体(自性)として存続する。時間は法の位の変化。
意味:業報の持続性を論理的に確立した。

2中観派(大乗仏教)
時間の捉え方:刹那滅:法は実体(自性)を持たず、生じた瞬間(刹那)に滅する。時間の流れは、刹那の連続的な生成と消滅。
意味:諸行無常の教えを極限まで徹底した。

中観派が採用した「刹那滅(せつなめつ)」の思想(法は生じた瞬間に滅する)は、実体の否定(空)と強く結びつき、真の「無常」を体現する時間論となりました。

2. 仏教の因果律(縁起):実有の縁起 vs. 空の縁起

縁起の捉え方も、時間論と密接に結びついています。

説一切有部の縁起(実有の縁起):過去の法が実体として存在し続けることによって、原因と結果の必然性が保証される。「因果の確実性」を重視した実体論的な因果律。

中観派の縁起(空の縁起):法が実体を持たず「空」であるからこそ、常に変化し、他のものと関係性を結び、依存して生起するという動的な縁起が成立する。「因果の必然性」を、実体の否定という逆説的な論理で確立した、関係論的な因果律。

3. まとめ

仏教の哲学は、私たちが当たり前と考えている「時間」や「存在」の概念を深く掘り下げました。

説一切有部は、業報の持続性という実存的な問題を解決するために法に実体を認め、時間の流れを「位の変化」と捉えました。対照的に、中観派は、無常という根本原理を徹底するために法の実体を否定し、空という洞察を通して、すべてが関係性の中でのみ成立するという、より徹底した動的な縁起の思想を確立したのです。

この仏教の時間論と因果律の議論は、固定された「私」や「世界」という概念から離れ、絶えず変化し、相互に依存し合う流動的な現実への洞察を深めることを促していると言えるでしょう。

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