木星オービタルリング ーアマハラー作 モ!&ポリポリ(モ! Part)「別段γ線バーストで地球が滅びるわけでは無いのだ」西山 高雄は自身にそう言い聞かせた。狭い書斎の中。メモと付箋だらけの部屋で。彼は手を開き自身の頭から垂れた汗を受け止めた。締め切った窓越しに蝉の声が聞こえてくる。ミンミン蝉か油蝉か、いや、そんなことはどうでも良かった。どちらにしても人工音声なのだ。今はとにかく急がねばならなかった。部屋から出ると強化ガラス越しに暗黒宇宙が目の前にひらけた。わずかに木星の一部が見える。西山は、それに重なるてっぺんの禿げた70代くらいの丸メガネの男を正面に認めた。西山は首を振った、禿頭を治すことは今や造作もないが、そんな見た目などどうでも良かった。歳をとった。強化ガラスに浮かぶ自分を見て思う。今年で150。コロニーではそれでも若手なのだ。西山は木星のオービタルリング「アマハラ」の設計を任されていた。設計も建造も監視も全て機械が勝手に行う。西山は悪態をつきながら通路を左に向かって歩き出した。「監視の監視とは、間の抜けた職業だよ」西山は運動不足の足どりで、あえて紙の書類に書かれた設計書の束を脇に挟んで。制御室に歩いて行った。(ポリポリ Part)「まさかγ線バーストで地球が滅びることは無いなどと考えてはおらんだろうな。」入るな否や声がする。声のする方を見ると背中越しに全てを見透かしたように佇んでいる二葉の姿があった。立ち止まる西山。向き直った二葉はこう言った。「君はこれまで一体何を見てきたのだ。人間の歴史から何を学んできた?γ線の関係した過去の事例をあげたまえ。そしてついでに特性も。」「そ、それは…」「さあ!」急き立てる二葉。渋々応じる西山。「γ線といえば透過率は最強クラス。人体の最小単位原子にまで浸入し、ラジカル反応によってDNA切断をひき起こす。当時の評価尺度最高レベル7、1986年チェルノブイリ原発・2011年福島第ー原発。原発関連でない事例レベル5、1987年ゴイゴニア被曝事故、評価なしの1966年パロマレス米軍機墜落事故など含めればきりがない。」息をついて二葉が言った。「お前ならそれぞれの事案において人的・物理的被害、心理的犠牲が、関連したものも含めどの程度か算出できない訳ではあるまい。我々の寿命が飛躍的に延びたからといって少々傲っているのではないか?γ線に対抗できる程の原子構造を我々の生体組織は手にしたのか?今更説明するまでも無いことだが。その禿げ頭を治す程度のことではないのだよ。」西山は口を噤むしかなかった。「そもそも木星にアマハラを建設する目的は何だったのか。もう一度よく考えてみろ。」二葉はそう言い残し部屋を後にした。(モ! Part)とりあえず二葉氏との会談?会談と呼べるのだろうか、禅問答の方が近い気がする。まあとにかく間に合った。急いだ甲斐はあった。アマハラを建設する目的か、と西山は少しぼーっとして考えた。「単純に掘削作業の橋頭堡と人類の自己顕示欲だと思っとったがね」「イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト達、木製の子供達のおててを繋ぐ意味もあるか」西山は書類を机に置いて一息をついた。「さっきは助かったよ」西山は補聴器のような小型の機械を耳から外しながら独りごちた。「どうってことないわ」西山の独り言かと思われたが、取り外された小型の機械は優しい女性の声で、西山にそう応えた。「ここでの疑問は2つだ」西山は大義そうに椅子に腰掛けながら、人差し指を立てて小刻みに揺らした。「わかっているわ。何故自分が禿げているかと、オービタルリングの建設の意義ね」西山は鼻で笑いながら小型の機械を机に置いた。すると機械は光を投影し、見目麗しい女性が西山の座る背もたれの後ろに現れた。「いや、全然違う。きみはからかっているのか、すっとんきょうなのかわからないときがあるな」西山は椅子を回して机に背を向けた。そしてホログラムを正面に据えて、女性の目を見ながら言った。「レディに向かってすっとんきょうはご挨拶だわ」ホログラムの女性は髪をかきあげて、突骨として無から出てきた同じくホログラムの椅子に座った。「レディね」西山は苦笑した。人類は激増した。だが宇宙開発に携わる人間は少なかった。宇宙は広いのである。宇宙開発に携わる人は寂しさで狂わぬように1人にひとつ、あるいはすきなだけAIが支給された。男性は大抵女性のAI を選び、女性は男性のAIを選んだ。本能のくびきは固いのだ。ご多分にもれず西山は自分とは性別の異なったAIを選択した。西山は彼女?をシェリーと名付けた。「シェリー、とにかく礼を言わせてくれ。ところで、私の疑問は2つ。なぜγ線で地球が滅びるわけじゃないという、私の、私による、私のための気休めを二葉氏は知っていたのか、またなぜγ線のことを専門家でもない私に聞きたがったかだ。」西山が指を鳴らすと偽コーヒーを入れたカップが天井から降りてきた。西山はこれを受け取り香りを嗅いだ。本物に憧れたこともあったが今では本物のコーヒーは希少で手に入りにくい。それでも1度経験したことがあるがたいしておいしくもなかった思い出から、西山は偽物で満足していた。「礼を言わせてくれは御礼と言えるのかしら?」シェリーは笑いもせずこう言った。「あ、り、が、と、う!γ線の知識を教えてくれて」先ほどのγ線に関する情報は全てシェリーの受け売り、というかリアルタイムでの耳打ちの情報だった。