ごく自然に、脳はいつも考えている。日常の光や音、触れた感覚すべてが、思考の火種となり、降り積もる雪のように、考えは舞い、重なり、埋め尽くしていく。かたちのない思いが、刺激のたびにスパークしては広がっていく。見たもの、聞いたもの、触れたものすべてが色や形を持たずに膨らみ、心の隅々まで響いていく。げんにその思考は、やがて内に沈み、自分を問い詰めてゆく。光のように弾けた思考も、やがて静寂の底に沈み、自分自身の存在や在り方を問いかける問いへと変わる。その問いはときに鋭く、胸に痛みを伴う。貫らぬくような自己直視の果てで、自分の心の声を疑い、希望をささやかな光だと思えなくなる。小さな喜びすら、自分に許されない贅沢のように感じてしまう瞬間がある。望むことさえ傲慢だと、希望を切り捨ててしまう。ほんの少しの綺麗ごとでさえ、自分を欺くように思えてしまう。それでも、その痛みの奥で、かすかに息づく光がある。ごくまれに、そのループを超えられる瞬間がある。まれに思考の渦を抜けるとき、世界がふっと静かに呼吸を始める。その瞬間、私は自分の内側に広がる空間を感じ、束縛から解放される。あらゆる表現――歌、セリフ、踊りの中で、私は自由になる。声に乗せた言葉、身体の動き、旋律の余韻。それらは思考の檻を壊し、私を存在そのものへと戻してくれる。いのちが、思考を離れてただ“在る”ことに戻る。目の前の光や影、空気の流れ、微かな音にただ身を任せるとき、思考は静まり、私は世界と溶け合う。最後に残るのは、創作という祈りのような時間。何かを生み出す瞬間、そのひとつひとつが静かな祈りになる。生きる意味や存在を確認するのではなく、ただひたすらに、ことばや形を紡ぐ行為。続けることでしか、私の存在は確かめられない。創作を止めることは、思考の渦に再び捕らわれることを意味する。だから私は、途切れることなく、手を動かし、声を響かせ、思いを形にしていく。ここで光が生まれる。一つの言葉が消えても、別の言葉が光を灯す。黎明のように、また新しく、夜明けのように、静かに、しかし確実に、ことばは生まれ続ける。冬の朝の静けさのように、白く凍てついた思考の隙間から、かすかなぬくもりが生まれる。翳りのなかにも、光を見出すように。暗い心の影の隙間でも、ことばは光を届ける。その光は小さくとも、確かに存在し、心にそっと触れる。爛漫の春の日にも、冬の夜にも。季節や時間が巡るなかで、ことばは変わらず咲き、私と世界を結ぶ小さな橋になる。もう一度、言葉と出会えるこの場所で。再びことばと向き合い、紡ぎ、受け取る瞬間があること。それが、私にとってかけがえのない希望だ。夜の静けさに、ことばがまたひとつ瞬く。静かな闇の中で、ことばは光となり、私の胸に小さな波紋を広げる。浪漫でも理屈でもなく、ただ生きている証として。それは説明のためでもなく、装飾でもなく、ただ存在していることを示す、純粋な営みである。静かに、そして確かに。その一瞬一瞬を味わいながら、私は生き、表現し続ける。空間に溶けていく思考も、希望も、祈りも、すべて言葉として編み込み、願いとして紡ぎつづけ、一一私はまた、静かに明日へと歩みを進める。#五か月のご挨拶#これからもよろしくね#言葉の雪片集#あいうえお冬景色#ことばりうむの星