「前世は腹話術師だったの。あなたの前世はパペット人形ね」「前世」と西山は思わずおうむ返しに繰り返して、むふっと笑った。AIのジョークも大したものだ、孤独な老人はそう思った。ご歓談のところ失礼いたしますが、と落ち着いた男性の合成音声が部屋中に響いた。「ご報告です」(ポリポリ Part)《地球から 大気が非常事態とのことの報告です各マネージャーにプロジェクトの調整を要請します》先程抱えてきた紙の書類に書かれた設計書の束を面倒くさそうに引き寄せる西山「聞いたろ。手直しだってよ。俺は監視の監視をしてるだけでもう十分だったってのに…。」シェリーが言う。「あのアインシュタインの言葉じゃないの。困難の真ん中にこそ好機があるってね。こういう時のための相棒なのよ私は。」西山は少し微笑む。続けるシェリー「あなたの2つの疑問に答える時がきたようね。一つ目になぜあなたが禿げているか…ではなく二葉氏があなたの気休めを知っていたのか。いえ、正確に言うなら彼は地球の大気に関わるこの非常事態を知っていたと言うべきね。γ線バーストが起きればどんなことになるのか。あなたも気休めでしかないと認めていたわよね。」西山はコーヒーカップから口を外し答える。「ああ…そうだ。オービタルリング「アマハラ」の建設は急ぎの仕事なんだ。地球から木星までは8.9億Kmもの距離がある。少々無茶をする事になっても大きな問題はないと考える事にした。それは認めよう。」「二つ目はオービタルリング建設の意味ね。そもそも水素とヘリウムを主成分とするこの星の利用価値は地球の10倍とも言われる岩石や金属からなる中心核の質量にあるわ。それゆえ生まれる強い重力によって地球は守られて来たと言ってもいいくらいよ。ハビタブルゾーンに存在できる惑星の数が制御されているのだから。「アマハラ」は働き者の木星を彩る素敵な首飾り程度のもの。」頷く西山。「その上で考えるべきは宇宙において私たちが手がけるどのプロジェクトもハビタブルゾーンの維持が絶対条件ってことよ。美しい地球とそこにすむ愛すべき人間を守るためにね。二葉氏はそれを西山氏あなたに思い起こさせたかったって訳。」「あぁ…お手上げだ。仮に今γ線バーストを起こしたとしたら遠く離れた地球にも計り知れないダメージが及ぶだろう。俺だってそんな事は望まない。シェリー、君にはお手上げだよ。」非常事態にも関わらず西山の機嫌は良いようだった。(モ! Part)「非常事態です!」突然シェリーの口調が変わった。実に切迫した口調だった。「ここからは艦内アナウンスが引き継ぎます」シェリーのホログラムは神妙な顔で突然現れた椅子に座った。館内放送が流れる《地球の比較的近くで超新星爆発を観測同時にγ線バーストが観測されました地球の大気に深刻なダメージオゾン層の破壊を確認しました通信網にもダメージがありましたそれ故に公式の一報がこの案内になります。以上緊急放送でした》握力を失った西山の手からコーヒーを入れたカップが転げ落ちた。掃除ロボットは、赤く照らされたり黒く照らされたりしながら、忽ちそれを片付けた。西山は言った。「冗談だろう、γ線バーストが本当ならアマハラからだって観測できるはずだ」窓の外をチラとではなく、ずっと見てればね、と西山は自分で自分の疑問にケリをつけた。西山の項垂れた禿頭が緊急ランプで赤く輝いている。公式アナウンスは管内の至る所で流されており、少しずつずらして放送していた。エコーのような放送も皆皆終わると、シェリーが後を引き継いだ。「えーと、手短に状況を説明するわ」シェリーの手の中に突然ホログラムの本が現れた、そしてそれをめくり始めた。「γ線バーストは地球にかすりもしませんでした、それでも太陽の100億年分のエネルギービームの影響は免れず、オゾン層が破壊されてしまいました、オゾン層破壊における影響は〜」「シェリー」項垂れていた西山は右手を挙げてシェリーの言葉を制した。「わかっている。地球はなまじ純粋主義でやってきた。そのつけがやってきたんだ。生命のバリアが外れて生態系が狂っては彼らはやっていけない」「はい」シェリーはホログラムのままそう答えた。残酷な相槌だった。「移住先はおそらく火星やコロニー、月面基地などだろうが、富裕層でも無いもの達はここにも送られてくるだろうね」と西山は言った。「賑やかになりそうね」とシェリーは元の口調に戻った。「賑やかね」と西山はごく小さな囁き声で呟いた。やにわ、西山は両手で太ももを押して反動で立ち上がり、2歩歩きコンソールの前にたった。「最も効率よく働いているだろう機械たちに、これ以上どう、、、。泣き言を言っても始まらんな。泣きたいのは機械の方だ。機械たちよ、工業地区は後回し、住宅と商業地区の拡充を急いでくれ。」西山は上体を少し捻って言った。「それとシェリー、二葉氏に繋いでくれ、緊急だ。」「先ほどからコールしていますが、つながりません、地球に出向かれたようです」シェリーは真面目な口調で言った「そうか、危険な旅だな」ため息の後、西山はつぶやいた。それにしても、と西山は胸裏に思う。ハビタブルゾーンにあってもこのような災害が降りかかる。人類は地球を休ませる時が来たのだ。それでも人類は、生き続けねばならない。なぜ?それが生命の宿命だからだ。答えになってないなと西山は笑った。「それにしても、とんだ預言者だな、わたしは」西山はシェリーに顔を向け、右掌で頭をピシャリと叩いた。シェリーは何も言わなかった。終わり#合作 #SF #ポリポリさん初のSF